万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2631)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅱ)―

●歌は、「東のたぎの御門に侍へど昨日も今日も召す言もなし(日並皇子尊舎人 2-184)」である。

 

【島の宮】

 「(日並皇子宮の舎人 巻二‐一八四)(歌は省略)・・・石舞台から見おろす島庄(しまのしょう)一帯の村落のところが、草壁皇子(天武と持統のあいだに生まれた)の島の宮の址らしい。『橘の島の宮』(巻二‐一七九)ともあるから、飛鳥川を越えて橘寺の近くまでおよんでいたとも、橘の名がこのあたりをまでふくめていたともいわれる。・・・もと、島ノ大臣ともいわれた馬子の庭園が、のちに宮廷のご料地となり、そこに島の宮がいとなまれたのであろう。歌に『上(うへ)の池』『勾(まがり)の池』とあるから、飛鳥川か細川か別の渓水かが庭にひきいれられていたものであろう。草壁皇子は天武一〇年に皇太子となり、日並(ひなみし)皇子として将来を期待されていたが、ついに即位の時なく、持統三年(六八九)四月に二八歳で亡くなられた。・・・『万葉集』の中に人麻呂の長大な挽歌や舎人らのかなしみの歌二三首がのこされている。この二三首にも人麻呂作のにおいがあるとみられている。」(「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)

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 一八四歌ならびに一七九歌をみてみよう。

■■巻二 一七一~一九三歌■■

 題詞は、「皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首」<皇子尊(みこのみこと)の宮の舎人等(とねりら)、慟傷(かな)しびて作る歌二十三首>である。

 

■巻二 一八四歌■

◆東乃 多藝能御門尓 雖伺侍 昨日毛今日毛 召言毛無

(日並皇子尊舎人 巻二 一八四)

 

≪書き下し≫東(ひむがし)のたぎの御門に侍(さもら)へど昨日(きのふ)も今日(けふ)も召す言(こと)もなし

 

(訳)東のたぎの御門に伺候しているけれど、昨日も今日もお召しになるお言葉もない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)さもらふ【候ふ・侍ふ】自動詞:①ようすを見ながら機会をうかがう。見守る。②貴人のそばに仕える。伺候する。 ※「さ」は接頭語。 (weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは②の意。

 

 

 

 

 

■巻二 一七九歌■

◆橘之 嶋宮尓者 不飽鴨 佐田乃岡邊尓 侍宿為尓徃

(日並皇子尊舎人 巻二 一七九)

 

≪書き下し≫橘(たちばな)の島の宮には飽(あ)かぬかも佐田の岡辺に侍宿(とのゐ)しに行く

 

(訳)橘の島の宮では物足りないとて、われらはあの佐田の岡辺にまで侍宿しに行くというのか。(同上)

 

(注)佐田の岡辺:皇子の殯宮を営んだ所。(伊藤脚注)

(注)とのゐ【宿直】名詞:①宿直(しゆくちよく)。夜、宮中・役所・貴人の邸宅などに職務として宿泊して、警護・事務、その他の奉仕をすること。②夜、天皇や貴人の寝所に仕えて、お相手をつとめること。(学研)

 

 

 

二十三首すべては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その502)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

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 同著に書かれていた「人麻呂の長大な挽歌」は、題詞「日並皇子尊殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首 幷短歌」<日並皇子尊(ひなみしみこのみこと)の殯宮(あらきのみや)の時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1402)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

奈良県高市郡明日香村 「飛鳥周遊歩道岡寺から石舞台方面すぐ」の万葉歌碑(日並皇子尊舎人 2-172) 20190708撮影      



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「犬養孝揮毫万葉歌碑マップ(明日香村)」 (犬養万葉記念館)