●歌は、「馬並めていざ打ち行かな渋谿の清き磯廻に寄する波見に(大伴家 17-3954)」である。
【しぶたにの崎】
「大伴家持(巻十七‐三九五四)(歌は省略)・・・国分から海岸ぞいにJR氷見線に沿うて1キロ半、その付近の出崎(岩崎の鼻)が渋谿(しぶたに)崎だ。家持の『二上山賦』に『すめ神(かみ)の裾廻(すそみ)の山の渋谿(しぶたに)の崎の荒磯(ありそ)に』(巻十七‐三九八五)とあるように二上山系の北の出崎に当り、男岩・女岩などの奇岩に富んだ佳景の岬だ。家持は在任中、国庁から近いこの好風地にたびたび遊び、氷見の布勢水海(ふせのみずうみ)への往復にも嘆賞して、六首もこの崎を歌に詠み荒磯(ありそ)に佳景をたたえている。後年、この付近の海を「ありそうみ」(有磯海)と称するのも家持の歌から出たものであろう。
天平一八年(七四六)七月に赴任して、まだ間のない八月七日の国守館での夜の宴にこの佳景を推賞する者があったのだろう。これをきいて異国海景へのあこがれをうたったのがこの歌だ。イソミニと、ナミミニのミの音韻は当時異なっていたが類音をかさねるところにも、軽やかにはずむ思いがすなおにうち出されている。これが家持の渋谿へのいわば病みつきのようなもので、これからのちしばしば荒磯に寄せる波をたたえ、浜の上の月光にも見とれている。海のめずらしい大和からの家持にとって鄙のつれづれに詩情をかきたてるものがあったと思われる。いまこの付近は高岡市渋谷(しぶたに)といわれる。左手に能登半島、右手に立山連峯を望み、清い荒磯にはいまもしくしくに白波が寄せている。雨晴(あまはらし)・・・からは山裾にもはなれて北西氷見にかけての長汀白砂の松原つづきとなる。そこは万葉の『松田江の浜』(巻十七‐四〇一一)『松田江の長浜』(巻十七‐三九九一)の故地である。」(「万葉の旅 下 山陽・四国・九州・山陰・北陸」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
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(注)「渋谿」「渋谿の崎」の名は万葉中全部あわせて8となる。(犬養脚注)
犬養著解説文の地名等は下記を参照してください。

巻十七 三九五四歌をきていこう。
■■巻十七 三九四三~三九五五歌■■
歌群の題詞は、「八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌」<八月の七日の夜に、守(かみ)大伴宿禰家持が館(たち)に集(つど)ひて宴(うたげ)する歌>である。
(注)館:二上山東麓勝興寺あたりという。(伊藤脚注)
(注)宴:家持を歓迎する宴であろう。越中歌壇の出発を告げる大切な宴であった。(伊藤脚注)
■巻十七 三九五四歌■
◆馬並氐 伊射宇知由可奈 思夫多尓能 伎欲吉伊蘇未尓 与須流奈弥見尓
(大伴家持 巻十七 三九五四)
≪書き下し≫馬並(な)めていざ打ち行かな渋谿(しぶたに)の清き礒廻(いそみ)に寄する波見(み)に
(訳)さあ、馬を勢揃いして鞭打ちながらでかけよう。渋谿の清らかな磯べにうち寄せる波を見に。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
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(注)なむ 他動詞:並べる。連ねる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その847)」で高岡市伏木一宮 大伴神社万葉歌碑とともに紹介している。
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巻十七 三九四三~三九五五歌の歌群については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その844)」で紹介している。
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ブログを作成するにあたっていろいろ資料などを検索するが、先日、犬養 孝編著「わたしの万葉歌碑」がヒットした。興味がそそられるものがあったので、古書であるが、ネットで注文し取り寄せた。そこそこの美本であり、犬養 孝氏の署名もあった。
万葉集の世界に誘う誘引剤が飛んできたような気がする。ややマンネリ化している自分を奮い立たせる1冊となるだろう。


(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 下 山陽・四国・九州・山陰・北陸」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「わたしの万葉歌碑」 犬養 孝 編著 (社会思想社)
★「グーグルマップ」