●歌は、「玉かぎる夕さり来ればさつ人の弓月が岳に霞たなびく」である。

●歌碑は、天理市柳本町 山辺の道(崇神天皇陵の近く)にある。
●歌をみていこう。
◆玉蜻 夕去来者 佐豆人之 弓月我高荷 霞霏▼
(柿本人麻呂歌集 巻十 一八一六)
※ ▼は、「雨かんむり+微」である。「霏▼」で「たなびく」と読む。
≪書き下し≫玉かぎる夕(ゆふ)さり来(く)ればさつ人(ひと)の弓月が岳に霞たなびく
(訳)玉がほのかに輝くような薄明りの夕暮れになると、猟人(さつひと)の弓、その弓の名を負う弓月が岳に、いっぱい霞がたなびいている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)たまかぎる【玉かぎる】分類枕詞:玉が淡い光を放つところから、「ほのか」「夕」「日」「はろか」などにかかる。また、「磐垣淵(いはかきふち)」にかかるが、かかり方未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)さつひとの【猟人の】分類枕詞:猟師が弓を持つことから「弓」の同音を含む地名「ゆつき」にかかる。「さつひとの弓月(ゆつき)が嶽(たけ)」 ※「さつひと」は猟師の意。(学研)
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1186)」で、弓月が岳ならびに巻向山を詠んだ歌とともに紹介している。
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奈良県天理市の万葉歌碑でこれまで行けていなかった唯一の歌碑である。今回、行くにあたって、グーグルのストリートビューで確認ができたのでご対面がかなったのである。




今回の歌碑巡りは、これまで行けていなかった歌碑や、次稿で紹介しますが、前回訪問するもヨシ?や雑草に拒まれて巡り合うことができなかった歌碑、「万葉の旅 上 大和」(犬養 孝 著 平凡社ライブラリー)の歌や歌碑を紹介するなかで、機会を見て行ってみたいと思った歴史的遺産などこれまでの歌碑巡りを補完強化する意味合いがあります。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「グーグルストリートビュー」