●歌は、「下つ毛野三毳の山のこ楢のすまぐはし子ろは誰か筍か持たむ (作者未詳 14-3424)」である。
【みかもの山】
「東歌(巻十四‐三四二四)(歌は省略)・・・三毳(みかも)山(二二九メートル)・・・いまもまわりの農村にかこまれしたしまれている里山だが、この歌も山のコナラの新緑のういういしいかぐわしさと朝夕ともにある人たちの中から生まれた歌だ。『こ楢のす まぐわし児ろ』(“コナラのように美しくかわいらしいあの娘(こ))”というところには、とうてい都の歌人の思いもつかない、生活と密着した新鮮さがある。日の光にすけるコナラの葉はそのままうぶなおとめによせる愛着でさえある。“誰の家の食器(笥(け))を持つようになるのだろう”とは誰の妻になるのだろうの心だが、あきらめや羨望ではなくて、“あの娘(こ)はわたしの妻になるのにきまっている”の心ぐみであろう。そこに健康ないぶきがある。」(「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
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巻十四 三四二四歌をみていこう。
◆之母都家野 美可母乃夜麻能 許奈良能須 麻具波思兒呂波 多賀家可母多牟
(作者未詳 巻十四 三四二四)
≪書き下し≫下(しも)つ毛(け)野(の)三毳(みかも)の山のこ楢(なら)のすまぐはし子ろは誰(た)か笥(け)か持たむ
(訳)下野の三毳の山に生(お)い立つ小楢の木、そのみずみずしい若葉のように、目にもさわやかなあの子は、いったい誰のお椀(わん)を世話することになるのかなあ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
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(注)下野:栃木県。(伊藤脚注)
(注)三毳の山:佐野市東方の山。大田和山ともいう。(伊藤脚注)
(注)こ楢のすまぐはし:瑞々しい楢の葉のように。(伊藤脚注)
(注の注)す+形容詞:( 接頭 ) 形容詞などに付いて、普通の程度を超えている意を添える。 「 -早い」 「 -ばしこい」(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
(注の注)まぐわし -ぐはし【目細し】:見た目に美しい。(同上)
(注)け【笥】名詞:容器。入れ物。特に、食器。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
三四三四、三四三五歌の左注は、「右二首下野國歌」<右の二首は下野の国の歌>とある。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1145)」で奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園万葉歌碑<プレート>とともに紹介している。
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ああ、万葉歌碑がよんでいる。機会を見つけて三四二五歌のように「空ゆと来ぬ」ではないが飛んで行きたいものである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」