万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2163)―山口県―

山口県岩国市柱野  柱野小学校万葉歌碑(巻四 五六七)■

山口県岩国市柱野  柱野小学校万葉歌碑(山口忌寸若麻呂) 20221130撮影 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「大宰大監大伴宿祢百代等贈驛使歌二首」<大宰大監大伴宿禰百代ら、駅使(はまゆづかひ)に贈る歌二首>である。

 

◆周防在 磐國山乎 将超日者 手向好為与 荒其道

       (山口忌寸若麻呂 巻四 五六七)

 

≪書き下し≫周防(すは)にある岩国(いはくに)山を越えむ日は手向(たむ)けよくせよ荒しその道

 

(訳)周防(すおう)の国に聞こえた岩国(いわくに)山を越える日には、峠の神に心こめて手向(たむ)けをしなさい。けわしくて危険ですよ、その道は。(伊藤 博著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)周防:山口県東南部。(伊藤脚注)

(注)いはくにやま【磐国山・岩国山】:山口県岩国市多田西方、欽明路峠付近の山。中国街道の要所で坂道の険しいことで知られた。古くは紅葉の名所。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

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感想(1件)

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2101)」で紹介している。

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山口県周防大島町 大多麻根神社万葉歌碑(巻十五 三六三八)■

山口県周防大島町 大多麻根神社万葉歌碑(田辺秋庭) 20221130撮影

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「過大嶋鳴門而經再宿之後追作歌二首」<大島(おほしま)の鳴門(なると)を過ぎて再宿(さいしゆく)を経ぬる後(のち)に、追ひて作る歌二首>

(注)大島の鳴門:山口県屋代島と本州との間の大畠の瀬戸。(伊藤脚注)

(注)さいしゅく【再宿】〘名〙:二夜続けて宿泊すること。二晩どまり。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)追ひて作る歌:後になって回想して作る歌。(伊藤脚注)

 

◆巨礼也己能 名尓於布奈流門能 宇頭之保尓 多麻毛可流登布 安麻乎等女杼毛

       (田辺秋庭<遣新羅使人等> 巻十五 三六三八)

 

≪書き下し≫これやこの名に負(お)ふ鳴門の渦潮(うづしほ)に玉藻刈(たまもか)るとふ海人娘子(あまをとめ)ども

 

(訳)これがまあ、名にし負う鳴門の渦潮、その渦潮に棹(さお)さして玉藻を刈るという、海人娘子たちなのか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)これやこの 【此や此の・是や此の】分類連語:これこそあの例の。これがあの。 ※「や」は係助詞。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 左注は、「右一首田邊秋庭」<右の一首は田辺秋庭(たなべのあきにわ)>である。

(注)田辺秋庭:伝未詳

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2100)」で紹介している。

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山口県周防大島町 塩竃神社万葉歌碑(巻十五 三六二一)■

山口県周防大島町 塩竃神社万葉歌碑(遣新羅使人等) 20221130撮影

●歌をみていこう。

 

 三六一七から三六二一歌の歌群の題詞は、「安藝國長門嶋舶泊礒邊作歌五首」<安芸(あき)の国の長門(ながと)の島にして磯部(いそへ)に舶泊りして作る歌五首>である。

(注)安芸の国:広島県西部。(伊藤脚注)

(注)長門(ながと)の島:呉市の南の倉橋島。(伊藤脚注)

 

◆和我伊能知乎 奈我刀能之麻能 小松原 伊久与乎倍弖加 可武佐備和多流

       (遣新羅使人等 巻十五 三六二一)

 

≪書き下し≫我(わ)が命(いのち)を長門(ながと)の島の小松原(こまつばら)幾代(いくよ)を経(へ)てか神(かむ)さびわたる

 

(訳)我が命よ、長かれと願う、長門の島の小松原よ、いったいどれだけの年月を過ごして、このように神々(こうごう)しい姿をし続けているのか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)わがいのちを【我が命を】[枕]:わが命長かれの意から、「長し」と同音を含む地名「長門(ながと)」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)かみさぶ【神さぶ】自動詞:①神々(こうごう)しくなる。荘厳に見える。②古めかしくなる。古びる。③年を取る。 ※「さぶ」は接尾語。古くは「かむさぶ」。(学研)ここでは①の意

(注)神さびわたる:このように神々しい姿をしているのか。歌詠の場をほめることで旅の安全を祈り、三六一七以下の全体を結ぶ。(伊藤脚注)

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2099)」で紹介している。

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山口県平生町佐賀 佐賀地域交流センター尾国分館万葉歌碑(巻十五 三六四二)■

山口県平生町佐賀 佐賀地域交流センター尾国分館万葉歌碑(遣新羅使人等) 
20221130撮影

●歌をみていこう。

 

◆於枳敝欲理 之保美知久良之 可良能宇良尓 安佐里須流多豆 奈伎弖佐和伎奴

       (遣新羅使人等 巻十五 三六四二)

 

≪書き下し≫沖辺(おきへ)より潮(しほ)満ち来(く)らし可良(から)の浦にあさりする鶴(たづ)鳴きて騒(さわ)きぬ

 

(訳)沖の方から今にも潮が満ちて来るらしい。可良(から)の浦で餌(え)をあさっている鶴、その鶴が盛んに鳴き騒いでいる。(伊藤 博 著「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)可良(から)の浦:熊毛の浦の一部。(伊藤脚注)

 

 

この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2098)」で紹介している。

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山口県下関市豊北町角島 角島小学校万葉歌碑(巻十六 三八七一)■

山口県下関市豊北町角島 角島小学校万葉歌碑(作者未詳) 20221110撮影

●歌をみていこう。

 

◆角嶋之 迫門乃稚海藻者 人之共 荒有之可杼 吾共者和海藻

       (作者未詳 巻十六 三八七一)

 

≪書き下し≫角島(つのしま)の瀬戸のわかめは人の共(むた)荒かりしかど我(わ)れとは和海藻(にきめ)

 

(訳)角島の瀬戸で採れたわかめは、人中ではまるで荒藻(あらめ)だったけれど、俺とは和海藻(にきめ)なんだよな。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)角島:筑前の北方。山口県西北岸の島。(伊藤脚注)

(注)わかめ:若い女の譬え。(伊藤脚注)

(注)むた【共・与】名詞:…と一緒に。…とともに。▽名詞または代名詞に格助詞「の」「が」の付いた語に接続し、全体を副詞的に用いる。(学研)

(注)にきめ【和布・和海藻】名詞:柔らかな海藻。わかめの類。 ※「にき」は接頭語。中古以降は「にぎめ」。(学研)

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1988)」で紹介している。

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瀬崎陽(せさきあかり)公園「平城宮若海藻上進之地」の碑 20221110撮影

 「平城宮若海藻上進之地」の碑の説明碑には、1963年平城宮跡で発掘された「木簡」のなかに「長門国角島から都に送られた『わかめ』につけた木札の送り状が含まれていた」。天平十八年(748年)三月二十九日の日付が書かれており、「角島の海士ヶ瀬戸のわかめが・・・毎年税金として差し出されていたことがわかる」と書かれている。

古代から平安時代まで、贄(にえ)の貢進国、すなわち皇室・朝廷に海水産物を中心とした御食料を税金として貢いだと推定される国のことを御食国(みけつくに)といい若狭国志摩国淡路国などが該当するようである。

御食国(みけつくに)については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1946)」で紹介している。

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山口県下関市豊北町神田 神田小学校万葉歌碑(巻十六 三八七一)■

山口県下関市豊北町神田 神田小学校万葉歌碑(作者未詳) 20221110撮影

●歌をみていこう。

 

三八九〇~三八九九歌の題詞は、「天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言  兼帥如舊 上京之時傔従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首」<天平(てんぴやう)二年庚午(かのえうま)の冬の十一月に、大宰帥大伴卿(だざいのそちおほとものまへつきみ)、大納言に任(ま)けらえて、  帥を兼ねること旧のごとし 京に上(のぼ)る時に、傔従等(けんじゆら)、別に海路(かいろ)を取りて京に入る。ここに羇旅(きりよ)を悲傷(かな)しび、おのもおのも所心(おもひ)を陳(の)べて作る歌十首>である。

(注)十一月:大伴旅人の大納言遷任が発令された月。大宰府出発は十二月。(伊藤脚注)

(注)けんじゅう【傔従】:そば仕えの家来。近侍。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)別に海路:旅人の一行とは別に。身分の高い人は陸路を、低い人は海路を取るのが当時の決まり。(伊藤脚注)

 

◆昨日許曽 敷奈▼婆勢之可 伊佐魚取 比治奇乃奈太乎 今日見都流香母

       (作者未詳 巻十七 三八九三)

 ▼は「人偏」+「弖」→ 「敷奈▼」は「ふなで」

 

≪書き下し≫昨日(きのふ)こそ船出(ふなで)はせしか鯨魚(おさな)取(と)り比治奇(ひぢき)の灘(なだ)を今日(けふ)見つるかも            

 

(訳)船出したのは、つい昨日のことだと思っていた。なのに、音に聞こえた比治奇(ひぢき)の灘(なだ)を、はやもう今日は、この目でしかと見た。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)いさなとり【鯨取り】分類枕詞:いさな(=くじら)を捕る所の意から、「海」「浜」などにかかる。(学研)

(注)比治奇の奈太:…山口県西岸と福岡県北東岸で限られ,西は福岡県宗像(むなかた)郡の大島付近を境に玄界灘に接する。《万葉集》巻十七にみえる〈比治奇(ひじき)の奈太(なだ)〉は響灘か。古来,瀬戸内海と北九州や大陸とを結ぶ交通上重要な海域で,沿岸には多くの考古遺跡がある。…(コトバンク 世界大百科事典)

 この歌は、響灘の難所を過ぎて都に近づく喜びを詠っている。

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1989)」で紹介している。

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山口県下関市吉母 毘沙ノ鼻万葉歌碑(巻六 一〇二四)■

山口県下関市吉母 毘沙ノ鼻万葉歌碑(巨曾倍津島)

●歌をみていこう。

 

一〇二四から一〇二七歌の題詞は、「秋八月廿日宴右大臣橘家歌四首」<秋の八月の二十日に、右大臣橘家にして宴(うたげ)する歌四首>である。

 

長門有 奥津借嶋 奥真經而 吾念君者 千歳尓母我毛

       (巨曾倍津島 巻六 一〇二四)

 

≪書き下し≫長門(ながと)なる沖(おき)つ借島(かりしま)奥(おく)まへて我(あ)が思(おも)ふ君は千年(ちとせ)にもがも

 

(訳)わが任国、長門にある沖の借島のように、心の奥深くに秘めて私が思っているあなた様は、千年ものよわいを重ねていただきたいものです。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「奥まへて」を起す。(伊藤脚注)

(注)沖つ借島:下関市の蓋井(ふたおい)島か。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首長門守巨曽倍對馬朝臣」<右の一首は長門守(ながとのかみ)巨曽倍對馬朝臣(こそべのつしまのあそみ)>である。

 

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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1990)」で紹介している。

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本州最西端毘沙ノ鼻と万葉歌碑

 

 山口県の万葉歌碑はこの他にも防府市熊野神社裏山の人丸神社と畑人丸神社、祝島にも歌碑があるようである。しかし、人丸神社は、検索してもヒットしない。祝島は船で渡る必要がある。

 

人丸神社の歌碑について防府観光協会に確認を入れた。

熊野神社については、「道が狭く普通車では通行しにくい。また、歌碑への道は藪になっており今は行く人もいない」そして畑人丸神社については、「265段ある石段を上りきると境内で、拝殿左手のやまももの木の下に歌碑がある」との返事を頂いた。

米子粟嶋神社の187段の石段が相当きつかったことが頭をよぎる。年齢や前後の予定を考えあわせると見送らざるを得ないとの結論にたっしたのである

 いつか機会があれば・・・。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 世界大百科事典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典