万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1410)―和歌山県かつらぎ町島 厳島神社側堤防護岸―万葉集 巻七 一二〇九

●歌は、「人にあらば母が愛子ぞあさもよし紀の川の辺の妹と背の山」である。

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和歌山県かつらぎ町島 厳島神社側堤防護岸壁万葉歌碑<パネル>(作者未詳)



●歌碑(堤防護岸壁パネル)は、和歌山県かつらぎ町島 厳島神社側堤防護岸にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆人在者 母之最愛子曽 麻毛吉 木川邊之 妹与背山

       (作者未詳 巻七 一二〇九)

 

≪書き下し≫人にあらば母が愛子(まなご)ぞあさもよし紀(き)の川(かは)の辺(へ)の妹(いも)と背(せ)の山      

 

(訳)人であったら、母の最愛の子以外ではないのだ。紀の川の川辺に立つ妹と背の山は。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)まなご【愛子】名詞:最愛の子。いとし子。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)あさもよし【麻裳よし】分類枕詞:麻で作った裳の産地であったことから、地名「紀(き)」に、また、同音を含む地名「城上(きのへ)」にかかる。(学研)

(注の注)アサモは「麻裳」「朝裳」の表記があるが、紀の国で麻を産したことは、「延喜式‐二三」や、「麻衣着ればなつかし紀伊の国の妹背の山に麻蒔く我妹」〔万葉‐一一九五〕からもわかるので、「麻裳」が原義で、良い麻裳を産する紀の国の「紀」にかかると考えられる。転じて、同音の「城上(きのへ)」にもかかった。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

「(注の注)の一一九五歌」をみてみよう。

 

◆麻衣 著者夏樫 木國之 妹背之山二 麻蒔吾妹

      (藤原卿 巻七 一一九五)

 

≪書き下し≫麻衣(あさごろも)着(き)ればなつかし紀伊の国(きのくに)の妹背(いもせ)の山に麻蒔(ま)く我妹(わぎも)

 

(訳)麻の衣を着ると懐かしくて仕方がない。紀伊の国(きのくに)の妹背(いもせ)の山で麻の種を蒔いていたあの子のことが。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その732)」で紹介している。

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 「愛子(まなご)」を詠んだ歌をみてみよう。

 

◆父公尓 吾者真名子叙 妣刀自尓 吾者愛兒叙 参昇 八十氏人乃 手向為等 恐乃坂尓 幣奉 吾者叙追 遠杵土左道矣

      (作者未詳 巻六 一〇二二)

 

≪書き下し≫父君(ちちぎみ)に 我(わ)れは愛子(まなご)ぞ 母(はは)刀自(とじ)に 我(わ)れは愛子ぞ 参(ま)ゐ上(のぼ)る 八十氏人(やそうぢひと)の 手向(たむけ)する 畏(かしこ)の坂に 弊(ぬさ)奉(まつ)り 我(わ)れはぞ追へる 遠き土佐道(とさぢ)を

 

(訳)父君にとって私はかけがえのない子だ。母君にとってわたしはかけがえのない子だ。なのに、都に上るもろもろの官人たちが、手向(たむ)けをしては越えて行く恐ろしい国境(くにざかい)の坂に、幣(ねさ)を捧(ささ)げて無事を祈りながら、私は一路進まなければならぬのだ。遠い土佐への道を。(同上)

(注)ははとじ【母刀自】名詞:母君。母上。▽母の尊敬語。(学研)

(注)畏の坂:恐ろしい神のいる国境の坂

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その761)」で紹介している。

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 次をみてみよう。

 

◆鳥音之 所聞海尓 高山麻 障所為而 奥藻麻 枕所為 蛾葉之 衣谷不服尓 不知魚取 海之濱邊尓 浦裳無 所宿有人者 母父尓 真名子尓可有六 若を之 妻香有異六 思布 言傳八跡 家問者 家乎母不告 名問跡 名谷母不告 哭兒如 言谷不語 思鞆 悲物者 世間有 世間有

       (作者未詳 巻十三 三三三六)

 

≪書き下し≫鳥が音(ね)の 神島(かしま)の海に 高山(たかやま)を 隔(へだ)てになして 沖つ藻(も)を 枕(まくら)になし 蛾羽(ひむしは)の 衣(きぬ)だに着ずに 鯨魚取(いさなと)り 海の浜辺(はまへ)に うらもなく 臥(ふ)したる人は 母父(おもちち)に 愛子(まなご)にかあらむ 若草(わかくさ)の 妻かありけむ 思(おも)ほしき 言伝(ことつ)てむやと 家(いへ)問へば 家をも告(の)らず 名(な)を問へど 名だにも告らず 泣く子なす 言(こと)だにとはず 思へども 悲しきものは 世の中にぞある 世の中にぞある

 

(訳)鳥の音のかしましというはないが、波のざわめく神島(かしま)の海に、高い山を壁代わりにし、海の藻を枕代わりにして、蛾の羽の薄い着物もまとわず、この浜辺に何も気をかけずに臥せっている人、この人は、母や父にとっていとしい子なのあろう、かわいい妻もいたであろう。何かしてほしいことがあったら伝えてあげようかと、家はと尋ねても家を告げず、名はと問うても名さえ明かさず、まるでだだっ子のように返事もしない。ああ、思えば思うほど、悲しくてならぬものは、この人の世である、この人の世である。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)鳥の音の:「神島」の枕詞。かしましいの意。(伊藤脚注)

(注)ひむし【蛾】:蚕のさなぎ。また、その羽化したもの。ひひるむし。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)うらもなし【心も無し】分類連語:①何気ない。無心である。くったくがない。②隔てがない。隠し立てがない。なんの遠慮もない。 ※「うら」は心の意。 ⇒なりたち:名詞「うら」+係助詞「も」+形容詞「なし」(学研)ここでは②の意

(注)おもほし【思ほし】形容詞:願わしい。望ましい。心に思っているさま。(学研)

 

 

 次の歌は、三三三六歌の異伝である。

 

◆玉桙之 道尓出立 葦引乃 野行山行 潦 川徃渉 鯨名取 海路丹出而 吹風裳 母穂丹者不吹 立浪裳 箟跡丹者不起 恐耶 神之渡乃 敷浪乃 寄濱部丹 高山矣 部立丹置而 汭潭矣 枕丹巻而 占裳無 偃為君者 母父之 愛子丹裳在将 稚草之 妻裳有将等 家問跡 家道裳不云 名矣問跡 名谷裳不告 誰之言矣 勞鴨 腫浪能 恐海矣 直渉異将

      (調使首 巻十三 三三三九)

 

≪書き下し≫玉桙の 道に出(い)で立ち あしひきの 野(の)行(ゆ)き山行き にはたづみ 川行き渡り 鯨魚(いさな)取(と)り 海道(うみぢ)に出でて 吹く風も おほには吹かず 立つ波も のどには立たぬ 畏(かしこ)きや 神の渡りの しき波の 寄する浜辺に 高山を 隔(へだ)てに置きて 浦ぶちを 枕にまきて うらもなく 臥(ふ)したる君は 母父(おもちち)が 愛子(まなご)にもあらむ 若草(わかくさ)の 妻もあらむと 家問(と)へど 家道(いへぢ)も言はず 名を問へど 名だにも告(の)らず 誰(た)が言(こと)を いたはしとかも とゐ波の 畏(かしこ)き海を 直(ただ)渡りけむ

 

(訳)旅道に出で立って、野を行き山を行き、川を渡り海道に乗り出して、吹く風も並には吹かず、立つ波ものどかには立たない、恐ろしい神の支配する難所の、立ちしきる波のうち寄せる浜辺に、高い山を壁代わりにし、入江の岸を枕にして、何も気にかけずに臥せっている君、この君は、母や父のいとしい子なのであろう。かわいい妻もいるであろう。なのに、家を尋ねても家道も言わないし、名を問うても名さえも明かさない。いったい、どなたとの約束を気にして、うねり波の恐ろしい海なのに、そんな所をまっすぐに渡って来たのであろうか。(同上)

(注)おほなり【凡なり】形容動詞:①いい加減だ。おろそかだ。②ひととおりだ。平凡だ。※「おぼなり」とも。上代語。(学研)

(注)のどなり 形容動詞:穏やかだ。(学研)

(注)しきなみ【頻波・重波】名詞:次から次へと、しきりに寄せて来る波。(学研)

(注)浦ぶちを 枕にまきて:岸辺からすぐ深みになっている入江の際に臥せっている様。

(注)うらもなし【心も無し】分類連語:①何気ない。無心である。くったくがない。②隔てがない。隠し立てがない。なんの遠慮もない。 ※「うら」は心の意。 ※※ なりたち名詞「うら」+係助詞「も」+形容詞「なし」(学研)

(注)いたはし【労し】形容詞:①苦労だ。②病気で苦しい。③大切にしたい。いたわってやりたい。④気の毒だ。痛々しい。(学研) ここでは③の意

(注)とゐなみ【とゐ波】名詞:うねり立つ波。(学研)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(1389)」で紹介している。

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「真砂」は「まさご 」と読むが、上代では「まなご」と読まれていた。歌では「・・・浜の真砂(まなご)なす子らは愛(かな)しく・・・」などと詠まれ、「真砂(まなご)のような子」即ち「愛子(まなご)」として詠まれているケースがある。

 

 

厳島神社船岡山)➡厳島神社側堤防護岸■

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万葉歌碑(写真左上)と堤防護岸壁パネル状一二〇九歌

 厳島神社船岡山)への参道である吊り橋(厳島橋)の神社側右手に一一九三歌の歌碑が見え、さらにその右側堤防護岸壁に大きなパネルに一二〇九歌が刻されている。紀の川を挟んで並び立つ背の山と妹の山、その地形を見て詠った万葉びとの構想のスケールに応え背山・妹山に呼び掛けているような形で堤防護岸壁にパネル状に刻した発想にも拍手である。。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「weblio辞書 デジタル大辞泉