●歌は、「夏まけて咲きたるはねずひさかたの雨うち降らばうつろひなむか」である。
●歌碑は、奈良市神功4丁目 万葉の小径(29)にある。
●歌をみていこう。
◆夏儲而 開有波祢受 久方乃 雨打零者 将移香
(大伴家持 巻八 一四八五)
≪書き下し≫夏まけて咲きたるはねずひさかたの雨うち降らばうつろひなむか
(訳)夏を待ち受けてやっと咲いたはねず、そのはねずの花は、雨でも降ったら色が褪(あ)せてしまうのではなかろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)まく【設く】他動詞:①前もって用意する。準備する。②前もって考えておく。③時期を待ち受ける。(その季節や時が)至る。 ※上代語。中古以後は「まうく」。ここでは、③の意(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)ひさかたの【久方の】分類枕詞:天空に関係のある「天(あま)・(あめ)」「雨」「空」「月」「日」「昼」「雲」「光」などに、また、「都」にかかる。語義・かかる理由未詳。(学研)
(注)うつろふ【移ろふ】自動詞:①移動する。移り住む。②(色が)あせる。さめる。なくなる。③色づく。紅葉する。④(葉・花などが)散る。⑤心変わりする。心移りする。⑥顔色が変わる。青ざめる。⑦変わってゆく。変わり果てる。衰える。 ※「移る」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」からなる「移らふ」が変化した語。(学研)ここでは②の意
「唐棣(はねず)は、今日のニワウメかと見られている。ニワウメはコウメとも呼ばれる落葉低木で、春の初めにかけて、葉が出る前にウメよりも小さい淡紅色の花をたくさん咲かせる。さらに、夏の盛りには、赤く澄んだ実をつけ、食用や薬用となる。ニワウメの名の由来は、庭に植える木で梅に似た花を咲かせるからだという。唐棣については、もちろん異説もあって、ニワザクラ、ザクロ、シモクレンなども挙げられている。
唐棣は、万葉集に四回歌われ、この歌以外はすべて唐棣色と書かれていて、花そのものよりも、はねず 色が興味の対象となっている。それは赤い色で、褪せやすい色でもあったから、うつろい易い恋心のありようを表すのにふさわしい色であった。
万葉びとは自分の嫌なことは歌わないから、雨もまた私たちとは異なる捉え方をするしていた。雨は百首を越える歌に詠まれ、確かに一面ではあるが、その条件を克服するところに、心の深さが示されていた。」(万葉の小径 はねずの歌碑)
歌碑の説明文にもあるように、花そのものよりはねず色が対象となっている他の三首は次の通りである。
◆不念常 日手師物乎 翼酢色之 變安寸 吾意可聞
(大伴坂上郎女 巻四 六五七)
≪書き下し≫思はじと言ひてしものをはねず色のうつろひやすき我(あ)が心かも
(訳)あんな人のことなどもう思うまいと口に出して言ったのに、なんとまあ変わりやすい私の心なんだろう。またも恋しくなるとは。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)はねずいろの【はねず色の】分類枕詞:はねず(=植物の名)で染めた色がさめやすいところから「移ろひやすし」にかかる。(学研)
◆山振之 尓保敝流妹之 翼酢色乃 赤裳之為形 夢所見管
(作者未詳 巻十一 二七八六)
≪書き下し≫山吹(やまぶき)のにほえる妹(いも)がはねず色の赤裳(あかも)の姿夢(いめ)に見えつつ
(訳)咲き匂う山吹のように美しいあでやかな子の、はねず色の赤裳を着けた姿、その姿が見え見えして・・・。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
◆唐棣花色之 移安 情有者 年乎曽寸経 事者不絶而
(作者未詳 巻十二 三〇七四)
≪書き下し≫はねず色のうつろひやすき心あれば年をぞ来(き)経(ふ)る言(こと)は絶えずて
(訳)変わりやすいはねずの花の色のような移り気な心をお持ちなので、お逢いできないまま年月を過ごしてきましたが。言伝てだけは絶やさずに。(伊藤 三)
いずれも、時とともに色褪せていく様を時間経過になぞらえての歌である。二七八六も夢にまで見たあの艶やかな姿もやがてといった気持ちがあるのだろう。夢から現実への時間経過を踏まえたのかも知らない。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」