●歌は、「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(大伴家持 20-4516)」である。
【因幡国庁址】
「大伴家持(巻二十‐四五一六)(歌は省略)淳仁天皇の天平宝字三年(七五九)正月一日、饗を国や郡の役人らに賜わった新年賀会のおりの、因幡国守大伴家持の歌である。『万葉集』最後の歌でもあれば、年代のはっきりしたいちばん新しい歌でもあり、また、家持がこの世にのこした最後の歌でもある。その因幡国庁は鳥取駅の東南四キロ岩美郡国府町の地にあった。・・・こんにち大字庁の村落のなか、公民館と村の共同粉挽小屋に隣して、むくの木とたもの木の大樹の下に因幡国庁址の碑と大正一一年建碑の万葉歌碑、昭和三四年建碑の佐々木信綱の碑をたてている。・・・国庁址はおそらくこの碑の付近であったろう。・・・天ざかる異土の因幡でむかえたはじめての元日、野も里も白一色の中に、国守家持の双眸にうつる雪片の飛来も想像できるではないか。」(「万葉の旅 下 山陽・四国・九州・山陰・北陸」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
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(注)因幡国庁は昭和52年、国府町大字中郷の田の下、20数センチ付近から建物遺跡の柱根10棟余を発掘。国指定史跡。国府町は平成16年10月鳥取市に編入。(犬養脚注)
上記犬養解説文の地名等は下記の地図を参考にしてください。

巻二十 四五一六歌をみていこう。
■巻二十 四五一六歌
題詞は、「三年春正月一日於因幡國廳賜饗國郡司等之宴歌一首」<三年の春の正月の一日に、因幡(いなば)の国(くに)の庁(ちやう)にして、饗(あへ)を国郡の司等(つかさらに)賜ふ宴の歌一首>である。
(注)三年:天平宝字三年(759年)。
(注)あへ【饗】名詞※「す」が付いて自動詞(サ行変格活用)になる:食事のもてなし。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注の注)あへ【饗】:国守は、元日に国司・郡司と朝拝し、その賀を受け饗を賜うのが習い。(伊藤脚注)
◆新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰
(大伴家持 巻二十 四五一六)
≪書き下し≫新(あらた)しき年の初めの初春(はつはる)の今日(けふ)降る雪のいやしけ吉事(よごと)
(訳)新しき年の初めの初春、先駆けての春の今日この日に降る雪の、いよいよ積もりに積もれ、佳(よ)き事よ。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
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(注)上四句は実景の序。「いやしけ」を起す。正月の大雪は豊年の瑞兆とされた。(伊藤脚注)
(注)よごと【善事・吉事】名詞:よい事。めでたい事。(学研)
左注は、「右一首守大伴宿祢家持作之」<右の一首は、守(かみ)大伴宿禰家持作る>である。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1953)」で鳥取市国府町庁 史跡「万葉の歌碑」の歌碑とともに紹介している。
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「宮ノ下小学校前を千古の歴史を瀬音にのせて袋川(国府川)が流れています。
その袋川(国府川)を渡り、中郷集落を通り抜けると広い田園地帯が開けてきます。
この一帯が奈良、平安、鎌倉の各時代を通し政治、経済、文化の中心として多くの建物のあった因幡国府の境域です。現在、盛土と植樹によって装いをととのえ、御影石で表示した7000平方メートルの敷地となっています。
昭和52年、わずか20数センチの地下から柱根を残した建物遺構が発見され、国庁の中心建物であることが確認されました。その主な遺構は整然と並んだ掘立柱建物跡(地面 に穴を掘って柱を立てた建物跡)があり、その建物は10棟あまり見つかっています。その中に庇(ひさし)付きの大きな建物は、国司(国庁に勤める役人)が政治をおこなっていた正殿跡と考えられています。
また、正殿の後ろには、国守(国司の長官)が仕事をする後殿がありました。」


「因幡国庁跡の碑」 20221108撮影

なお、同歌の歌碑は因幡万葉歴史館にもある。これについては拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1957)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 下 山陽・四国・九州・山陰・北陸」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「鳥取県HP」
★「グーグルマップ」