万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1832,1833)―松山市梅田町 松山梅田町郵便局、松山市古三津 久枝神社―万葉集 巻一 八

―その1832―

●歌は、「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」である。

松山市梅田町 松山梅田町郵便局万葉歌碑(額田王

●歌碑は、松山市梅田町 松山梅田町郵便局にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「額田王歌」<額田王が歌>である。

 

◆熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜

       (額田王 巻一 八)

 

≪書き下し≫熟田津(にきたつ)に船(ふな)乗(の)りせむと月待てば潮(しほ)もかなひぬ今は漕ぎ出(い)でな

 

(訳)熟田津から船出をしようと月の出を待っていると、待ち望んでいたとおり、月も出(で)、潮の流れもちょうどよい具合になった。さあ、今こそ漕(こ)ぎ出そうぞ。(同上)

(注)熟田津:松山市和気町・堀江町付近。(伊藤脚注)

(注)かなふ【適ふ・叶ふ】自動詞:適合する。ぴったり合う。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

左注は、「右檢山上憶良大夫類聚歌林曰 飛鳥岡本宮御宇天皇元年己丑九年丁酉十二月己巳朔壬午天皇大后幸于伊豫湯宮 後岡本宮馭宇天皇七年辛酉春正月丁酉朔壬寅御船西征 始就于海路 庚戌御船泊于伊豫熟田津石湯行宮 天皇御覧昔日猶存之物 當時忽起感愛之情 所以因製歌詠為之哀傷也 即此歌者天皇御製焉 但額田王歌者別有四首」<右は、山上憶良大夫が類聚歌林に検すに、曰(い)はく、「飛鳥(あすか)岡本の宮に天の下知らしめす天皇の元年己丑(うちのとうし)の、九年丁酉(ひのととり)の十二月己巳(つちのとみ)の朔(つきたち)の壬午(みづのえうま)に、天皇・大后、(おほきさき)、伊予(いよ)の湯の宮に 幸(いでま)す。後(のち)の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の七年辛酉(かのととり)の春の正月丁酉(ひのととり)の朔(つきたち)の壬寅(みづのえとら)に、御船西つかたに征(ゆ)き、始めて海路(うみぢ)に就(つ)く。 庚戌(かのえいぬ)に、御船伊予の熟田津の石湯(いはゆ)の行宮(かりみや)に泊(は)つ。 天皇、昔日(むかし)のなほし存(のこ)れる物を御覧(みそこなは)して、その時にたちまち感愛の情(こころ)を起したまふ。この故(ゆゑ)によりて歌詠(みうた)を製(つく)りて哀傷(かな)しびたまふ」といふ。すなはち、この歌は天皇の御製なり。ただし、額田王が歌は別に四首あり>である。

(注)飛鳥(あすか)岡本の宮に天の下知らしめす天皇:三四代舒明天皇

(注)壬午;舒明九年(637年)十二月十四日。

(注)壬寅:斉明七年(661年)正月六日。

(注)庚戌:正月十四日

(注)泊(は)つ:斉明天皇疲労により道後温泉で静養したらしい。三月二十五日近くまでここにいた。(伊藤脚注)

(注)昔日:亡き夫君舒明と来た昔日。(伊藤脚注)

(注)歌詠(みうた)を製(つく)りて哀傷(かな)しびたまふ:類聚歌林には、斉明天皇の哀傷歌を載せ、滞在中の歌、さらに船出宣言の歌を載せていたらしい。(伊藤脚注)

(注)天皇の御製:額田王が「熟田津(にきたつ)に・・・」の歌を代作したのでこの伝えがある。(伊藤脚注)

(注)別に四首あり;この四首は今に伝わらず不明となっている。(伊藤脚注)

 

 松山梅田町郵便局には、正岡子規の句碑も立てられている。

松山梅田町郵便局と万葉歌碑


 

 これまで見てきたなかで郵便局に立てられていた歌碑は二基である。「高島市勝野 高島郵便局」と「高岡市野村 いわせ野郵便局」である。

 「高島市勝野 高島郵便局」の歌碑についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その254)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 「高岡市野村 いわせ野郵便局」の歌碑についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その857)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

―その1833―

●歌は、「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」である。

松山市古三津 久枝神社万葉歌碑(額田王

●歌碑は、松山市古三津 久枝神社にある。

 

●歌をみてみよう。

 

歌は前稿(その1833)と同じである。

 

 巻一 八歌については、額田王全十二首とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1139)で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

久枝神社万葉歌碑説明案内碑

鳥居と社殿

神社名碑

久枝神社由緒



 

 

■■■11月8日~11日鳥取・島根・山口・岡山万葉歌碑巡り■■■

■■11月8日鳥取→島根■■

≪旅程≫自宅→鳥取市国府町中郷 因幡国庁跡→同町庁 大伴家持の歌碑→同町町屋 袋川水辺の楽校→同町町屋 因幡万葉歴史館→倉吉市南昭和町 深田公園→倉吉市国府 伯耆国分寺跡→米子市彦名町 米子水鳥公園駐車場→同町 粟嶋神社→島根県松江市 阿太加夜神社→益田市ホテル

 

■■11月9日島根→山口■■

≪旅程≫益田市ホテル→島根県邑智郡邑南町 志都岩屋神社→益田市高津町 県立万葉公園→同市西平原町 鎌手公民館→同市喜河弥町 ふれあい広場→下関市ホテル

 

■■11月10日山口→岡山■■

下関市ホテル→角島小学校(廃校)→神田小学校(廃校)→毘沙の鼻→倉敷市ホテル

 

■■11月11日岡山■■

倉敷市ホテル→岡山市南区西紅陽台干拓記念碑→マービーふれあいセンター→自宅

 

 

 ※歌碑の紹介は順次行ってまいります

 

 走行距離1660km。後期高齢者にとっては結構厳しいドライブでした。

 今回の歌碑巡りでは、鳥取市国府町庁の大伴家持の歌碑(巻20-4516)が、万葉集最後の歌でもあり是非行って見たかったの目玉であった。

鳥取市国府町庁プチ公園



 2020年10月27日に訪れた時は、マービーふれあいセンターは、2018年の西日本豪雨により被災したため再建途上にあった。新建屋が今年3月に完成、業務を再開したとのことで訪れたにである。周辺の道路等まだまだ工事中の所が多いが、力強く復興している様に胸がうたれた。

マービーふれあいセンター

 角島大橋は観光としてはすばらしく、角島側の瀬崎陽(あかり)公園と本土側の海士ヶ瀬(あまがせ)公園両方から角島大橋を見ることができた。歌碑巡り様々である。角島小学校も、本土の神田小学校も廃校になっており時の流れの寂しさを感じた。

角島側の瀬崎陽(あかり)公園から見た角島大橋

本土側海士ヶ瀬公園からみた角島大橋




 次稿では、8日の鳥取県の万葉歌碑巡りを紹介させていただきます。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」