●歌は、「春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子(大伴家持 19-4139)」である。
【越中国庁址(二)】
「大伴家持(巻十九‐四一三九)(歌は省略) 北国は冬が長く暗いだけに春は自然も人もよみがえる喜びだ。これは家持が越中でむかえる四度目の春、天平勝宝二年(七五〇)三月一日の夕方の歌だ。いまの四月中旬に当る。すでに歌や中国詩文による修練を加えてきたところで、妻を迎えた喜びの春だ。初句切・三句切・体言止で工夫をこらした鮮明な調べのうちに人と花とを映発させるコンポジションは、みごとに艶麗甘美な絵画的の世界をうち出している。この時より前には想像もおよばない世界だ。・・・家持生涯の歌のなかで花をよむこと、越中以前に約四〇、以後に約二五、越中時代は約七〇の多数におよぶという。・・・(巻十八‐四一一四)(歌は省略)の歌も越中のナデシコの花は奈良にある妻の笑みの美しさに通っているのだ。妻との距離のなくなった処に春の苑の秀歌が生れる。」(「万葉の旅 下 山陽・四国・九州・山陰・北陸」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
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巻十九 四一三九ならびに巻十八 四一一四歌をみていこう。
■巻十九 四一三九歌■
題詞は、「天平勝寳二年三月一日之暮眺曯春苑桃李花作二首」<天平(てんぴやう)勝宝(しようほう)二年の三月の一日の暮(ゆうへ)に、春苑(しゆんゑん)の桃李(たうり)の花を眺曯(なが)めて作る歌二首>である。
(注)天平勝宝二年:七五〇年。巻十九は、この年三月から天平勝宝五年二月までの歌を収める。家持が自信を誇った歌巻で、末四巻は巻十九を核にしつつ成立したらしい。(伊藤脚注)
(注)一日の暮に:以下、二日の歌四一七四まで一まとまりで、巻十九の巻頭歌群。一日の歌は、暮→夜の順で並ぶ。(伊藤脚注)
◆春苑 紅尓保布 桃花 下照道尓 出立▼嬬
(大伴家持 巻十九 四一三九)
※▼は、「女」+「感」、「『女』+『感』+嬬」=「をとめ」
≪書き下し≫春の園(その)紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照(したで)る道に出で立つ娘子(をとめ)
(訳)春の園、園一面に紅く照り映えている桃の花、この花の樹の下まで照り輝く道に、つと出で立つ娘子(おとめ)よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
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(注)春の園:桃花の咲く月に入ってその盛りを幻想した歌か。春苑・桃花・娘子の配置は中国詩の影響らしい。(伊藤脚注)
(注)したでる 【下照る】自動詞:花の色などで、その木の下が美しく照り映える。「したてる」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その825)」で高岡市伏木一宮 高岡市万葉歴史館入口「大伴家持・坂上大嬢像」歌碑とともに紹介している。
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続いて巻十八 四一一四歌をみてみよう。
■巻十八 四一一四歌■
題詞は、「庭中花作歌一首并短歌」<庭中の花を見て作る歌一首并せて短歌>である。長歌(四一一三)と反歌二首(四一一四、四一一五歌)からなっている。
◆奈泥之故我 花見流其等尓 乎登女良我 恵末比能尓保比 於母保由流可母
(大伴家持 巻十八 四一一四)
≪書き下し≫なでしこが花見るごとに娘子(をとめ)らが笑(ゑ)まひのにほい思ほゆるかも
(訳)なでしこの花を見るたびに、いとしい娘子の笑顔のあでやかさ、そのあでやかさが思われてならない。(同上)
(注)娘子:都の妻大嬢を、憧れをこめて呼んだ語。(伊藤脚注)
(注)ゑまひ【笑まひ】名詞:①ほほえみ。微笑。②花のつぼみがほころぶこと。(学研)ここでは①の意
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その357)で長歌・反歌二首とともに紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 下 山陽・四国・九州・山陰・北陸」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」