万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2504)―

●歌は、「橘の下吹く風のかぐわしき筑波の山を恋ひずあらめかも」である。

茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森万葉歌碑(プレート)(占部広方) 20230927撮影

●歌碑(プレート)は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆多知波奈乃 之多布久可是乃 可具波志伎 都久波能夜麻乎 古比須安良米可毛

       (占部広方 巻二十 四三七一)

 

≪書き下し≫橘の下吹く風のかぐはしき筑波の山を恋ひずあらめかも

 

(訳)橘の木陰を吹き抜ける風がかぐわしく薫る筑波の山よ、ああ、あの山にどうして恋い焦がれずにいられようか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫

(注)かぐはしき:かぐわしくかおる。(伊藤脚注)

(注の注)かぐはし【香ぐはし・馨し】形容詞:①香り高い。かんばしい。②美しい。心がひかれる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注)めかも:メカモは反語。(伊藤脚注)

(注の注)めかも :(推量の助動詞「む」の已然形「め」に、反語の意を表わす係助詞「か」、詠嘆を表わす係助詞「も」の付いたもの。東歌に見られる語法) =めやも (コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

左注は、「右一首助丁占部廣方」<右の一首は助丁占部広方(じよちやううらべのひろかた)>である。

 

この歌については、四三六三から四三七二歌の歌群(常陸の国の防人歌)とともに拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2465)」で紹介している。

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 万葉神事語辞典(國學院大學デジタルミュージアム)によると、項目名「かぐわし;かぐはし;香ぐはし」に「①においが良いこと。香りが高い。かんばしい。②なつかしい。心を惹きつけられる、慕わしく思う、の意。万葉集には全6例みられる。うち、作者未詳歌(10-1967)、大伴家持の橘の歌(18-4111)、同じく大伴坂上郎女宛の代作歌(19-4169)、占部広方の歌(20-4371)4例は「橘」に関連させて当該語を詠む。記紀の各1例も同様であり、また、『かぐはし君』と詠む18-4120番歌は橘諸兄葛城王)を念頭に置いた家持の歌であることから、基本的には「橘」を修飾する語と考えられる。常緑樹である橘は、『常世の国』の木とも呼ばれ、生命長久や繁栄を示す樹木とされた。当該語は、橘の五感にとらわれない霊妙な様子を表すことが原義とみられる。それゆえに、作者未詳歌において、やつれた恋人に贈る橘に冠して詠み、その霊性に触れて早期回復することを願うものと考えられる。唯一『梅』に使用している治部大輔市原王の歌(20-4500)も、梅花の香りの良さにとどまらず、それが霊妙な雰囲気を漂わせた姿であることを歌うものとみられる。なお、応神記43・応神紀35では花橘に美しい女性のイメージを含み持たせている。」と書かれている。

 

 「かぐはし」が詠まれた歌は、万葉集では六首と書かれている。順番にみてみよう。

 

■一九六七歌■

香細寸 花橘乎 玉貫 将送妹者 三礼而毛有香

       (作者未詳 巻十 一九六七)

 

≪書き下し≫かぐはしき花橘(はなたちばな)を玉に貫(ぬ)き贈(おく)らむ妹(いも)はみつれてもあるか

 

(訳)かぐわしい橘の花、この花を、薬玉に貫いて贈り届けてやりたいあの子だが、あの子はひょっとして病みやつれていはしないだろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)玉に貫き:薬玉につけて。(伊藤脚注)

(注)みつれてもあるか:身も心も疲れ果てていることか。「みつれ」は「みつる」の連用形。モ・・・カは詠嘆的疑問。(伊藤脚注)

(注の注)みつる【羸る】自動詞:やつれる。疲れはてる。(学研)                  

 

 

 

■四一一一歌■

◆可氣麻久母 安夜尓加之古思 皇神祖<乃> 可見能大御世尓 田道間守 常世尓和多利 夜保許毛知 麻為泥許之登吉 時及能 香久乃菓子乎 可之古久母 能許之多麻敝礼 國毛勢尓 於非多知左加延 波流左礼婆 孫枝毛伊都追 保登等藝須 奈久五月尓波 波都波奈乎 延太尓多乎理弖 乎登女良尓 都刀尓母夜里美 之路多倍能 蘇泥尓毛古伎礼 香具播之美 於枳弖可良之美 安由流實波 多麻尓奴伎都追 手尓麻吉弖 見礼騰毛安加受 秋豆氣婆 之具礼乃雨零 阿之比奇能 夜麻能許奴礼波 久礼奈為尓 仁保比知礼止毛 多知波奈乃 成流其實者 比太照尓 伊夜見我保之久 美由伎布流 冬尓伊多礼婆 霜於氣騰母 其葉毛可礼受 常磐奈須 伊夜佐加波延尓 之可礼許曽 神乃御代欲理 与呂之奈倍 此橘乎 等伎自久能 可久能木實等 名附家良之母

       (大伴家持 巻十八 四一一一)

 

≪書き下し≫かけまくも あやに畏(かしこ)し 天皇(すめろき)の 神(かみ)の大御代(おほみよ)に 田道間守(たぢまもり) 常世(とこよ)に渡り 八桙(やほこ)持ち 参(ま)ゐ出(で)来(こ)し時 時じくの かくの菓(このみ)を 畏(かしこ)くも 残したまへれ 国も狭(せ)に 生(お)ひ立ち栄(さか)え 春されば 孫枝(ひこえ)萌(も)いつつ ほととぎす 鳴く五月(さつき)には 初花(はつはな)を 枝(えだ)に手折(たを)りて 娘子(をとめ)らに つとにも遣(や)りみ 白栲(しろたへ)の 袖(そで)にも扱(こき)入れ かぐはしみ 置きて枯らしみ あゆる実(み)は 玉に貫(ぬ)きつつ 手に巻きて 見れども飽(あ)かず 秋づけば しぐれの雨降り あしひきの 山の木末(こぬれ)は 紅(くれなゐ)に にほひ散れども 橘(たちばな)の なれるその実は ひた照りに いや見が欲(ほ)しく み雪降る 冬に至れば 霜置けども その葉も枯れず 常磐(ときは)なす いやさかはえに しかれこそ 神(かみ)の御代(みよ)より よろしなへ この橘を 時じく かくの菓(このみ)の実と 名付けけらしも

 

(訳)口の端に上(のぼ)すのさえ恐れ多いこと、神の御裔(みすえ)の遥か遠い天皇(すめろぎ)の御代に、田道間守(たじまもり)が常世(とこよ)の国に渡って、八鉾(やほこ)を掲げて帰朝した時、時じくのかくの木(こ)の実(み)を、恐れ多くものちの世にお残しになったころ、その木は、国も狭しと生い立ち栄え、春ともなれば新たに孫枝(ひこえ)が次々と芽生え、時鳥の鳴く五月には、その初花を枝ごと手折って、包んで娘子(おとめ)に贈り物としたり、枝からしごいて着物の袖にも入れたり、あまりの気高さに枝に置いたまま枯らしてしまったりもし、熟(う)れて落ちる実は薬玉(くすだま)として緒に通して、手に巻きつけていくら見ても見飽きることがない。秋が深まるにつれてしぐれが降り、山の木々の梢(こずえ)は紅に色づいて散るけれども、橘の枝に生(な)っているその実は、あたり一面にますます照り映えていっそう目がひきつけられるばかり、雪の降る冬ともなると、霜が置いてもその葉も枯れず、いつもいつも盛りの時を見せる岩のようにますます照り栄(さか)えるばかり・・・、それだからこそ、遠く遥かなる神の御代から、いみじくもこの橘を、時じくのかくの木の実と、名づけたのであるらしい。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)かけまくも 分類連語:心にかけて思うことも。言葉に出して言うことも。 ⇒なりたち 動詞「か(懸)く」の未然形+推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」+係助詞「も」(学研)

(注)たぢまもり【田道間守】:古代の伝説上の人物。新羅(しらぎ)王子天日矛(あめのひぼこ)の子孫。記紀によれば、第11代垂仁天皇の勅により、常世(とこよ)の国から非時香菓(ときじくのかくのこのみ)(橘)を10年かけて持ち帰ったが、すでに天皇は亡くなっていたので、悲嘆して陵の前で殉死したと伝えられる。三宅連(みやけのむらじ)の祖。(コトバンク  小学館デジタル大辞泉

(注)時じくのかくの菓(このみ):橘の実をほめる語。(伊藤脚注)

(注の注)ときじく【時じく】の香(かく)の菓(このみ・み):(冬期にもしぼむことなく、採っても長く芳香を保つところから) タチバナの実のこと。かくのみ。かくのこのみ。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)あゆる実:こぼれ落ちる実

(注)いやさか【弥栄】:[名]ますます栄えること。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)よろしなへ【宜しなへ】副詞:ようすがよくて。好ましく。ふさわしく。 ※上代語。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1171)」で紹介している。

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■四一六九歌■

題詞は、「為家婦贈在京尊母所誂作歌一首 幷短歌」<家婦(かふ)の、京に在(いま)す尊母(そんぼ)に贈るために、誂(あとら)へられて作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)かふ【家婦】〘名〙: 家の妻。また、自分の妻。家の中の仕事をする女の意でいう。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注の注)ここでは、前年の秋に下向した家持の妻、坂上大嬢のこと。

(注)そんぼ【尊母】:他人の母を敬っていう語。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注の注)ここでは、大伴坂上郎女をいう。

(注)あつらふ【誂ふ】他動詞:①頼む。②(物を作るように)注文する。あつらえる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

◆霍公鳥 来喧五月尓 咲尓保布 花橘乃 香吉 於夜能御言 朝暮尓 不聞日麻祢久 安麻射可流 夷尓之居者 安之比奇乃 山乃多乎里尓 立雲乎 余曽能未見都追 嘆蘇良 夜須家奈久尓 念蘇良 苦伎毛能乎 奈呉乃海部之 潜取云 真珠乃 見我保之御面 多太向 将見時麻泥波 松栢乃 佐賀延伊麻佐祢 尊安我吉美 <御面謂之美於毛和>

         (大伴家持 巻二十 四一六九)

 

≪書き下し≫ほととぎす 来鳴く五月(さつき)に 咲きにほふ 花橘(はなたちばな)の かぐはしき 親の御言(みこと) 朝夕(あさよひ)に 聞かぬ日まねく 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にし居(を)れば あしひきの 山のたをりに 立つ雲を よそのみ見つつ 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを 奈呉(なご)の海人(あま)の 潜(かづ)き取るといふ 白玉(しらたま)の 見が欲(ほ)し御面(みおもわ) 直向(ただむか)ひ 見む時までは 松柏(まつかへ)の 栄(さか)えいまさね 貴(たひとき)き我(あ)が君 <御面、みおもわといふ>

 

(訳)時鳥が来て鳴く五月に咲き薫(かお)る花橘のように、かぐわしい母上様のお言葉、そのお声を朝に夕に聞かぬ日が積もるばかりで、都遠く離れたこんな鄙の地に住んでいるので、累々と重なる山の尾根に立つ雲、その雲を遠くから見やるばかりで、嘆く心は休まる暇もなく、思う心は苦しくてなりません。奈呉の海人(あま)がもぐって採るという真珠のように、見たい見たいと思う御面(みおも)、そのお顔を目(ま)の当たりに見るその時までは、どうか常盤(ときわ)の松や柏(かしわ)のように、お変わりなく元気でいらして下さい。尊い我が母君様。<御面は「みおもわ」と訓みます>(同上)

(注)「ほととぎす 来鳴く五月に 咲きにほふ 花橘の」は序。「かぐはしき」(ご立派な)を起こす。(伊藤脚注)

(注)かぐはし【香ぐはし・馨し】形容詞:①香り高い。かんばしい。②美しい。心がひかれる。(学研)

(注)みこと【御言・命】名詞:お言葉。仰せ。詔(みことのり)。▽神や天皇の言葉の尊敬語。 ※「み」は接頭語。上代語。(学研)

(注)やまのたをり【山のたをり】分類連語:山の尾根のくぼんだ所。(学研)

(注)よそ【余所】名詞:離れた所。別の所。(学研)

(注)そら【空】名詞:①大空。空。天空。②空模様。天気。③途上。方向。場所。④気持ち。心地。▽多く打消の語を伴い、不安・空虚な心の状態を表す。(学研) ここでは④の意

(注)やすげなし【安げ無し】形容詞:安心できない。落ち着かない。不安だ。(学研)

(注)「奈呉の海人の 潜き取るといふ 白玉の」は序。「見が欲し」を起こす。

(注)まつかへの【松柏の】[枕]:松・カシワが常緑で樹齢久しいところから、「栄ゆ」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)あがきみ【吾が君】名詞:あなた。あなたさま。▽相手を親しんで、また敬愛の気持ちをこめて呼びかける語。(学研)

 

 この歌については、世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その1123)」で紹介している。

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■四一二〇歌■

◆見麻久保里 於毛比之奈倍尓 賀都良賀氣 香具波之君乎 安比見都流賀母

       (大伴家持 巻十八 四一二〇)

 

≪書き下し≫見まく欲(ほ)り思ひしなへにかづらかけかぐはし君を相見(あひみ)つるかも

 

(訳)お逢いしたいものだと思っていたちょうどその折しも、縵(かずら)をつけた、お姿のすばらしいあなた様にお逢いすることができました。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)山かづら:ひかげのかずら。女の譬え。(伊藤脚注)

(注)ましばにも:打消に応じて、めったにの意を表す。マは接頭語。(伊藤脚注)

(注)置きや枯らさむ:妻にしないではおかない、の意。ヤは反語。男の執念。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1516)」で紹介している。

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■四五〇〇歌■

◆宇梅能波奈 香乎加具波之美 等保家杼母 己許呂母之努尓 伎美乎之曽於毛布

       (市原王 巻二十 四五〇〇)

 

≪書き下し≫梅の花香(か)をかぐはしみ遠けども心もしのに君をしぞ思ふ

 

(訳)お庭の梅の花、その漂う香りの高さに、遠く離れてはおりますけれども、心一途(いちず)に御徳をお慕い申しているのです。(同上)

(注)上二句は主人の高潔さを匂わす。(伊藤脚注)

(注)心もしのに:心も萎れるばかりに一途に。(伊藤脚注)

 

 左注は、「右一首治部大輔市原王」<右の一首は治部大輔(ぢぶのだいふ)市原王>である。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1195)」で市原王の歌とともに紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉神事語辞典」 (國學院大學デジタルミュージアム

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典