万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その835)―高岡市伏木一宮 高岡市万葉歴史館四季の庭(8)―万葉集 巻十七 四〇〇六

●歌は、「かき数ふ二上山に神さびて立てる栂の木本も枝も同じときはに・・・」である。

 

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高岡市万葉歴史館四季の庭(8)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑(プレート)は、高岡市伏木一宮 高岡市万葉歴史館四季の庭(8)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「入京漸近悲情難撥述懐一首幷一絶」<京に入ることやくやくに近づき、悲情撥(はら)ひかたくして懐(おもひ)を述ぶる一首幷(あは)せて一絶>である。

(注)京に入る:税帳使として京にはいること。

(注)やくやく【漸漸】[副]:《「ようやく」の古形》だんだん。しだいに。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)ひじゃう【非情】名詞:感情を持たないこと。また、その物。木石の類。 ※仏教語。[反対語] 有情(うじやう)。(学研)

 

◆可伎加蘇布 敷多我美夜麻尓 可牟佐備弖 多氐流都我能奇 毛等母延毛 於夜自得伎波尓 波之伎与之 和我世乃伎美乎 安佐左良受 安比弖許登騰比 由布佐礼婆 手多豆佐波利弖 伊美豆河波 吉欲伎可布知尓 伊泥多知弖 和我多知弥礼婆 安由能加是 伊多久之布氣婆 美奈刀尓波 之良奈美多可弥 都麻欲夫等 須騰理波佐和久 安之可流等 安麻乃乎夫祢波 伊里延許具 加遅能於等多可之 曽己乎之毛 安夜尓登母志美 之努比都追 安蘇夫佐香理乎 須賣呂伎能 乎須久尓奈礼婆 美許登母知 多知和可礼奈婆 於久礼多流 吉民婆安礼騰母 多麻保許乃 美知由久和礼播 之良久毛能 多奈妣久夜麻乎 伊波祢布美 古要敝奈利奈波 孤悲之家久 氣乃奈我家牟曽 則許母倍婆 許己呂志伊多思 保等登藝須 許恵尓安倍奴久 多麻尓母我 手尓麻吉毛知弖 安佐欲比尓 見都追由可牟乎 於伎弖伊加婆乎志

               (大伴家持 巻十七 四〇〇六)

 

≪書き下し≫かき数(かぞ)ふ 二上山(ふたがみやま)に 神(かむ)さびて 立てる栂(つが)の木 本(もと)も枝(え)も 同(おや)じときはに はしきよし 我が背(せ)の君を 朝さらず 逢(あ)ひて言)こと)どひ 夕されば 手携(てたづさ)はりて 射水川(いづみがは) 清き河内(かふち)に 出で立ちて 我が立ち見れば 東(あゆの)風 いたくし吹けば 港(みなと)には 白波(しらなみ)高み 妻呼ぶと 渚鳥(すどり)は騒(さわ)く 葦(あし)刈ると 海人(あま)の小舟(をぶね)は 入江(いりえ(漕)こ)ぐ 楫(かぢ)の音(おと)高し そこをしも あやに羨(とも)しみ 偲(しの)ひつつ 遊ぶ盛りを 天皇(すめろき)の 食(を)す国なれば 御言(みこと)持ち 立ち別れなば 後(おく)れたる 君はあれども 玉桙(たまほこ)の 道行く我れは 白雲(しろくも)の たなびく山を 岩根踏(ふ)み 越えへなりなば 恋(こひ)しけく 日(け)の長けむぞ そこ思(も)へば 心し痛し ほととぎす 声にあへ貫(ぬ)く 玉にもが 手に巻き持ちて 朝夕(あさよひ)に 見つつ行(ゆ)かむを 置きて行(い)かば惜し

 

(訳)一つ二つと指折り数えるその二上山に、神々しい生い立っている栂の木、この栂の木は幹も枝先も同じようにいつも青々と茂っているが、そのように同じ族(やから)としてともに生い栄えて慕わしいあなた、そのあなたと朝ごとに顔を合わせては安否を尋ね合い、夕方になると手を取り合って射水川の清らかな川ふちに出で立って、二人して川岸にたたずみ見れば、海の方からあゆの風が激しく吹きつけるので、河口には白波が高く立って連れ合いを呼ぶとて洲鳥(すどり)は鳴き騒いでいるし、葦を刈るとて海人の小舟は入江を漕ぐ櫂(かい)の音を高く響かせている。そんなところがむしょうに懐かしく、賞(め)でながら遊ぶのにいちばんよい折なのに、天皇の代々治め給うこの国であることとて、貴い仰せを体して都へと出で立ち相別れてしまったならば、あとに残るあなたはともかく、遠い道のりを行く私の方は、白雲のたなびく山々、その山の険しい岩を踏みしめながら越えて遠く隔たってしまったならば、あなた恋しい日がいつまでも続くことになるのです。そのことを思っただけでも心が痛みます。我が時と鳴く時鳥の声に合わせて緒(お)に通すことのできる玉であなたがあればよいのに、そしたら手に巻きつけて持って、朝ごと宵ごとに見つめながら行くことができましょうに。あなたを置き去りにして行くのはつらい。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)かきかぞふ【搔き数ふ】他動詞:数える。 ※「かき」は接頭語。

かきかぞふ【搔き数ふ】分類枕詞:「ひとつ、ふたつ」と数えるところから、

「二(ふた)」と同音を含む地名「二上山(ふたがみやま)」にかかる。(学研)

(注)ときは【常磐・常盤】名詞:永遠に変わることのない(神秘な)岩。 ※参考「とこいは」の変化した語。巨大な岩のもつ神秘性に対する信仰から、永遠に不変である意を生じたもの。(学研)

(注)本も枝も:家持と池主をさす

(注)あゆ【東風】名詞:東風(ひがしかぜ)。「あゆのかぜ」とも。 ※上代の北陸方言。(学研)

(注)すどり【州鳥/×渚鳥】: 州(す)にいる鳥。シギ・チドリなど。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)しも 副助詞:《接続》体言、活用語の連用形・連体形、副詞、助詞などに付く。〔多くの事柄の中から特にその事柄を強調する〕…にかぎって。)(学研)

(注)あやに【奇に】副詞:①なんとも不思議に。言い表しようがなく。②むやみに。ひどく。(学研)

(注)をす【食す】他動詞①お召しになる。召し上がる。▽「飲む」「食ふ」「着る」「(身に)着く」の尊敬語。②統治なさる。お治めになる。▽「統(す)ぶ」「治む」の尊敬語。 ※上代語。(学研)ここでは②の意

(注)たちわかる【立ち別る】自動詞:別れ行く。別れ去る。(学研)

(注)おくる【後る・遅る】自動詞:①あとになる。おくれる。②後に残る。取り残される。③先立たれる。生き残る。④劣る。乏しい。(学研)ここでは②の意

(注)へなる【隔る】自動詞:隔たっている。離れている。(学研)

(注)恋く(読み)こいしけく(形容詞「こいしい」のク語法): 恋しいこと。恋しく思うこと。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)あへぬく【合へ貫く】他動詞:合わせて貫き通す。(学研)

(注)もが 終助詞《接続》体言、形容詞・助動詞の連用形、副詞、助詞などに付く。:〔願望〕…があったらなあ。…があればなあ。 ※参考 上代語。上代には、多く「もがも」の形で用いられ、中古以降は「もがな」の形で用いられた。⇒もがな・もがも(学研)

 

 短歌の方もみてみよう。

 

◆和我勢故波 多麻尓母我毛奈 保登等伎須 許恵尓安倍奴吉 手尓麻伎弖由可牟

                (大伴家持 巻十七 四〇〇七)

 

≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)は玉にもがもなほととぎす声にあへ貫き手に巻きて行(ゆ)かむ

 

(訳)あなたは五月(さつき)の玉ででもあればよい。時鳥の声と一緒に緒に通して、手に巻いて行こう。(同上)

 

左注は、「右大伴宿祢家持贈掾大伴宿祢池主 四月卅日」<右は、大伴宿禰家持、掾(じよう)大伴宿禰池主に贈る。 四月の三十日>である。

 

 大伴池主については、株式会社平凡社世界大百科事典 第2版には、次のように書かれている。「奈良時代歌人。生没年不詳。746年(天平18)ころ越中掾(じよう)として大伴家持の配下にあり,家持との間に交わした多くの贈答歌を《万葉集》にとどめるが,大伴一族とあるのみで系譜は不明。のち越前掾に転じ,さらに中央官として都にかえった。757年(天平宝字1)橘奈良麻呂の変に加わって投獄され,その後は不明。(後略)」

 

池主とは、「かき数(かぞ)ふ 二上山(ふたがみやま)に 神(かむ)さびて 立てる栂(つが)の木 本(もと)も枝(え)も 同(おや)じときはに」と詠うほど信頼関係が強かったのである。

家持が越中に勤務した初めての新春に病に倒れた時に、池主との贈答歌で強い絆が出来上がっていった。また、池主の作風は後の家持の歌作に大きな影響を与えているといわれている。

 上京して後に、橘奈良麻呂の変で、池主との決別が待っていようとは、この時点では家持も知る由もなかったのである。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「株式会社平凡社世界大百科事典 第2版」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)