万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その856)―旧二上まなび交流館―万葉集 巻十九 四一九二、四一九三

●歌は、「桃の花紅色ににほひたる面輪のうちに青柳の細き眉根を笑み曲がり・・・」と「ほととぎす鳴く羽触れにも散りにけり盛り過ぐらし藤波の花」である。

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二上まなび交流館万葉歌碑(大伴家持


 

●歌碑は、高岡市二上鳥越 旧二上まなび交流館にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「詠霍公鳥并藤花一首幷短歌」<霍公鳥(ほととぎす)幷(あは)せて藤の花を詠(よ)む一首并せて短歌>である。

 

◆桃花 紅色尓 ゝ保比多流 面輪乃宇知尓 青柳乃 細眉根乎 咲麻我理 朝影見都追 ▼嬬良我 手尓取持有 真鏡 盖上山尓 許能久礼乃 繁谿邊乎 呼等余米 旦飛渡 暮月夜 可蘇氣伎野邊 遥ゝ尓 喧霍公鳥 立久久等 羽觸尓知良須 藤浪乃 花奈都可之美 引攀而 袖尓古伎礼都 染婆染等母

               (大伴家持 巻十九 四一九二)

   ▼「『女+感」+嬬」=をとめ

 

≪書き下し≫桃の花 紅(くれなゐ)色(いろ)に にほひたる 面輪(おもわ)のうちに 青柳(あをやぎ)の 細き眉根(まよね)を 笑(ゑ)み曲(ま)がり 朝影見つつ 娘子(をとめ)らが 手に取り持てる まそ鏡 二上山(ふたがみやま)に 木(こ)の暗(くれ)の 茂き谷辺(たにへ)を 呼び響(とよ)め 朝飛び渡り 夕月夜(ゆふづくよ) かそけき野辺(のへ)に はろはろに 鳴くほととぎす 立ち潜(く)くと 羽触(はぶ)れに散らす 藤波(ふぢなみ)の 花なつかしみ 引き攀(よ)ぢて 袖(そで)に扱入(こき)れつ 染(し)まば染(し)むとも

 

(訳)桃の花、その紅色(くれないいろ)に輝いている面(おもて)の中で、ひときは目立つ青柳の葉のような細い眉、その眉がゆがむほどに笑みこぼれて、朝の姿を映して見ながら、娘子が手に掲げ持っている真澄みの鏡の蓋(ふた)ではないが、その二上山(ふたがみやま)に、木(こ)の下闇の茂る谷辺一帯を鳴きとよもして朝飛び渡り、夕月の光かすかな野辺に、はるばると鳴く時鳥、その時鳥が翔けくぐって、羽触(はぶ)れに散らす藤の花がいとおしくて、引き寄せて袖にしごき入れた。色が染みつくなら染みついてもかまわないと思って。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)「桃の花・・・まそ鏡」の箇所が序で、「二上山」を起こす。

(注)ゑみまぐ【笑み曲ぐ】自動詞:うれしくて笑いがこぼれる。(口や眉(まゆ)が)曲がるほど相好(そうごう)を崩す。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)まそかがみ【真澄鏡】名詞:「ますかがみ」に同じ。 ※「まそみかがみ」の変化した語。上代語。 >ますかがみ【真澄鏡】名詞:よく澄んで、くもりのない鏡。

(注)まそかがみ【真澄鏡】分類枕詞:鏡の性質・使い方などから、「見る」「清し」「照る」「磨(と)ぐ」「掛く」「向かふ」「蓋(ふた)」「床(とこ)」「面影(おもかげ)」「影」などに、「見る」ことから「み」を含む地名「敏馬(みぬめ)」「南淵山(みなぶちやま)」にかかる。

(注)かそけし【幽けし】形容詞:かすかだ。ほのかだ。▽程度・状況を表す語であるが、美的なものについて用いる。(学研) ⇒家持のみが用いた語

(注)はろばろなり【遥遥なり】形容動詞:遠く隔たっている。「はろはろなり」とも。 ※上代語。(学研) ⇒こちらは、家持が好んだ語

(注)たちくく【立ち潜く】自動詞:(間を)くぐって行く。 ※「たち」は接頭語。(学研)

 

 冒頭の序の部分は、巻十九の巻頭歌(四一三九歌)「春の園紅ひほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子」を意識している。

 

 

●短歌の方をみてみよう。

 

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側面の四一九三歌(大伴家持

◆霍公鳥 鳴羽觸尓毛 落尓家利 盛過良志 藤奈美能花  <一云 落奴倍美 袖尓古伎納都 藤浪乃花也>

                 (大伴家持 巻十九 四一九三)

 

≪書き下し≫ほととぎす鳴く羽触れにも散りにけり盛り過ぐらし藤波の花  <一には「散りぬべみ袖に扱入れつ藤波の花」といふ>

 

(訳)時鳥が鳴き翔ける羽触れにさえ、ほろほろと散ってしまうよ。もう盛りは過ぎているらしい、藤波の花は。<今にも散りそうなので、袖にしごき入れた、藤の花を>(同上)

 

左注は、「同九日作之」<同じき九日に作る>である。

  

  

 「鳴く羽触れにも散りにけり・・・藤波の花」、大画面で、スローモーションの鮮やかな画像を観ている感じである。たった十二文字で、時空を超えた情景が目の前に映し出されるのである

 

 旧二上山まなび交流館の庭には、六つのプレート状の歌碑とこの歌碑がある。

 最初見た時、庭のほぼ中央にある、巨大な何かの石碑という印象であった。六つの歌碑との落差に歌碑と認識していなかった。六つの歌碑を見終わって辺りを見わたすが、歌碑らしいものが見当たらない。この石碑を裏から見ているのでなおさらであった。 

まさかと思いながら、正面から見直して、改めて立派な歌碑であると認識したのである。

まなび交流館といった施設とかけ離れた存在に信じられない思いであった。(失礼)

四一九三歌は、側面に彫られていた。

 

 お忙しくされているのに、庭の歌碑の見学をお許しいただき申し訳ない思いで、感謝の気持ちと何とも言えない寂しさを感じた。

 

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閉館感謝の垂れ幕

 車のところに戻り、自然に深々と頭を下げた。

 

車に乗り込み次の目的地、高岡市野村 いわせ野郵便局へ向かった。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)

万葉歌碑を訪ねて(その855)―高岡市二上鳥越 旧二上まなび交流館(6)―万葉集 巻十八 四〇九一

●歌は、「卯の花のともにし鳴けばほととぎすいやめづらしも名告り鳴くなへ」である。

 

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二上まなび交流館(6)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、高岡市二上鳥越 旧二上まなび交流館(6)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆宇能花能 登聞尓之奈氣婆 保等登藝須 伊夜米豆良之毛 名能里奈久奈倍

                (大伴家持 巻十八 四〇九一)

 

≪書き下し≫卯(う)の花のともにし鳴けばほととぎすいやめづらしも名告(なの)り鳴くなへ

 

(訳)卯の花の連れ合いとばかり鳴くものだから、時鳥の、その鳴く声にはいよいよと心引かれるばかりだ。自分はホトトギスだとちゃんと名を名告って鳴くにつけても。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)とも【友】名詞:友人。仲間。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)なへ 接続助詞:《接続》活用語の連体形に付く。〔事柄の並行した存在・進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。 ※上代語。中古にも和歌に用例があるが、上代語の名残である。(学研)

 

 四〇八九から四〇九二歌までの歌群の題詞は、「獨居幄裏遥聞霍公鳥喧作歌一首幷短歌」<独り幄(とばり)の裏(うち)に居(を)り、遥(はる)かに霍公鳥(ほととぎす)の喧(な)くを聞きて作る歌一首幷(あは)せて短歌>である。

(注)幄(とばり)の裏(うち)に居(を)り:ここは部屋の中にいる、の意

(注)四〇八九歌の長歌は、四〇一一歌から、実に一年八か月ぶりの長歌である。

 

 

長歌と他の短歌二首をみてみよう。

 

◆高御座 安麻乃日継登 須賣呂伎能 可未能美許登能 伎己之乎須 久尓能麻保良尓 山乎之毛 佐波尓於保美等 百鳥能 来居弖奈久許恵 春佐礼婆 伎吉乃可奈之母 伊豆礼乎可 和枳弖之努波无 宇能花乃 佐久月多弖婆 米都良之久 鳴保等登藝須 安夜女具佐 珠奴久麻泥尓 比流久良之 欲和多之伎氣騰 伎久其等尓 許己呂都呉枳弖 宇知奈氣伎 安波礼能登里等 伊波奴登枳奈思

              (大伴家持 巻十八 四〇八九)

 

≪書き下し≫高御倉(たかみくら) 天(あま)の日継(ひつぎ)と すめろきの 神(かみ)の命(みこと)の きこしをす 国のまほらに 山をしも さはに多みと 百鳥(ももとり)の 来(き)居(ゐ)て鳴く声 春されば 聞きのかなしも いづれをか 別(わ)きて偲(しの)はむ 卯(う)の花の 咲く月立てば めづらしく 鳴くほととぎす あやめぐさ 玉貫(ぬ)くまでに 昼暮らし 夜(よ)わたし聞けど 聞くごとに 心つごきて うち嘆き あはれの鳥と 言はぬ時なし

 

(訳)高い御位にいます、日の神の後継ぎとして、代々の天皇が治めたまう国、この国のまっ只(ただ)中(なか)に、山が至る所にあるからとて、さまざまな鳥がやって来て鳴く声、その声は、春ともなると聞いてひとしお身にしみる。ただとりわけどの鳥の声を賞(め)でるというわけにはゆかない。が、やがて卯の花の咲く夏の四月ともなると、懐かしいも鳴く時鳥、その時鳥の声は、菖蒲(あやめ)を薬玉に通す五月まで、昼はひねもす、夜は夜通し聞くけれど、聞くたびに心がわくわくして、溜息(ためいき)ついて、ああ何と趣深き鳥よと、言わぬ時とてない。(同上)

(注)たかみくら【高御座】名詞:即位や朝賀などの重大な儀式のとき、大極殿(だいごくでん)または紫宸殿(ししんでん)の中央の一段高い所に設ける天皇の座所。玉座。(学研)

(注)あまつひつぎ【天つ日嗣ぎ】名詞:「天つ神」、特に天照大神(あまてらすおおみかみ)の系統を受け継ぐこと。皇位の継承。皇位。(学研)

(注)きこしおす【聞こし食す】[動]《動詞「聞く」の尊敬語「きこす」と、動詞「食う」の尊敬語「おす」の複合したもの》:「治める」の尊敬語。お治めになる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)まほら 名詞:まことにすぐれたところ。まほろば。まほらま。 ※「ま」は接頭語、「ほ」はすぐれたものの意、「ら」は場所を表す接尾語。上代語(学研)

(注)つきたつ【月立つ】分類連語:①月が現れる。月がのぼる。②月が改まる。月が変わる。(学研) ここでは②の意

(注)あやめぐさ 玉貫(ぬ)くまでに:菖蒲を薬玉に通す五月まで。

(注)くらす【暮らす】他動詞:①日が暮れるまで時を過ごす。昼間を過ごす。②(年月・季節などを)過ごす。月日をおくる。生活する。(学研)

(注)よわたし【夜渡し】[副]一晩中。夜どおし。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)心つごきて:心が激しく動いて

 

反歌」のほうにいってみよう。

 

◆由久敝奈久 安里和多流登毛 保等登藝須 奈枳之和多良婆 可久夜思努波牟

               (大伴家持 巻十八 四〇九〇)

 

≪書き下し≫ゆくへなくありわたるともほととぎす鳴きし渡らばかくや偲(しの)はむ

 

(訳)途方に暮れて日を送るようなことがあったとしても、時鳥が鳴きながら飛び渡って行きさえしたら、やはり今と同じように聞き惚(ほ)れることであろうよ。(同上)

(注)ゆくへなし【行く方無し】形容詞①どこへ行ったかわからない。行く先がわからない。②途方にくれる。(学研) ここでは②の意

(注)かくや偲(しの)はむ:やはり今と同じようにその声を賞(め)でるであろう。時鳥の声はいかなる時もめでたいという心。

 

 

◆保登等藝須 伊登祢多家口波 橘乃 播奈治流等吉尓 伎奈吉登余牟流

                (大伴家持 巻十八 四〇九二)

 

≪書き下し≫ほととぎすいとねたけくは橘(たちばな)の花(はな)散(ぢ)る時に来鳴き響(とよ)むる

 

(訳)時鳥、この鳥がやたら癪(しゃく)に障るのは、折しも橘の花が散る時にやって来て鳴きたてるせいなのだ。(同上)

(注)ねたし【妬し】形容詞:くやしい。しゃくだ。いまいましい。腹立たしい。憎らしい。(学研)

 

左注は、「右四首十日大伴宿祢家持作之」<右の四首は、十日に大伴宿禰家持作る>である。

 

 万葉集で、ほととぎすを詠った歌は百五十三首であり、大伴家持の歌が最も多く六十四首収録されている。

 岡山県自然保護センターの田中瑞穂氏は、その著「万葉の動物学」のなかで、鳥に関して面白い分析をされている。

 詠われている鳥の種類では、ホトトギスが百五十三首とトップであり、次いでカリ(六十七首)、ウグイス(五十一首)、ツル(四十七首)で、この四種の鳥で、鳥が詠われた3分の2を占め、なぜこの四種の鳥が多いのかを次のように考察されている。

  • 鳴き声が大きく、よく通る声で遠くまで聞こえること。
  • 鳴き声に特徴があって、他の鳥と間違えることがないこと。
  • 鳴く時期に、季節感を感じさせること。

 

 こういった鳥からの万葉集へのアプローチも面白い考え方である。ジャンルのプロがその立場で万葉集へアプローチするのは説得力がある。

万葉集の裾野の広さをそして魅力をより一層感じさせるのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「万葉の動物学」 田中瑞穂 著 (岡山県自然保護センター研究報告)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)

万葉歌碑を訪ねて(その854)―高岡市二上鳥越 旧二上まなび交流館(5)―万葉集 巻十七 三九七〇 

●歌は、「あしひきの山桜花一目だに君とし見てば我れ恋ひめやも」である。

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二上まなび交流館(5)万葉歌碑(大伴家持


 

●歌碑は、高岡市二上鳥越 旧二上まなび交流館(5)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆安之比奇能 夜麻佐久良婆奈 比等目太尓 伎美等之見氐婆 安礼古悲米夜母

                (大伴家持 巻十七 三九七〇)

 

≪書き下し≫あしひきの山桜花(やまさくらばな)一目だに君とし見てば我(あ)れ恋ひめやも

 

(訳)山々に咲きにおう桜の花、その花をを一目だけでもあなたと一緒に見られたなら、私がこんなに恋い焦がれることなどありましょうか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 天平十九年(747年)越中で初めて新春を迎えたが、家持は、2月下旬になって、病床に伏した。この時、悲しみにくれた長歌ならびに短歌を作って池主に贈っている。3月初めまでやり取りは続いたのであるが、家持にとって池主の歌の往来は、どれほど励みになったことであろうか。

 

 三九六九から三九七二歌は、このやり取りの中の歌である。

題詞は、「更歌一首幷短歌」<さらに贈る歌一首幷せて短歌>である。

 

(◆書簡)含弘之徳垂恩蓬軆不貲之思報慰陋心 戴荷来眷無堪所喩也 但以稚時不渉遊藝之庭横翰之藻自乏乎彫蟲焉 幼年未逕山柿之門 裁歌之趣詞失乎聚林矣 爰辱以藤續錦之言更題将石間瓊之詠 固是俗愚懐癖不能黙已 仍捧數行式酬嗤咲其詞曰                  

 

≪書簡書き下し≫含弘(がんこう)の徳は、恩を蓬軆(ほうたい)に垂れ、不貲(ふし)の思は、慰を陋心(ろうしん)に報(こた)ふ。来眷 (らいけん)を戴荷(たいか)し、喩(たと)ふるに堪(あ)ふるものなし。但以(ただし)、稚(わか)き時に遊芸(いうげい)の庭に渉(わた)らずして、横翰(わうかん)の藻(そう)、おのづからに彫虫(てうちゆう)に乏(とも)し。幼き年に山柿(さんし)の門に逕(いた)らずして、裁歌(さいか)の趣(おもぶき)、詞を聚林(じゆりん)に失(うしな)ふ。ここに、藤をもちて錦に続(つ)ぐ言(こと)を辱(かたじけな)みし、さらに石をもちて瓊(たま)に間(まじ)ふる詠(うた)を題(しる)す。もとよりこれ俗愚(ぞくぐ)にして癖(くせ)を懐(むだ)き、黙(もだ)してやむ能(あた)はず。よりて数行を捧げ、もちて嗤咲(しせう)に酬(むく)いむ。その詞に曰はく、

(注)含弘(がんこう)の徳:万事を含む広大無辺な御徳

(注)蓬体=蓬身(ほうしん):〘名〙 蓬(よもぎ)のような卑しい身。自分のことをへりくだっていう語。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)不貲(ふし)の恩:計り知れない御温情

(注)陋:〘名〙 (形動) 場所が狭いこと。また、見識が狭いこと、あるいは卑しいこと。醜いこと。また、そのようなさまや人。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)へり下っていう言葉。

(注)来眷 (らいけん)を戴荷(たいか)し:目をかけていただき。「眷(けん)」は、顧みる。「戴荷(たいか)」は、重荷を負わされる。

(注)ゆうげい【遊芸】:遊び・楽しみのためにする芸事。歌舞音曲・茶の湯・生け花など。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)横翰(わうかん)の藻(そう):筆から横溢する文章。

(注)彫虫>ちょうちゅうてんこく【彫虫篆刻】:詩文を作るのに、虫を彫り、篆字を刻みつけるように、細部まで技巧で飾りたてること。また、そのような技巧に走った内容のない文章。転じて、取るに足らないつまらない小細工。(goo辞書)

(注)山柿の門:家持が用いた用語か。和歌の道で、柿本人麻呂山部赤人山上憶良などを意識していると思われる。

(注)裁歌(さいか)の趣(おもぶき)、詞を聚林(じゆりん)に失(うしな)ふ:言葉の選び方が粗雑だ。「聚林」は叢(くさむら)や林のこと。文章の譬え。

(注)ししょう〔‐セウ〕【嗤笑】:[名](スル)あざけり笑うこと。嘲笑(ちょうしょう)。(weblio辞書 デジタル大辞泉)「咲」→「笑」?

 

 

◆於保吉民能 麻氣乃麻尓ゝゝ 之奈射加流 故之乎袁佐米尓 伊泥氐許之 麻須良和礼須良 余能奈可乃 都祢之奈家礼婆 宇知奈妣伎 登許尓己伊布之 伊多家苦乃 日異麻世婆 可奈之家口 許己尓思出 伊良奈家久 曽許尓念出 奈氣久蘇良 夜須家奈久尓 於母布蘇良 久流之伎母能乎 安之比紀能 夜麻伎敝奈里氏 多麻保許乃 美知能等保家婆 間使毛 遣縁毛奈美 於母保之吉 許等毛可欲波受 多麻伎波流 伊能知乎之家登 勢牟須辨能 多騰吉乎之良尓 隠居而 念奈氣加比 奈具佐牟流 許己呂波奈之尓 春花乃 佐家流左加里尓 於毛敷度知 多乎里可射佐受 波流乃野能 之氣美豆妣久ゝ 鸎 音太尓伎加受 乎登賣良我 春菜都麻須等 久礼奈為能 赤裳乃須蘇能 波流佐米尓 ゝ保比々豆知弖 加欲敷良牟 時盛乎 伊多豆良尓 須具之夜里都礼 思努波勢流 君之心乎 宇流波之美 此夜須我浪尓 伊母祢受尓 今日毛之賣良尓 孤悲都追曽乎流

               (大伴家持 巻十七 三九六九)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに しなざかる 越(こし)を治(おさ)めに 出(い)でて来(こ)し ますら我れすら 世間(よのなか)の 常しなければ うち靡き 床(とこ)に臥(こ)い伏(ふ)し 痛けくの 日に異(け)に増せば 悲しけく ここに思ひ出(で) いらなけく そこに思ひ出(で) 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを あしひきの 山きへなりて 玉桙(たまほこ)の 道の遠けば 間使(まつかひ)も 遣(や)るよしもなみ 思ほしき 言(こと)も通(かよ)はず たまきはる 命(いのち)惜(を)しけど せむすべの たどきを知らに 隠(こも)り居(ゐ)て 思ひ嘆かひ 慰(なぐさ)むる 心はなしに 春花(はるはな)の 咲ける盛りに 思ふどち 手折(たを)りかざさず 春の野の 茂(しげ)み飛び潜(く)く うぐひすの 声だに聞かず 娘女(をとめ)らが 春菜(はるな)摘(つ)ますと 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)の裾(すそ)の 春雨(はるさめ)に にほひひづちて 通(かよ)ふらむ 時の盛りを いたづらに 過ぐし遣(や)りつれ 偲はせる 君が心を うるはしみ この夜(よ)すがらに 寐(ゐ)も寝ずに 今日(けふ)もしめらに 恋ひつつぞ居(を)る。

 

(訳)大君の仰せのままに、幾重にも山坂を重ね隔てた越(こし)の国を治めにやって来た、一かどの官人であるはずの私、その私としたことが、人の世は無常なものだから、ぐったりと病の床に横たわる身となって、苦しみが日に日につのるばかりなので、悲しいことをあれこれ思い出し、つらいことをいろいろ思い出しては、嘆く空しさは休まることとてなく、思う空しさは苦しいことばかりなのに、重なる山々に隔てられて都への道が遠いものだから、こまごまと使いをやる手だてもなくて、言いたいことも伝えられないまま・・・、さりとて命は惜しいけれども、どうしたらよいのか手がかりもわからず、家(うち)に引き籠(こも)って思い悩んでは溜息(ためいき)つき、気晴らしになることは何にもないままに、春の花がまっ盛りだというのに、気心合った友と手折ってかざすこともなく、春の野の茂みを飛びくぐって鳴く鶯の声さえ聞くこともなく、娘子たちが春菜を摘まれるとて、紅の赤裳の裾が春雨に濡(ぬ)れてひときわ照り映(は)えながら往き来している、春たけなわの時、こんな佳き季節をただ空しくやり過ごしてしまって・・・。こうして心をかけて下さるあなたのお気持ちがありがたく、この夜も世通し眠りもせず、明けた今日も日がな一日、お逢いしたいと思いつづけています。(同上)

(注)しなざかる 分類枕詞:地名「越(こし)(=北陸地方)」にかかる。語義・かかる理由未詳。(学研)階段状に坂が重なって遠い意、家持の造語か。

(注)痛けく、悲しけく、いらなけく:痛し、悲し、いらなしの「ク語法」

(注の注)ク語法:活用語の語尾に「く(らく)」が付いて、全体が名詞化される語法。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)そら【空】名詞:気持ち。心地。▽多く打消の語を伴い、不安・空虚な心の状態を表す。(学研)

(注)山きへなりて:山が隔てとなって遠い道のりでもないのに。「き」は不明。

(注)たどき【方便】名詞:「たづき」に同じ。◆上代語。(学研)>たづき【方便】名詞:①手段。手がかり。方法。②ようす。状態。見当。 ⇒参考 古くは「たどき」ともいった。中世には「たつき」と清音にもなった。(学研)

(注)おもふどち【思ふどち】名詞:気の合う者同士。仲間。(学研)

(注)ひづつ【漬つ】自動詞:ぬれる。泥でよごれる。(学研) にほひひづちて>濡れて色が一層映えるさま。

(注)うるはしみ:ありがたく思い

(注)よすがら【夜すがら】名詞副詞:夜じゅう。夜通し。 ※「すがら」は接尾語。[反対語] 日(ひ)すがら。(学研)

(注)しみらに【繁みらに】副詞:ひまなく連続して。一日中。「しめらに」とも。 ⇒参考「夜はすがらに」に対して、常に「昼はしみらに」の形で使う。(学研)

 

 

他の短歌二首をみてみよう。

 

◆夜麻扶枳能 之氣美登眦久ゝ 鸎能 許恵乎聞良牟 伎美波登母之毛

               (大伴家持 巻十七 三九七一)

 

≪書き下し≫山吹の茂み飛(と)び潜(く)くうぐひすの声を聞くらむ君は羨(とも)しも

 

(訳)山吹の茂みを飛びくぐって鳴く鴬(うぐいす)の、その声を聞いておられるあなたは、何と羨(うらや)ましいことか。(同上)

 

 

◆伊泥多ゝ武 知加良乎奈美等 許母里為弖 伎弥尓故布流尓 許己呂度母奈思

 

≪書き下し≫出で立たむ力をなみと隠(こも)り居(ゐ)て君に恋ふるに心どもなし

 

(訳)外に立ち出る力もないと引き籠ってばかりいて、あなたに恋い焦がれていると、まるっきり心の張りがなくなってしまいます。(同上)

(注)行動を共にできない嘆きを恋歌仕立てにして全体を結んでいる。

 

左注は「三月三日大伴宿祢家持」<三月の三日、大伴宿禰家持>である。

 

 二月の二十日の三九六二歌の題詞に、「たちまちに枉疾(わうしつ)に沈み、ほとほとに泉路(せんろ)に臨む・・・」とある。「枉疾」の「枉」には、道理をゆがめる等の意味があるから、思いもかけない煩わしい病にかかり、「泉路」(黄泉へのみち。死出の旅路。<goo辞書>)をさまようほどの不安感にさいなまれていることがわかる。

 万葉時代の、鄙ざかる越中で病に倒れた家持の心中がうかがい知れる。

 万葉集巻五の「梅花の歌三二首」の八二九歌<薬師張子福子(くすしちやうじのふくじ)>、八三五歌<薬師高氏義道通(くすしかうじのよしみち)>に「薬師」が見える。

この「薬師」が、薬を取り扱い、病気の治療をする医師のことである。

 彼らは、大宰府の医師で正八位上相当の官人である。二人とも張氏、高氏という渡来人かその家系と思われ、その技術は大陸より持ち込まれたものである。このような薬師たちは、、中国の本草学を中心にした医療を行う者たちであったという。

 

 今は、コロナ禍の真っただ中にあるが、薬、医療技術、医療体制体制等万葉時代とは比べ物にはならないが、病に対する恐怖、不安感等は大きく変わっていない。

 万葉集を通して結局、「人」とはと考えさせられるのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「万葉神事語事典」 (國學院大學デジタルミュージアム

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「goo辞書」

 

 

 

 

 

万葉歌碑を訪ねて(その850,851,852,853)―高岡市二上鳥越 旧二上まなび交流館(1)~(4)―万葉集 巻四 七七三、巻十九 四一五九、巻二 一六六、巻十九 四一四三

―その850―

●歌は、「言とはぬ木すらあぢさゐ諸弟らが練りにむらとにあざむかえけり」である。

 

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二上まなび交流館(1)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、高岡市二上鳥越 旧二上まなび交流館(1)にある。

 

●歌をみていこう。

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その264)」で紹介している。

 ➡ 

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◆事不問 木尚味狭藍 諸弟等之 練乃村戸二 所詐来

                 (大伴家持 巻四 七七三)

 

≪書き下し≫言(こと)」とはぬ木すらあぢさゐ諸弟(もろと)らが練(ね)りのむらとにあざむかえけり

 

(訳)口のきけない木にさえも、あじさいのように色の変わる信用のおけないやつがある。まして口八丁の諸弟らの練りに練った託宣(たくせん)の数々にのせられてしまったのはやむえないことだわい。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)あぢさゐ:あじさいのように色の変わる信用のおけないものがある

(注)諸弟:使者の名か

(注)練のむらと:練に練った荘重な言葉の意か。「むらと」は「群詞」か。

 

 七七三歌は、大伴家持が久邇の京より坂上大嬢に贈った五首のうちの一首である。

 

 

 

―その851―

●歌は、「  磯の上のつままを見れば根を延へて年深くあらし神さびにけり」である。

 

●歌碑は、高岡市二上鳥越 旧二上まなび交流館(2)にある。

 

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二上まなび交流館(2)万葉歌碑(大伴家持

●歌をみていこう。

この歌については、直近ではブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その838)」で紹介している。

 ➡ 

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◆礒上之 都萬麻乎見者 根乎延而 年深有之 神佐備尓家里

              (大伴家持 巻十九 四一五九)

 

≪書き下し≫磯(いそ)の上(うへ)のつままを見れば根を延(は)へて年深くあらし神(かむ)さびにけり

 

(訳)海辺の岩の上に立つつままを見ると、根をがっちり張って、見るからに年を重ねている。何という神々しさであることか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)としふかし【年深し】( 形ク ):何年も経っている。年老いている。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)あらし 分類連語:あるらしい。あるにちがいない。 ※なりたち ラ変動詞「あり」の連体形+推量の助動詞「らし」からなる「あるらし」が変化した形。ラ変動詞「あり」が形容詞化した形とする説もある。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

標題は、「季春三月九日擬出擧之政行於舊江村道上属目物花之詠并興中所作之歌」<季春三月の九日に、出擧(すいこ)の政(まつりごと)に擬(あた)りて、古江の村(ふるえのむら)に行く道の上にして、物花(ぶつくわ)を属目(しょくもく)する詠(うた)、并(あは)せて興(きよう)の中(うち)に作る歌>である。

 

題詞は、「過澁谿埼見巌上樹歌一首  樹名都萬麻」<澁谿(しぶたに)の埼(さき)を過ぎて、巌(いはほ)の上(うへ)の樹(き)を見る歌一首   樹の名はつまま>である。

 

 

―その852―

●歌は、「磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに」である。

 

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二上まなび交流館(3)万葉歌碑(大伯皇女)

●歌碑は、高岡市二上鳥越 旧二上まなび交流館(3)にある。

 

●歌をみていこう。

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その173)」で紹介している。

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◆磯之於尓 生流馬酔木乎 手折目杼 令視倍吉君之 在常不言尓

              (大伯皇女 巻二 一六六)

 

≪書き下し≫磯(いそ)の上(うえ)に生(お)ふる馬酔木(あしび)を手折(たを)らめど見(み)すべき君が在りと言はなくに

 

(訳)岩のあたりに生い茂る馬酔木の枝を手折(たお)りたいと思うけれども。これを見せることのできる君がこの世にいるとは、誰も言ってくれないではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 大津皇子二上山(奈良・大阪)に移葬されたときに詠ったとされる歌であるので、二上山が縁で、ここ二上山まなび交流館に歌碑(プレート)が建てられたのだろう。

 

万葉集で馬酔木が詠われている歌は十首収録されている。この歌を含めすべて、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その204)」で紹介している。

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―その853―

●歌は、「もののふの八十娘子らが汲み乱ふ寺井の上の堅香子の花」である。

 

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二上まなび交流館(4)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、高岡市二上鳥越 旧二上まなび交流館(4)にある。

 

●歌をみていこう。

この歌については、直近では、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その823)」で紹介している。

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◆物部乃 八十▼嬬等之 挹乱 寺井之於乃 堅香子之花

              (大伴家持 巻十九 四一四三)

     ※▼は「女偏に感」⇒「▼嬬」で「をとめ」

 

≪書き下し≫もののふの八十(やそ)娘子(をとめ)らが汲(う)み乱(まが)ふ寺井(てらゐ)の上の堅香子(かたかご)の花

 

(訳)たくさんの娘子(おとめ)たちが、さざめき入り乱れて水を汲む寺井、その寺井のほとりに群がり咲く堅香子(かたかご)の花よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)もののふの【武士の】分類枕詞:「もののふ」の「氏(うぢ)」の数が多いところから「八十(やそ)」「五十(い)」にかかり、それと同音を含む「矢」「岩(石)瀬」などにかかる。また、「氏(うぢ)」「宇治(うぢ)」にもかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

 今年3月に閉館が決まり、備品や機材等の整理等でバタバタされている中を、庭まで案内していただき、歌碑群を見ることができた。

 中央の立派な歌碑や、庭のあちこちにある歌碑(プレート)はどうなるんだろうと思いながら、しっかり写真に収めさせていただいた。

 現地に来て閉館を知り、半ば諦めかけていたのであったが、ありがたいことである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)

 

万葉歌碑を訪ねて(その848,849)― 高岡市城光寺 旧二上山郷土資料館、高岡市二上山山頂 家持像台座―万葉集 巻十七 三九八七

 

●歌は、どちらも「玉櫛笥二上山に鳴く鳥の声の恋しき時は来にけり」である。

 

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二上山郷土資料館万葉歌碑(大伴家持

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二上山山頂大伴家持像台座万葉歌碑(大伴家持

 

●歌碑は「その848」が、高岡市城光寺 旧二上山郷土資料館にある。そして「その849」は、高岡市二上山山頂 家持像台座にある。

 

●歌をみていこう。

この歌は、「二上山の賦」の短歌二首の一つであり、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その824)」で紹介している。

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◆多麻久之氣 敷多我美也麻尓 鳴鳥能 許恵乃孤悲思吉 登岐波伎尓家里

               (大伴家持 巻十七 三九八七)

 

≪書き下し≫玉櫛笥(たまくしげ)二上山に鳴く鳥の声の恋(こひ)しき時は来にけり

 

(訳)玉櫛笥二上山に鳴く鳥の、その声の慕わしくならぬ季節、待ち望んだ時は、今ここにとうとうやって来た。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】名詞:櫛(くし)などの化粧道具を入れる美しい箱。 ※「たま」は接頭語。歌語。

たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】分類枕詞:くしげを開けることから「あく」に、くしげにはふたがあることから「二(ふた)」「二上山」「二見」に、ふたをして覆うことから「覆ふ」に、身があることから、「三諸(みもろ)・(みむろ)」「三室戸(みむろと)」に、箱であることから「箱」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

二上山山頂に至る二上山万葉ラインのほぼ真ん中あたりに「旧二上山郷土資料館」がある。同資料館は平成25年に閉館になったという。

高岡市万葉歴史館HPに次のように書かれている。

二上山郷土資料館は昭和44年(1969)に開館しました。二上山の地層・地質に関する資料や、鳥類・蝶・貝類などの剥製や化石、二上山のパノラマ模型などのほか、奈良時代大伴家持二上山を見事に詠んでいたことから、『万葉集』に関わる絵や書なども収蔵・展示し、多くの人たちに親しまれた博物館でした。

平成25年(2013)に惜しまれつつ閉館しましたが、資料の一部を高岡市立博物館が引き継ぎ、また万葉集関係資料は昨年(2019)、当館が受け継ぎました。(後略)」

 

廃屋となった博物館の前の駐車場であったと思しき空き地の奥に、寂しそうに歌碑は佇んでいた。

歌碑の建てられているところは、土が掘り返されたような感じで写真を撮るための足場を決めにくい状態であった。

いずれどこかに移されるのであろう。

 

次は、山頂である。

途中展望台のようなものがあった。車を止め周りを探したが、歌碑らしいものが見当たらない。車に戻ろうとすると、先に車を止めていた3人のご婦人たちが、わが車のナンバープレートを見て、「わざわざ京都から・・・」とか会話しているのが聞こえて来る。

 

 そこからしばらく行くと、山を少し登ったところに大伴家持像が確認できた。

台座の歌のプレートもカメラに収めた。

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二上山山頂大伴家持

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大伴家持二上山」解説案内板(二上山の賦と短歌)



 

 山頂と言う言葉が頭に残っていたので、銅像のところから上って行かないともう一つの歌碑にたどり着けないと思い込んでしまっていた。あとで調べると「万葉植物園」であることが判明した。調査不足と現地でのマップの確認を怠ったせいである。

諦めたのに諦めきれない思いが湧いて来た。また一つ宿題を残してしまった。

 

 次は、山を下って、「二上山まなび交流館」である。

 交流館に到着するが、正面玄関の入口の上に垂れ幕が。

そこには、「永い間ご利用いただきありがとうございました。二上まなび交流館」と書かれている。

 少し奥まったところに車を止める。

 建屋と建屋の間から庭らしきものが見える。建屋には、張り紙がしてある。「閉館となりました。トイレをご利用される方はご連絡下さい」といった文言である。

 庭らしきところは、BBQなどできるような施設前の広場である。植栽もなされているのでぶらついてみる。施設の要所々々は、フェンスで閉鎖されており、その広場からは外へは行けないようになっている。静まり返っており、歌碑どころではない。

折角来たのに・・・。

 

 貼り紙から、どなたかはいらっしゃるはずと、ダメもとでインターフォンを押す。

 係の女性の方が出てこられた。歌碑を見に来た旨を話す。

 一旦、中に戻られ確認をされたようである。

嬉しいことに、OKがでたのである。

 玄関奥のところから庭に下りられるとのことで、バタバタされているのにそこまで案内していただいた。館内の道具や備品をどこかに移動する作業をしておられたのである。

 申し訳ない気持ちで、庭に下りて行き、歌碑やプレートの写真を撮らせていただいた。

 

 歌碑の歌の解説は次号で行います。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「高岡市万葉歴史館」

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)

 

万葉歌碑を訪ねて(その847)―高岡市伏木一宮 大伴神社―万葉集 巻十七 三九五四

●歌は、「馬並めていざ打ち行かな渋谿の清き磯廻に寄する波見に」である。

 

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大伴神社万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、高岡市伏木一宮 大伴神社にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆馬並氐 伊射宇知由可奈 思夫多尓能 伎欲吉伊蘇未尓 与須流奈弥見尓

               (大伴家持 巻十七 三九五四)

 

≪書き下し≫馬並(な)めていざ打ち行かな渋谿(しぶたに)の清き礒廻(いそみ)に寄する波見(み)に

 

(訳)さあ、馬を勢揃いして鞭打ちながらでかけよう。渋谿の清らかな磯べにうち寄せる波を見に。(同上)

(注)渋谿:富山県高岡市太田(雨晴)の海岸。 

 

この歌は、宴にあって、現地を賛美し場をまとめる歌である。

 

三九四三から三九五五歌の歌群の題詞は、「八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌」<八月の七日の夜に、守(かみ)大伴宿禰家持が館(たち)に集(つど)ひて宴(うたげ)する歌>である。

 

この歌群の歌はすべてブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その844)」で紹介している。

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 国道415号線沿いの歌碑を巡った後、伏木駅前の駐車場に戻り、コンビニで買ったおにぎりなどを食べ、昼食を済ませ、氣多(けた)神社・大伴神社(氣多神社境内社)へと向かう。

 午前中に、「氣多神社口」交差点までは歩いて行って、氣多神社、大伴神社の神社名碑を確認しているので、簡単に行けるものと思っていた。

「万葉歌碑めぐりマップ」では、「氣多神社口」から「越中国分寺跡」を経て「氣多神社・大伴神社」に至り、万葉ラインへと道が書かれている、

 ナビに従って、交差点を左折、しばらく行くと「越中国分寺跡」の説明案内板があったので、ちょっと寄り道する。

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越中国分寺跡」説明案内板

 そこからナビ通りに行くが、「歌碑めぐりマップ」と違う方向に誘導される。携帯ナビでも行き着かない。国分寺跡の処を三度も行ったり来たりである。

 何としてでも行って見たいと思っていたのであるが、時間の都合もありあきらめる。

 苦渋の決断である。

 

 国道415号線をまた、戻り、「伏木国府」交差点から、二上山山頂と途中の旧二上山資料館を目指し、二上山万葉ラインを上る。無駄な動きである。でもしかたがない。

 山道ドライブである。つづら折れの山道を越えてしばらく行くとT字型の三叉路。正面には廃屋が。左右確認をする。と、左折するのであるが、「氣多神社0.9km」との標識が目に飛び込んでくる。

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「氣多神社」案内標識(ストリートビューから写真転用)

 あわててハンドルを右に。行けるところまで行って見よう。普通なら見落してしまうような標識である。(帰宅後ストリートビューで追跡して見ても、よく気が付けたものであると思う標識である、)

 舗装はされているが、道の脇は、草ぼうぼうで、ほとんど車が通った形跡がない。山側は溝、谷側は崖、しかも細い道。慎重にハンドルを握る。

 Uターンできそうなところもない。進むしかない。900mの長いこと。

 ようやく視界が開け、右手に神社らしきものが、左手に畑とその先の空き地が見えて来た。

 間違いない。氣多神社である。大伴神社である。

 大伴家持さんに誘導していただいたようなものである。

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「氣多神社名碑」と参道

 空き地に車を止め、いざ参道へ。「いざ打ち行かな社の歌碑見に」といった思いである。

 

 富山県公式サイト「とやま観光なび」の「越中万葉歌碑~氣多(けた)神社」には、次のように書かれている。

「氣多神社は、718年に僧行基が創建したと伝えられています。また天平年間(757~764年)に越中一ノ宮として能登一ノ宮の気多大社から晋請したとも言われています。

境内には、次の大伴家持の歌碑があります。

『馬並めて いざうち行かな 渋谿の 清き磯廻に 寄する波見に』大伴家持越中に赴任して最初に開いた宴の時に読まれた歌とされています。渋谿の磯とは、現在の雨晴海岸のことです。宴も終わりにさしかかった頃、家持が『みんなで海を見に行こう』と提案している歌です。

伝承によれば、この境内地の一角に越中総社(越中国内の有力諸社の神霊を国府城近くに集め祀った社) が建立されていたと伝えられています。家持は、越中赴任中に何度もこの総社を訪れたのでしょうか。境内には、大伴家持を祀る大伴神社もあり,毎年10月に大伴家持卿顕彰祭が行われます。この地で万葉人大伴家持卿を偲んでみてはいかがでしょうか。」

 

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大伴神社境内

大伴神社は、昭和60年に、地元の有志が、大伴家持を顕彰して、氣多神社境内に創建したそうである。

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大伴家持卿顕彰碑

天満宮には、横たわった牛(臥牛)の像が奉納されているが、これは、「菅原道真が、承和十二年(845年)の乙丑(きのとうし)の年生まれであり、延喜三年大宰府で亡くなった折、「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」との遺言により牛車で亡骸を運ぶ途中で車を曳く牛が座り込んで動かなくなり、付近の安楽寺に埋葬したという故事に由来している(北野天満宮HPより要約)」。これにあやかってかどうかわからないが、「いざ打ち行かな」といわんばかりの馬が奉納されている。

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馬の像

また、境内には大伴家持の「三賦の歌」にちなんだ「三賦の石」などもあり越中万葉が凝縮されていた。不思議な空間であった。

 

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越中三賦の石

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「三賦の石」説明碑

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)

★「富山県公式サイト『とやま観光なび』」

★「高岡市観光ポータルサイト『たかおか道しるべ』」

★「北野天満宮HP」

万葉歌碑を訪ねて(その845、846)―高岡市伏木 伏木中学校正門横、高岡市伏木古府 「伏木国府」交差点、―万葉集 巻十九 四一四八、巻十九 四二五〇

―その845-

●歌は、「杉の野にさ躍る雉いちしろく音にしも泣かむ隠り妻かも」である。

 

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伏木中学校正門横万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、高岡市伏木 伏木中学校正門横にある

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「聞暁鳴▼歌二首」<暁(あかとき)に鳴く雉(きざし)を聞く歌二首>である。

 ▼「矢」へん+「鳥」でキザシ

(注)きじ【雉・雉子】名詞:鳥の名。「きぎし」「きぎす」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

◆椙野尓 左乎騰流▼ 灼然 啼尓之毛将哭 己母利豆麻可母

               (大伴家持 巻十九 四一四八)

  ▼「矢」へん+「鳥」でキザシ

 

 

≪書き下し≫杉(すぎ)の野にさ躍(おど)る雉(きざし)いちしろく音(ね)にしも泣かむ隠(こも)り妻(づま)かも

 

(訳)杉林の野で鳴き立てて騒いでいる雉(きざし)よ、お前は、はっきりと人に知られてしまうほど、たまりかねて声をあげて泣くような隠り妻だというのか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)をどる【踊る・躍る】自動詞:飛び跳ねる。跳ね上がる。はやく動く。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)いちしろし【著し】形容詞:「いちしるし」に同じ。 ※上代語 

>いちしるし【著し】形容詞:明白だ。はっきりしている。 ※参考 古くは「いちしろし」。中世以降、シク活用となり、「いちじるし」と濁って用いられる。「いち」は頭語。(学研)

(注)こもりづま【隠り妻】名詞:人の目をはばかって家にこもっている妻。人目につくと困る関係にある妻や恋人。(学研)

 

 

もう一首もみてみよう。

 

◆足引之 八峯之▼ 鳴響 朝開之霞 見者可奈之母

               (大伴家持 巻十九 四一四九)

    ▼「矢」へん+「鳥」でキザシ

 

≪書き下し≫あしひきの八(や)つ峰(を)の雉(きざし)鳴き響(とよ)む朝明(あさけ)の霞(かすみ)見れば悲しも

 

(訳)あちこちの峰々の雉、その雉が鳴き立てる明け方の霞、この霞を見るとやたらと悲しい思いにかきたてられる。(同上)

(注)あしひきの【足引きの】分類枕詞:「山」「峰(を)」などにかかる。語義・かかる理由未詳。 ※中古以後は「あしびきの」とも。(学研)

 

 朴炳植(パクビョングシク)氏は、「万葉集の発見 『万葉集』は韓国語で歌われた(学習研究社)」の中で、「(前略)この歌語の語源は、二通り考えられる。その一は『アシ=非常に悪い』『ヒ=形容詞語尾で、・・・のような』『キ=もの』、総合すると『非常に悪いもの』の意で『非常に嶮しい・非常に荒れた』という意味である。その二は「アシ=非常に偉大な・非常に厳かな」で、あとは前の解釈と同じで『非常に雄大な・非常に威勢のある』である。(中略)ちなみに、『足(アシ)』の語源も『最も下のもの』でああり、それは一の意味と同じである。『アシ様ニ言ウ』は、『非常に悪く言う』ことであることは言うまでもない。二の場合の『ア』は『上・偉大』などの意味で。『シ』は最上級比較の『非常に』と使われた場合である。」

 食文化のなかの朝鮮語などを見て行くと様々のことが見えて来る。

万葉集言語学的アプローチも面白いように思える。また一つの課題が増えた感じである。

 

―その846―

●歌は、「しなざかる越に五年住み住みて立ち別れまく惜しき宵かも」である。

 

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高岡市伏木古府 「伏木国府」交差点万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、高岡市伏木古府 「伏木国府」交差点にある。

 

●歌をみていこう。

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その820)」で紹介している。

➡ 

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◆之奈謝可流 越尓五箇年 住ゝ而 立別麻久 惜初夜可毛

               (大伴家持 巻十九 四二五〇)

 

≪書き下し≫しなざかる越に五年住み住みて立ち別れまく惜しき宵かも

 

(訳)都を離れて山野層々たる越の国に、五年ものあいだ住み続けて、今宵かぎりに立ち別れゆかねばならぬと思うと、名残惜しい。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注) しなざかる 分類枕詞:地名「越(こし)(=北陸地方)」にかかる。語義・かかる理由未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典) 

 

枕詞「しなざかる」いついて、伊藤 博氏は、「万葉集 四(角川ソフィア文庫)」の脚注で「階段状に坂が重なって遠い意。家持の造語か。」と書いておられる。

 これに関しても、朴炳植(パクビョングシク)氏は、「万葉集の発見 『万葉集』は韓国語で歌われた(学習研究社)」の中で、「(前略)原形は『シナ』と『サカル』の複合したものである。『シナ』は『ヒナ』と同じ(ハ行→サ行変化)もので、『都から遠く離れた地・田舎』という意味である。(中略)『ザカル』は『サカル』が連濁したもので、『盛り』と同じ語源。つまり『シナザカル』とは、『非常に鄙びた』『たいへん都から離れた』という意味である(後略)」と書かれている。それなりに見方であると思える。

 

 

 「氣多神社口」交差点から引き返す形で、「万葉歴史館口」交差点を通り、「伏木古府」交差点を目指す。途中に、伏木中学校があり、正門横に四一四八歌の歌碑があった。瀟洒な歌碑である。中学校の辺りは、昔は杉林であったと側面に説明が書かれていた。

 伏木中学校からしばらく歩き、「伏木古府」交差点の歌碑を撮り終えた。これで、国道415号線沿いの五つの歌碑を巡り終えたのである。

 そこから伏木駅までも結構な距離である。勝興寺の屋根が見えていたので、そちらに方に歩いて行き、正門前から駅に戻れると考えていたが、土地勘ゼロの悲しさ、途中で歩いてこられた方に駅までの道を教えていただく。

 

 少し遠回りしたが、駐車場に戻り、コンビニで買ったおにぎりやパンで簡単な昼食を済ませる。

 さあ、次は、氣多神社・大伴神社である。

 カーナビに「氣多神社」の住所をインプット、いざ出発である。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集の発見 『万葉集』は韓国語で歌われた」 朴 炳植 著 (学習研究社)」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉歌碑めぐりマップ」 高岡地区広域圏事務組合)