●歌は、「萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花」である。
●歌碑(プレート)は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。
●歌をみていこう。
◆芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝▼之花 其二
(山上憶良 巻八 一五三八)
▼は「白」の下に「八」と書く。「朝+『白』の下に『八』」=「朝顔」
≪書き下し≫萩の花 尾花(をばな) 葛花(くずはな) なでしこの花 をみなへし また藤袴(ふぢはかま) 朝顔の花 その二
(訳)一つ萩の花、二つ尾花、三つに葛の花、四つになでしこの花、うんさよう、五つにおみなえし。ほら、それにまだあるぞ、六つ藤袴、七つ朝顔の花。うんさよう、これが秋の七種の花なのさ。(伊藤 博著「萬葉集 二」角川ソフィア文庫より)
この歌については、直近では、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2371)」で紹介している。
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一五三七・一五三八歌の題詞は、「山上臣憶良詠秋野花をむ歌二首」<山上臣憶良、秋野の花を詠む歌二首>である。それぞれ「其一」・「其二」という注が付けられている。一つの内容をなす謡い物であることを示している。
一五三七歌もみてみよう。
◆秋野尓 咲有花乎 指折 可伎數者 七種花 其一
(山上憶良 巻八 一五三七)
≪書き下し≫秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数(かぞ)ふれば七種(ななくさ)の花 その一
(訳)秋の野に咲いている花、その花を、いいか、こうやって指(および)を折って数えてみると、七種の花、そら、七種の花があるんだぞ。(同上)
(注)かきかぞふ【搔き数ふ】他動詞:数える。 ※「かき」は接頭語。(学研)
静岡県浜松市北区 万葉の森公園には、下記のような「秋の七草」に関する歌碑(プレート)が立てられている。
この歌碑(プレート)については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1538)」で紹介している。
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太宰府市大佐野大宰府メモリアルパークの両歌の歌碑は次の通りである。
この歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その907,908)」で紹介している。
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「東邦大学薬用植物園に咲いた秋の七草」の七種の花と薬効を解説したのが拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2097)」で紹介している。
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「秋の七種の花」それぞれの花にちなんだ歌を一首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1027)」で紹介している。
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上野 誠氏は、その著「万葉集の心を読む」(角川ソフィア文庫)のなかで、この二首について「はずしの芸」として次のようなユニークな論を展開しておられる。
「皆に期待をさせておいて、相撲の肩透かしのように、わざとはずして笑わせる、そういう芸もあるのです。だから、野次が飛ぶのも計算済みのことだったと考えられます。・・・憶良はまず、秋の野の花を指を折って数えてみると七種類ありまーす!、と歌います。
「秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り かき数(かぞ)ふれば 七種(ななくさ)の花[その一](秋の雑歌 巻八の一五三七)
つまり、憶良は聞き手に次の歌を期待させるのです。聞き手は、次の歌を、どのように歌うか注目するはずです。なにせ、七種もの花を歌わなくてはなりません。次の歌に注目したことでしょう。聞き耳を立てて、なにせ、遣唐使にもなった秀才・憶良。秋の野の花をどのように歌うか、その場に会していた一同は、注目していたと思います。すると彼はこう歌いました。
「萩の花 尾花(をばな) 葛花(くずはな) なでしこが花 をみなへし また藤袴(ふぢはかま) 朝顔が花[その二](秋の雑歌 巻八の一五三八)
なんと、ただ花の名前を並べただけです。関西のお笑い芸人なら「なんやそれ、そのままやんけ!」と頭を打つ場面でしょう。しかしそれは芸としてみれば、たいそう難しいものであったと思います。なぜならば、期待をもたせるためにじゅうぶんな間(ま)をためる必要があるからです。この「ため」がないと二首目の肩透かしがうまく活きません。」
そして「万葉びとに学ぶ宴会芸の極意」として、「即興性」と「意外性」をあげておられる。
万葉集は、二元の極致にある憶良のこのような歌と漢文や漢詩を駆使した「士(おのこ)」足るべく生きた骨太の歌をも収録し、万葉集そのものが「即興性」と「意外性」でもって今の世の我々にも物語っているのである。
憶良を万葉集をそう簡単には語らせてくれないとてつもない壁があるのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集の心を読む」 上野 誠氏 著 (角川ソフィア文庫)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」