●歌は、「しなでる片足羽川のさ丹塗りの大橋の上ゆ紅の赤裳裾引き山藍もち・・・(高橋虫麻呂 9-1742)」である。
【河内の大橋】
「高橋虫麻呂歌集(巻九‐一七四二・一七四三)(歌は省略)・・・石川をあわせてひと筋に西にのびている大和川の川筋は、宝永以後のことで、もとは合流点付近(安堂)から北西にまがり、こんにちのこる長瀬川・恩智(おんじ)川・玉串川などの水脈をひろげて、生駒山西方に沼沢湿潤の地をくりひろげていた。・・・山峡がうちひらけた河内野の一帯は、古墳をはじめ古代文化の遺跡に富み、帰化漢人らの中心勢力地として、河内文化の花のひらいたところである。・・・『片足羽川(かたしはがわ)』は石川のこととも、また堅上(かたがみ)、堅下(かたしも)にかけての大和川のことともいわれ、いろいろと説があってこんにちまで定まらない。したがって大橋の位置も・・・説がわかれている。・・・まわりの山は緑に、水はいまとちがって清く、そこに朱塗りの大橋があって、紅の裳裾をひいた山藍色の衣を着たうら若い女人がただひとり渡っていたとしたら、それだけで一幅の絵ではないだろうか。・・・現実の橋の上とはもう別世界で、うれいありげな魅力のある女人に描きあげ、大橋のたもとに家があるなら、『宿(やど)を貸そうものを』と発展させて、耽美と陶酔の、いわば浪漫美の世界をくりひろげて見せているのだ。・・・頽廃をやどした一瞬の美が、山峡の出口の山水の景観の中に描き出されている。ほんとうは、橋の上には誰もいないのかもしれない。
高橋虫麻呂は大伴旅人(おおとものたびと)・山上憶良・山部赤人らと同じく万葉第三期の人で、『虫麻呂歌集』の歌はすべて虫麻呂の作と考えられている。・・・いっぱんに伝説歌人として知られているが、このような女人や旅・社交・自然の歌もある。描かれた世界はいつも浪漫美にみちて劇的な構築がほどこされ、現実とは別のもう一つの美的現実が描き出されている。恋愛情趣を詠出することが多くて、しかも自己の恋歌を一首ものこしていないところにも、この作家の心の秘密がしめされており、『万葉集』中稀に見るロマンチストとして、異色ある個性ということができよう。」(「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
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巻九 一七四二・一七四三歌をみてみよう。
■■巻九 一七四二・一七四三歌■■
題詞は、「見河内大橋獨去娘子歌一首并短歌」<河内(かふち)の大橋を独り行く娘子(をとめ)を見る歌一首并(あは)せて短歌>である。
(注)河内 分類地名:旧国名。畿内(きない)五か国の一つ。今の大阪府東部。河州(かしゆう)。古くは「かふち」であったらしい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
■巻九 一七四二歌■
◆級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上従 紅 赤裳數十引 山藍用 摺衣服而 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟将宿 問巻乃 欲我妹之 家乃不知久
(高橋虫麻呂 巻九 一七四二)
≪書き下し≫しなでる 片足羽川(かたしはがは)の さ丹(に)塗(ぬ)りの 大橋の上(うへ)ゆ 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 山藍(やまあゐ)もち 摺(す)れる衣(きぬ)着て ただひとり い渡らす子は 若草の 夫(つま)かあるらむ 橿(かし)の実の ひとりか寝(ぬ)らむ 問(と)はまくの 欲(ほ)しき我妹(わぎも)が 家の知らなく
(訳)ここ片足羽川のさ丹塗りの大橋、この橋の上を、紅に染めた美しい裳裾を長く引いて、山藍染めの薄青い着物を着てただ一人渡って行かれる子、あの子は若々しい夫がいる身なのか、それとも、橿の実のように独り夜を過ごす身なのか。妻どいに行きたいかわいい子だけども、どこのお人なのかその家がわからない。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)しなでる:「片足羽川」の枕詞。葉が層を成して照る葛(かた)の意。(伊藤脚注)
(注の注)しなてる【級照る】:[枕]《「しなでる」とも》「片足羽川」「片岡山」にかかる。語義未詳。(goo辞書)
(注の注の注)「しなでる」は片足羽川の「片」にかかる枕詞とされ、どのような意味かは不明です。(「歌の解説と万葉集」柏原市HP)
(注)片足羽川:大和川が龍田から河内へ流れ出たあたりの名か。(伊藤脚注)
(注)「片足羽川」は「カタアスハガハ」とも読み、ここでは「カタシハガハ」と読んでいます。これを石川と考える説もありますが、通説通りに大和川のことで間違いないようです。(「歌の解説と万葉集」柏原市HP)
(注)さにぬり【さ丹塗り】名詞:赤色に塗ること。また、赤く塗ったもの。※「さ」は接頭語。(学研)
(注)くれなゐの【紅の】分類枕詞:紅色が鮮やかなことから「いろ」に、紅色が浅い(=薄い)ことから「あさ」に、紅色は花の汁を移し染めたり、振り出して染めることから「うつし」「ふりいづ」などにかかる。(学研)
(注)やまあい【山藍】:トウダイグサ科の多年草。山中の林内に生える。茎は四稜あり、高さ約40センチメートル。葉は対生し、卵状長楕円形。雌雄異株。春から夏、葉腋ようえきに長い花穂をつける。古くは葉を藍染めの染料とした。(コトバンク 三省堂大辞林 第三版)
(注)わかくさの【若草の】分類枕詞:若草がみずみずしいところから、「妻」「夫(つま)」「妹(いも)」「新(にひ)」などにかかる。(学研)
(注)かしのみの【橿の実の】の解説:[枕]樫の実、すなわちどんぐりは一つずつなるところから、「ひとり」「ひとつ」にかかる。(goo辞書)
(注)問はまくの欲しき我妹:妻問いのしたいかわいい人。マクはムのク語法。(伊藤脚注)
■巻九 一七四三歌■
◆大橋之 頭尓家有者 心悲久 獨去兒尓 屋戸借申尾
(高橋虫麻呂 巻九 一七四三)
≪書き下し≫大橋の頭(つめ)にあらばま悲しくひとり行く子に宿貸さましを
(訳)大橋のたもとに私の家があったらわびしげに一人行くあの子に宿を貸してあげたいのだが・・・。(同上)
(注)頭>つめ【詰め】名詞:端(はし)。きわ。橋のたもと。(学研)
(注)ま悲しく:見た目の悲しそうに。「ま愛(かな)し」の意もこもるか。(伊藤脚注)
巻九 一七四二・一七四三歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1033)」で、大阪府柏原市上市 大和川治水記念公園万葉歌碑とともに紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「goo辞書」