万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2411)―

だいだい

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「我妹子に逢はず久しもうましもの阿倍橘の苔生すまでに」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)(作者未詳) 20230926撮影

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾妹子 不相久 馬下乃 阿倍橘乃 蘿生左右

       (作者未詳 巻十一 二七五〇)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)に逢はず久しもうましもの阿倍橘(あへたちばな)の苔生(こけむ)すまでに

 

(訳)あの子に逢わないで随分ひさしいな。めでたきものの限りである阿倍橘が老いさらばえて苔が生えるまでも。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)うまし【甘し・旨し・美し】形容詞:おいしい。味がよい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)阿倍橘:「集中に詠まれた『阿倍橘』は、『和名抄』・『本草和名』に「橙(だいだい)・阿倍多知波奈(あべたちばな)」と記されているところから、現在ダイダイに比定されている。しかし、クネンボとする異説もある。」(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學万葉の花の会発行)

 

 この歌については、ダイダイとクネンボの説明と共に拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1494)」で紹介している。

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 「阿倍橘(あへたちばな)の苔生(こけむ)すまでに」は久しさの譬えである。

 

 「こけ」については、集中題詞に一首、「蘿席(こけむしろ)」が一首、他の十首は、すべて「こけむす」と詠まれている。

 みてみよう。

 

 

 

■巻二 一一三:題詞に「蘿生(こけむ)す」■

 題詞は、「従吉野折取蘿生松柯遣時額田王奉入歌一首」<吉野より蘿生(こけむ)す松が枝(え)を折り取りて遣(おく)る時に、額田王が奉(たてまつ)り入るる歌一首>である。

(注)蘿:古木に糸くず状に垂れ下がるサルオガセ。(伊藤脚注)

(注)遣(おく)る:松の枝に文を結んで送ったもの。送り主は弓削皇子。(伊藤脚注)

 

◆三吉野乃 玉松之枝者 波思吉香聞 君之御言乎 持而加欲波久

       (額田王 巻二 一一三)

 

≪書き下し≫み吉野の玉松が枝(え)ははしきかも君が御言(みこと)を持ちて通(かよ)はく

 

(訳)み吉野の玉松の枝はまあ何といとしいこと。あなたのお言葉を持って通ってくるとは。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)はし【愛し】[形]:いとしい。愛すべきである。かわいらし(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)通はく:通って来るとは。「通ふ」のク語法。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1041)」で紹介している。

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■巻二 二二八■  河辺宮人(かはへのみやひと)

◆妹之名者 千代尓将流 姫嶋之 子松之末尓 蘿生萬代尓

   (河辺宮人 巻二 二二八)

 

≪書き下し≫妹(いも)が名は千代(ちよ)に流れむ姫島の小松(こまつ)がうれに蘿生(こけむす)すまでに

 

(訳)このいとしいお方の名は、千代(ちよ)万代(よろずよ)に流れ伝わるであろう。娘子にふさわしい名の姫島の小松が成長してその梢(こずえ)に蘿(こけ)が生(む)すまでいついつまでも。(同上)

(注)千代に流れむ:漢籍に「名ハ世ニ流ル」などがある。その影響を受けた表現。(伊藤脚注)

(注)うれ【末】名詞:草木の枝や葉の先端。「うら」とも。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2111)」で紹介している。

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■巻三 二五九■

◆何時間毛 神左備祁留鹿 香山之 鉾椙之本尓 薜生左右二

       (鴨君足人 巻三 二五九)

 

≪書き下し≫いつの間(ま)も神(かむ)さびけるか香具山(かぐやま)の桙杉(ほこすぎ)の本(もと)に苔(こけ)生(む)すまでに

 

(訳)いつの間にこうも人気がなく神さびてしまったのか。香具山の尖(とが)った杉の大木の、その根元に苔が生すほどに。(同上)

(注)ほこすぎ【矛杉・桙杉】:矛のようにまっすぐ生い立った杉。(広辞苑無料検索)

(注)桙杉(ほこすぎ)の本(もと):矛先の様にとがった、杉の大木のその根元。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1466)」で紹介している。

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■巻六 九六二■

題詞は、「天平二年庚午勅遣擢駿馬使大伴道足宿祢時歌一首」<天平二年庚午(かのえうま)に、勅(みことのり)して 擢駿馬使(てきしゆんめし) 大伴道足宿禰(おほとものみちたりのすくね)を遣(つか)はす時の歌一首>である。

(注)天平二年:730年

(注)擢駿馬使:駿馬を選ぶために諸国に派遣される使。(伊藤脚注)

 

◆奥山之 磐尓蘿生 恐毛 問賜鴨 念不堪國

       (葛井連広成 巻六 九六二)

 

≪書き下し≫奥山の岩に苔生し畏くも問ひたまふかも思ひあへなくに

 

(訳)奥山の岩に苔が生えて神々しいように、恐れ多くもこの私に仰せになるのですね。“歌”などとても思案できませんのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「畏くも」を起す。(伊藤脚注)

(注)思ひあへなくに:歌らしい歌を思いつくはずもないのに。(伊藤脚注)

 

左注は、「右 勅使大伴道足宿祢饗于帥家 此日會集衆諸相誘驛使葛井連廣成言須作歌詞 登時廣成應聲即吟此歌」<右は、勅使(ちょくし)大伴道足宿禰に帥(そち)の家にして饗(あへ)す。 この日に、会集(つど)ふ衆諸(もろひと)、驛使(はゆまづかひ)葛井連広成(ふぢゐのむらじひろなり)を相誘(あひさそ)ひて、「歌詞を作るべし」といふ。その時に、広成声に応(こた)へて、即(すなは)ちこの歌を吟(うた)ふ>である。

 

 

 

■巻七 一一二〇■

三芳野之 青根我峯之 蘿席 誰将織 経緯無二

     (作者未詳 巻七 一一二〇)

 

≪書き下し≫み吉野の青根(あをね)が峰(みね)の蘿席(こけむしろ)誰(た)れか織(お)りけむ経緯(たてぬき)なしに

 

(訳)み吉野の青根が岳(たけ)の蘿(こけ)の莚(むしろ)は、いったい誰が織りあげたのであろう。縦糸や横糸の区別もなしに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)青根が峰:大峰山脈北部、奈良県吉野郡吉野町吉野山最南端にある標高858mの山。(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

(注)「蘿席」(こけむしろ):密生する蘿を莚に譬えた。(伊藤脚注)

(注の注)むしろ【筵・蓆・席】名詞:①藺(い)・藁(わら)・蒲(がま)・竹などで編んで作った敷物の総称。②(会合などの)場所。座席。席。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たてぬき【経緯】名詞:機(はた)の縦糸と横糸。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2013)」で紹介している。

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■巻七 一二一四■

◆安太部去 小為手乃山之 真木葉毛 久不見者 蘿生尓家里

       (作者未詳 巻七 一二一四)

 

≪書き下し≫安太(あだ)へ行く小為手(をすて)の山の真木(まき)の葉も久しく見ねば蘿(こけ)生(む)しにけり

 

(訳)安太(あだ)の地へ通ずる小為手(おすて)の山の杉や檜(ひのき)の葉も、久しく見ないうちに、蘿(こけ)生(む)すほどに茂ってしまった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)安太、小為手:所在不詳。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その722)」で紹介している。

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■巻七 一三三四■

奥山之 於石蘿生 恐常 思情乎 何如裳勢武

       (作者未詳 巻七 一三三四)

 

≪書き下し≫奥山の岩に苔生(こけむ)し畏(かしこ)けど思ふ心をいかにかもせむ           

 

(訳)奥山の岩という岩に苔が生えていて恐ろしくて仕方がないけれど、そこへ行きたいと思う心、この心をどうしたらよいのか。(同上)

(注)奥山の岩:高貴な女性。(伊藤脚注)

(注)「苔生す」は親の管理の譬え。(伊藤脚注)

 

 

 

■巻十一 二五一六■

◆敷細布 枕人 事問哉 其枕 苔生負為

       (作者未詳 巻十一 二五一六)

 

≪書き下し≫敷栲(しきたへ)の枕は人に言(こと)とへやその枕には苔生(こけむ)しにたり

 

(訳)枕は人に言葉をかけるものなのでしょうか。そんなことはございますまい。それが証拠に、仰せの枕には、一面に苔が生しています。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

 

 

 

■巻十一 二六三〇■

◆結紐 解日遠 敷細 吾木枕 蘿生来

       (作者未詳 巻十一 二六三〇)

 

≪書き下し≫結(ゆ)へる紐解(と)かむ日遠み敷栲(しきたへ)の我(わ)が木枕(こまくら)は苔生(こけむ)しにけり

 

(訳)あの人が結んでくれた紐、この紐を解く日がまだまだ先なので、私たちの木枕には苔が生えて来た。(同上)

(注)解かむ日遠み:解いて共寝する日が遠いので。長旅の夫を待つ女の歌か。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2374)」で紹介している。

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■巻十三 三二二七■

◆葦原笶 水穂之國丹 手向為跡 天降座兼 五百万 千万神之 神代従 云續来在 甘南備乃 三諸山者 春去者 春霞立 秋徃者 紅丹穂経 耳甞備乃 三諸乃神之 帶為 明日香之河之 水尾速 生多米難 石枕 蘿生左右二 新夜乃 好去通牟 事計 夢尓令見社 劔刀 齊祭 神二師座者

     (作者未詳 巻十三 三二二七)

 

≪書き下し≫葦原(あしはら)の 瑞穂(みずほ)の国に 手向(たむ)けすと 天降(あも)りましけむ 五百万(いほよろず) 千万神(ちよろずかみ)の 神代(かみよ)より 言ひ継(つ)き来る(きた)る 神(かむ)なびの みもろの山は 春されば 春霞(はるかすみ)立ち 秋行けば 紅(くれなゐ)にほふ 神なびの みもろの神の 帯(お)ばせる 明日香の川の 水脈(みを)早み 生(む)しかためかたき 石枕(いしまくら) 苔(こけ)生(む)すまでに 新夜(あらたよ)の 幸(さき)く通(かよ)はむ 事計(ことはか)り 夢(いめ)に見せこそ) 剣(つるぎ)大刀(たち) 斎(いは)ひ祭れる 神にしいませば

 

(訳)この尊い葦原の瑞穂の国に、手向(たむ)けをするための天降られた五百万(いおよろず)千万(ちよろず)神の、その神代の昔から、手向けの山と言い継がれきた神なびのみもろの山は、春が来ると春霞が立ち、秋になるともみじが照り輝く。この神なびのみもろの神が帯にしておられる明日香の川の、水の流れが早くて苔のつきにくい、その石枕に苔が生(む)す遠く久しい先々まで、来る夜来る夜の、幸福に通い続けられるような計らい、そんな事の計らいをどうか夢にお示しください。身を清めに清めてお祭りしている、われらの神様でいらっしゃるからには。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)手向けす:ここは、神々が瑞穂の国に奉仕する意。(伊藤脚注)

(注)五百万(いおよろず)千万(ちよろず)神:天孫迩迩芸命(ににぎのみこと)に従って天降った神々。(伊藤脚注)

(注)みもろ【御諸・三諸・御室】名詞:神が降臨して宿る神聖な所。磐座(いわくら)(=神の御座所)のある山や、森・岩窟(がんくつ)など。特に、「三輪山(みわやま)」にいうこともある。また、神座や神社。「みむろ」とも。(学研)

(注)生しためかたき:苔のつきにくい。(伊藤脚注)

(注)石枕:ごろごろと並んでいる石ころ(伊藤脚注)

(注)新夜の:「幸く」の枕詞的用法も兼ねる。(伊藤脚注)

(注の注)あらたよ【新夜】〘名〙:(日ごとに替わり改まってゆく夜の意から) 夜ごと夜ごと。毎夜。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)つるぎたち【剣太刀】分類枕詞:①刀剣は身に帯びることから「身にそふ」にかかる。②刀剣の刃を古くは「な」といったことから「名」「汝(な)」にかかる。③刀剣は研ぐことから「とぐ」にかかる。(学研)

 

 

 

■巻十三 三二二八■

◆神名備能 三諸之山丹 隠蔵杉 思将過哉 蘿生左右

       (作者未詳 巻十三 三二二八)

 

≪書き下し≫神なびのみもろの山に斎(いは)ふ杉思ひ過ぎめや苔(こけ)生(む)すまでに

 

(訳)神なびのみもろの山で、身を慎んであがめ祭る杉、その杉ではないが、私の思いが消えて過ぎることなどありはしない。杉に苔が生すほどに年を経ようとも。(同上)

        

 三二二七、三二二八歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その145)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 (國學院大學万葉の花の会発行)

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」