万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1707)―香川県三豊市山本町辻 菅生神社(1)―万葉集 巻十七 四〇三一

●歌は、「中臣の太祝詞言言ひ祓へ贖ふ命も誰がために汝れ」である。

香川県三豊市山本町辻 菅生神社(1)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、香川県三豊市山本町辻 菅生神社(1)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

 題詞は、「造酒歌一首」<造酒(ざうしゆ)の歌一首>である。

 (注)造酒りは秋が普通。これは春の歌。めでたい歌を巻末歌としたものか。(伊藤脚注)

 

◆奈加等美乃 敷刀能里等其等 伊比波良倍 安賀布伊能知毛 多我多米尓奈礼

       (大伴家持 巻十七 四〇三一)

 

≪書き下し≫中臣(なかとみ)の太祝詞言(ふとのりとごと)言ひ祓(はら)へ贖(あか)ふ命(いのち)も誰(た)がために汝(な)れ

 

(訳)中臣の太祝詞言(ふとのりとごと)、その祝詞言を恭(うやうや)しく称(とな)えて穢(けが)れを祓い、御酒(ごしゅ)を捧(ささ)げて長かれと祈る私の命、この命は誰のためのものなのか、ほかでもない、みんなあなたのため。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)中臣(なかとみ)の太祝詞言(ふとのりとごと):中臣氏が管理する祝詞。「太」は讃め言葉。(伊藤脚注)

(注)言ひ祓(はら)へ贖(あか)ふ命(いのち):称(とな)えて穢れを祓い酒を捧げて長かれと祈る命。(伊藤脚注)

(注)あがふ【贖ふ】他動詞:①金品を代償にして罪をつぐなう。贖罪(しよくざい)する。②買い求める。 ※上代・中古には「あかふ」。後に「あがなふ」とも。(学研)

(注)誰(た)がために汝(な)れ:誰のためかというと、そなたのためなのだぞ。(伊藤脚注)

 

左注は、「右大伴宿祢家持作之」<右は、大伴宿禰家持作る>である。

 

 「多我多米尓奈礼」が「誰(た)がために」「汝(な)れ」と書き下されて全体が納得できたのである。

 

 菅生神社の石柱の「惟神」の文字の下にこの歌が刻されている。「中臣の太祝詞・・・」とあるから、神への祈りに関した歌であると考えていたが、「恋人への思い」の歌であるには、驚かされてのである。

(注)かんながら【随神/惟神】[副]《古くは「かむながら」と表記。「な」は格助詞「の」に同じ、「から」は素性・性質の意》:① 神であるままに。神として。② 神代のままに。神のおぼしめしのままに。

神社名碑と鳥居

菅生神社境内(歌碑は左手方向にある)



 この歌については、「はじめての万葉集vol.31」(奈良市HP)に詳しく解説されているのでみてみよう。(長いがそのまま引用させていただきます。)

 「新酒の仕込みに忙しい時期ですね。今月には大神(おおみわ)神社で醸造の安全を祈願する『酒まつり』が執り行われます。三輪は『万葉集』に『味酒(うまさけ)』の言葉が付けられるほど古くから酒と縁深い地域です。

 『万葉集』にはさまざまな酒の名前が出てきます。『吉備(きび)の酒』(巻四の五五四)、『君がため醸(か)みし待酒(まちざけ)』(巻四の五五五)、『糟湯酒(かすゆざけ)』(巻五の八九二)、『豊御酒(とよみき)』(巻六の九七三)、『黒酒白酒(くろきしろき)』(巻十九の四二七五)など、神事での酒、宴会での酒、親しい友人を想う酒といった、古代の豊かな酒文化をうかがい知ることができます。

 上の歌には『造酒歌一首』(酒を造れる歌一首)という題詞(タイトル)がついています。しかし恋心が詠まれており、酒との直接的な関わりがみられません。

 『万葉集』の巻十七から巻二十までは、大伴家持関連の歌々が年月日順に配列されています。そのため前後の歌から推測するに、この歌は家持が越中国(えっちゅうのくに)(現在の富山県)の国司(こくし)を勤めていた天平二十年(七四八)の春に詠まれたようです。この年、家持は出挙(すいこ)(利子付き貸与の慣行)のために越中国内を巡行(じゅんこう)しています。おそらくその勤めのなかで、酒造りに関わる経験を得て、あるいは醸造のときにうたう歌を聞き知ったことが、この歌を詠む契機になったと考えられています。

 中臣氏は宮中の神事を司った氏族です。その中臣氏が唱えるような立派な祝詞が造酒の際になされ、祓いをして祈願すると詠まれています。そうした酒造りに関わる神事の表現は、最後には一転して恋人への思いに集約されます。この意表を突いた表現の転換がこの歌の面白さではないでしょうか。(本文 万葉文化館 小倉久美子)」

※アンダーラインは追記させていただきました。

 

 

 折角なので、この解説に出てくる酒の歌をみてみよう。

 

■五五四歌■

◆古人乃 令食有 吉備能酒 病者為便無 貫簀賜牟

        (丹生女王 巻四 五五四)

 

≪書き下し≫古人(ふるひと)のたまへしめたる吉備(きび)の酒病(や)まばすべなし貫簀(ぬきす)賜(たば)らむ

 

(訳)昔馴染(むかしなじみ)の方が送って下さった吉備の酒、このお酒も飲み過ごして気分が悪くなったらどうしようもありません。今度は枕許(もと)に置く貫簀(ぬきす)を頂けたらと存じます。そしたら安心していただけましょう。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)古人:昔馴染。ここでは、大伴旅人をさす。(伊藤脚注)

(注)しむ 助動詞:《接続》活用語の未然形に付く。①〔使役〕…せる。…させる。②〔尊敬〕お…になる。…なさる。…あそばす。▽尊敬を表す語とともに用いて、より高い尊敬の意を表す。多く「しめ給(たま)ふ」の形で用いる。③〔謙譲〕…申し上げる。…させていただく。▽謙譲語「奉る」「啓す」などの下に付いて謙譲の意を強める。 ⇒語法 使役の「しむ」 尊敬語・謙譲語を伴わないで単独で用いられる「しむ」は、①の使役の意味で、上代にはほとんどこの意味で用いられた。 ⇒注意 「しめ給ふ」には二とおりあり、「…に」に当たる使役の対象の人物が文脈上存在する場合は使役、そうでない場合は最高敬語(二重敬語)と見てよい。(学研)

(注)ぬきす【貫簀】名詞:細く削った竹を糸で編んだすのこ。手を洗うとき、水が飛び散らないように、たらいの上などに置いた。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その18改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

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■五五五歌■

為君 醸之待酒 安野尓 獨哉将飲 友無二思手

     (大伴旅人 巻四 五五五)

 

≪書き下し≫君がため醸(か)みし待酒(まちざけ)安(やす)の野にひとりや飲まむ友なしにして

 

(訳)あなたのために醸造しておいた酒、せっかくのその酒を安の野でひとりさびしく飲むことになるのか。友もいないままに。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)まちざけ【待ち酒】名詞:客に飲ませるため、あらかじめ造っておく酒。(学研)

(注)安の野:福岡県朝倉郡内。蘆城の東南

 

 待ち酒が程よく醸造されるのを待たずに丹比縣守卿は大宰府を去って行ってしまった。結局一人で飲むことになるのかと嘆いている。

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1228)」で紹介している。

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■八九二歌■

次は、山上憶良貧窮問答歌(八九二歌)に歌われている「糟湯酒」である。

(注)糟湯酒:〘名〙 酒の糟を湯にといたもの。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

■九七三歌■

題詞は、「天皇賜酒節度使卿等御歌一首 幷短歌]」<天皇(すめらみこと)、酒を節度使の卿等(めへつきみたち)に賜(たま)ふ御歌一首 幷せて短歌]>である。

(注)天皇:四五代聖武天皇。(伊藤脚注)

(注)せつどし【節度使】名詞:奈良時代、地方の軍事力を整備・強化するために、東海・東山・山陰・西海・南海道などに派遣された、「令外(りやうげ)の官(くわん)」。(学研)

 

◆食國 遠乃御朝庭尓 汝等之 如是退去者 平久 吾者将遊 手抱而 我者将御在 天皇宇頭乃御手以 掻撫曽 祢宜賜 打撫曽 祢宜賜 将還来日 相飲酒曽 此豊御酒

      (聖武天皇 巻六 九七三)

 

≪書き下し≫食(を)す国の 遠(とほ)の朝廷(みかど)に 汝(いまし)らが かく罷(まか)りなば 平(たひら)けく 我(わ)れは遊ばむ 手抱(たむだ)きて 我(わ)れはいまさむ 天皇(すめら)我(わ)れ うづの御手(みて)もち かき撫(な)でぞ ねぎたまふ うち撫でぞ ねぎたまふ 帰り来(こ)む日 相(あひ)飲(の)まむ酒(き)ぞ この豊御酒(とよみき)

 

(訳)朕が治める国の遠く離れた政庁に、そなたたたちがこうして出向いたなら、心安らかに私は日々楽しんでいられよう。腕を組んで私は時を過ごしておいでになれよう。天皇たる私は、尊い御手で、そなたたちの髪を撫でてねぎらい給うぞ。そなたたちの頭(こうべ)を撫でてねぎらい給うぞ。そなたたちが帰って来る日、その日に相ともにまた飲む酒であるぞ。この奇(くす)しき酒は。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)をす【食す】他動詞:①お召しになる。召し上がる。▽「飲む」「食ふ」「着る」「(身に)着く」の尊敬語。②統治なさる。お治めになる。▽「統(す)ぶ」「治む」の尊敬語。 ※上代語。(学研)

(注)たひらけし【平らけし】形容詞:穏やかだ。無事だ。(学研)

(注)たむだく【拱く・手抱く】自動詞:両手を組む。何もしないで腕組みをする。「たうだく」とも。(学研)

(注)います【坐す・在す】自動詞:①いらっしゃる。おいでになる。▽「あり」の尊敬語。②おでかけになる。おいでになる。▽「行く」「来(く)」の尊敬語。(学研)

(注の注)いまさむ:自敬表現。下の「うづの御手もち」「ねぎたまふ」も同じ。天皇という絶対的地位に対する尊敬。(伊藤脚注)

(注)うづの御手もち:私の高貴なる手で。(伊藤脚注)

(注)とよみき【豊御酒】名詞:美酒。よい酒。▽酒をほめていう語。 ※「とよ」は接頭語。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1367)」で紹介している。

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■四二七五歌■

 題詞は、「廿五日新甞會肆宴應詔歌六首」<二五日に、新嘗会(にひなへのまつり)の肆宴(とよのあかり)にして詔(みことのり)に応(こた)ふる歌六首>である。

 

◆天地与 久万弖尓 万代尓 都可倍麻都良牟 黒酒白酒

      (文室智努真人 巻十九 四二七五)

 

≪書き下し≫天地と久しきまでに万代(よろづよ)に仕へまつらむ黒酒(くろき)白酒(しろき)

 

(訳)天地とともに遠い遠い先まで、万代にお仕えも仕上げよう。このめでたい黒酒や白酒を捧げて。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)くろき【黒酒】名詞:黒い酒。新嘗祭(にいなめさい)や大嘗祭(だいじようさい)で供えられる。 ※「き」は、酒の意。[反対語] 白酒(しろき)。(学研)

(注)しろき【白酒】名詞:新嘗祭(にいなめまつ)り・大嘗祭(だいじようさい)などに神前に供える白い酒。 ※「き」は酒のこと。[反対語] 黒酒(くろき)。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1055)」で紹介している。

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酒といえば、なんといっても大伴旅人の讃酒歌十三首であろう。

これについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その898-1,898-2)で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「はじめての万葉集vol.31」 (奈良市HP)