―その696―
●歌は、「春さればまづ咲くやどの梅の花ひとり見つつや春日暮らさむ」である。
●歌をみていこう。
◆波流佐礼婆 麻豆佐久耶登能 烏梅能波奈 比等利美都々夜 波流比久良佐武 [筑前守山上大夫]
(山上憶良 巻八 八一八)
≪書き下し≫春さればまづ咲くやどの梅の花ひとり見つつや春日(はるひ)暮らさむ [筑前守(つくしのみちのくちのかみ)山上大夫(やまのうへのまへつきみ)]
(訳)春が来るとまっ先に咲く庭前の梅の花、この花を、ただひとり見ながら長い春の一日を暮らすことであろうか。
大宰府で望郷の意を込め都に戻りたいと、上司の太宰帥である大伴旅人に「敢えて私懐を布(の)ぶる歌」として、「天離(あまざか)る鄙(ひな)に五年(いつとせ)住まひつつみやこのてぶり忘らえにけり」(巻五 八八〇)ならびに「我(あ)が主(ぬし)の御霊(みたま)賜(たま)ひて春さらば奈良の都に召上(めさ)げたまはね」(同八八二)と訴えている。考えようによっては、現在のサラリーマン社会にも通じる単身赴任者の心境である。
八一八歌も、大伴旅人の家にみんなで集まって、梅の花を愛でているのであるが、「梅の花ひとり見つつや春日(はるひ)暮らさむ」と、「ひとり」を強調した、やや蚊帳の外的な歌をうたっているが、これも八八〇、八八二歌に通じる心境であろうか。
題詞「梅花の歌三十二首幷せて序」については、
「序」は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その124-1)」➡ こちら序
「八一五から八二一歌」は、「同 (その124-2)」 ➡ こちら124-2
「八二二から八二八歌」は、「同 (その124-3)」 ➡ こちら124-3
「八二九から八三七歌」は、「同 (その124-4)」 ➡ こちら124-4
「八三八から八四六歌」は、「同 (その124-5)」 ➡ こちら124-5
で、それぞれ紹介している。
―その697―
●歌は、「我が背子は仮廬作らす草なくは小松が下の草を刈らさね」である。
●歌碑(プレート)は、和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園(1)にある。
●歌をみていこう。
◆吾勢子波 借廬作良須 草無者 小松下乃 草乎苅核
(中皇命 巻一 一一)
≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)は仮廬(かりいほ)作らす草(かや)なくは小松(こまつ)が下(した)の草(かや)を刈らさね
(訳)我が君は仮廬(かりいお)をお作りになる。佳(よ)きかやがないのなら、小松の下のかや、あのかやをお刈りなさい。(そうすればけがれなきめでたき一夜を過ごし得ましょう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)は 係助詞:《接続》体言、活用語の連用形・連体形、助詞など種々の語に付く。〔順接の仮定条件〕…ならば。▽形容詞型活用の語および打消の助動詞「ず」の連用形に付く。(学研)
一〇から一三歌の、題詞は、「中皇命徃于紀温泉之時御歌」<中皇命(なかつすめらみこと)、紀伊の温泉に徃(いでま)す時の御歌>である。
他の二首もみてみよう。
◆君之齒母 吾代毛所知哉 磐代乃 岡之草根乎 去来結手名
(中皇命 巻一 一〇)
≪書き下し≫君が代(よ)も我(わ)が代(よ)も知るや岩代(いはしろ)の岡の草根(くさね)をいざ結びてな
(訳)我が君の命も私の命をも支配している、岩代の岡の草根、この草根を結びましょう。(結んで互いの命の幸を祈りましょう。)(同上)
(注)君:男性への尊称。ここでは中大兄皇子をさす。
(注)しる【知る】他動詞:治める。統治する。(学研)
◆吾欲之 野嶋波見世追 底深伎 阿胡根能浦乃 珠曽不拾 <或頭云 吾欲 子嶋羽見遠>
(中皇命 巻一 一二)
≪書き下し≫我(わ)が欲(ほ)りし野島は見せつ底深き阿胡根(あごね)の浦の玉ぞ拾(ひり)はぬ <或いは頭に「我が欲りし子島は見しを」といふ>
(訳)私が見たいと待ち望んでいた野島は見せていただきました。しかし、そこ深い阿胡根の浦の珠(たま:魂)はまだ拾っていません。<私が見たいと待ち望んでいた子島は見ましたが>(同上)
(注)野島:和歌山県御坊市南部の島。見通しのきく、航海の安全を祈る地
(注)阿胡根の浦:野島付近だが所在未詳
(注)子島:所在未詳
左注は、「右檢山上憶良大夫類聚歌林曰 天皇御製歌云ゝ」<右は、山上憶良大夫が類聚歌林に検(ただ)すに、日はく、「天皇の御製歌云ゝ」といふ>である。
―その698―
●歌は、「岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた返り見む」である。
●歌碑(プレート)は、和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園(2)にある。
●歌をみていこう。
◆磐白乃 濱松之枝乎 引結 真幸有者 亦還見武
(有間皇子 巻二 一四一)
≪書き下し≫岩代(いはしろ)の浜松が枝(え)を引き結びま幸(さき)くあらばまた帰り見む
(訳)ああ、私は今、岩代の浜松の枝と枝を引き結んでいく、もし万一この願いがかなって無事でいられたなら、またここに立ち帰ってこの松を見ることがあろう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
題詞は、「有間皇子自傷結松枝歌二首」<有間皇子(ありまのみこ)、自みづか)ら傷(いた)みて松が枝(え)を結ぶ歌二首>である。
ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その197)」で、この二首を紹介している。持統天皇が紀伊の国に行幸されたときに、同行者らが、有間皇子に対して同情の念から詠った歌、一四三から一四六歌についても書き記している。
➡ こちら197
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」