●歌は、「 布勢の海の沖つ白波あり通ひいや年のはに見つつ偲はむ(大伴家持 17-3992)」である。
【布勢水海】
「大伴家持(巻十七‐三九九二)(歌は省略)こんにちは“松田江の浜”の裏側から氷見市街南西方十二町潟(じゅうにちょうがた)付近、さらに南西の山あいまで広々とした水田だが、万葉の当時は北側・西側の丘陵と二上山の山裾とのあいだに展開した布勢水海(ふせのみずうみ)と称する湖水だった。地図の横線の部分はほとんどもと湖底であったろう。土砂の堆積の上に、中世・近世と干拓がつづいて、現在は細長い十二町潟をのこすのみとなっている。
当時は国庁から近い上に、湖上の白波・水鳥・ホトトギス、わけて岸の藤波と景物が多く、家持はじめ官人らのたびたびの遊覧社交の場となっていた。『いつも通って毎年みよう』とあるように、歌では天平一九年四月と同二〇三月、天平勝宝二年四月六日と同一二日の四回の遊覧が見られる。これは第一回の時の歌だ。」(「万葉の旅 下 山陽・四国・九州・山陰・北陸」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
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上記、犬養解説文の地名等は下記の地図を参照してください。

巻十七‐三九九二歌をみていこう。
■■巻十七 三九九一・三九九二歌■■
題詞は、「遊覧布勢水海賦一首并短歌 此海者有射水郡舊江村也」<布勢(ふせ)の水海(みづうみ)に遊覧する賦(ふ)一首幷せて短歌この海は射水の郡(いみづのこほり)の古江村(ふるえむら)に有り>である。
(注)布勢の水海:二上山の西北麓。富山県氷見市南部にあった湖。今は陸地。(伊藤脚注)
(注)賦:中国の韻文の一体。感じる所をそのままに詠じた韻文。ここでは長歌の意に当てたもの。(伊藤脚注)
(注)古江:氷見市南部にあった村。(伊藤脚注)
■巻十七 三九九二歌■
◆布勢能宇美能 意枳都之良奈美 安利我欲比 伊夜登偲能波尓 見都追思努播牟
(大伴家持 巻十七 三九九二)
≪書き下し≫布勢(ふせ)の海の沖つ白波(しらなみ)あり通(がよ)ひいや年のはに見つつ偲(しの)はむ
(訳)布勢の海の沖に立つ白波、立ち続けてやまぬその波のように、ずっと通い続けて、来る年も来る年もこの眺めを賞(め)でようぞ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
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(注)上二句は序。「あり通ひ」を起す。長歌後半、「布勢の海に」以下をまとめる歌。(伊藤脚注)
(注)ありがよふ 【有り通ふ】自動詞:いつも通う。通い続ける。 ※「あり」は継続の意の接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
左注は、「右守大伴宿祢家持作之 四月廿四日」<右は、守(かみ)大伴宿禰家持作る 四月の二十四日>である。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その813)」で、氷見市十二町 十二町潟水郷公園「萬葉布勢水海之跡」の碑とともに、「布勢の水海に遊覧する賦(三九九一歌)」も紹介している。
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三九九二歌の歌碑は、氷見市十二町 日宮神社にもあり、当時布勢の水海の一つの島と考えられている円山については、それぞれ拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その814)ならびに(その816)」で紹介している。
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地図にある「藤波神社」については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その818)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 下 山陽・四国・九州・山陰・北陸」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」