万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その80改)―長谷寺山門前―万葉集 巻七 一二七〇

●歌は、「こもりくの泊瀬の山に照る月はみちかけすてふ人の常なき」である。 

 

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長谷寺山門前万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、長谷寺山門前にある。

 

●歌を見てみよう。

 

◆隠口の 泊瀬之山丹 照月者 盈呉為焉 人之常無

                   (作者未詳 巻七 一二七〇)

 ※「かけ」の漢字が見当たらないので、「呉」としているが、口の所が日である。

 

≪書き下し≫こもりくの泊瀬(はつせ)の山(やま)に照る月は満(み)ち欠(か)けしけり人の常なき

 

(訳)あの泊瀬の山に照っている月は、満ちたり欠けたりしている。ああ、人もまた不変ではありえないのだ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)こもりくの【隠り口の】分類枕詞:大和の国の初瀬(はつせ)の地は、四方から山が迫っていて隠れているように見える場所であることから、地名の「初(=泊)瀬」にかかる。「こもりくの泊瀬(はつせ)」(weblio古語辞典>学研全訳古語辞典)

(注)つねなし【常無し】:変わりやすい。無常だ。はかない。(goo辞書)

 

 題詞は「寄物發思」である。 

(注)景物に寄せて、人生万般に関する感慨を述べた歌。

 

 初瀬(泊瀬)について、犬養 孝氏は、「万葉の大和路」(旺文社文庫)の中で次のように述べられている。

 「桜井市の東方、北は三輪山、南は忍坂(おさか)山のあいだの東にはいった谷は、初瀬(はつせ)である。まん中を初瀬川が東から西へ流れている。初瀬の名は万葉に三十八回出てくるがその中の十九例は、『隠口(こもりく)の』の枕詞を冠している。『山と山のあいだにかこまれた別天地』の心で、ほめ言葉であろう。万葉はすべて『はつせ』だが、いまは、『はせ』と呼ぶ。上流の初瀬には『長谷寺(はせでら)』がある。(中略)  初瀬川は今は水量は少ないが、平城遷都に際しても、この水運を利用したようであり、『泊瀬』には、船着き場的な意味合いがあったのであろう。」

 

 

 この日は、桜井市HPの「万葉歌碑>歌碑一覧」を参考に、三輪平等寺、金屋磯城瑞籬宮址、初瀬川堤(仏教伝来地の碑側)、金屋海柘榴市観音近くと万葉歌碑を巡って来た。もう一か所「桜井市水道局」に柿本人麻呂の歌碑があるとなっている。マップなども参考に検索するもヒットしない。県道199号線をしばらく走ると、式島橋北東詰交差点に至るも見つけられず、中和幹線道路と立体交差しているのでユーターンすべく幹線道路に沿って走る。  

 いたるところで長谷寺のぼたん祭りの案内が目につく。10連休に入れば近づけないのは明らか。長谷寺も2つ万葉歌碑があるので、方針変更、急きょ長谷寺を目指す。それでもそこそこの人である。駐車場に車を止め山門前の参拝入山受付に。拝観料を支払、万葉歌碑の場所を訪ねる。説明資料「大和國長谷寺 境内地図付き」をもらう。境内地図付きである。親切にその地図で場所を教えてもらった。受付のすぐそばと本堂前にある。

 ぼたんは咲き始めたところであるが、大輪の花があちこちで見られた。

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長谷寺登廊

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長谷寺のぼたん

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長谷寺のぼたん



(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の大和路」 犬養 孝/文 入江泰吉/写真 (旺文社文庫

★「(weblio古語辞典>学研全訳古語辞典)」

★「goo辞書」

 

※20210428朝食関連記事削除、一部改訂