万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1150)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(110)―万葉集 巻八 一四二四

●歌は、「春の野にすみれ摘みにと来しわれぞ 野をなつかしみ一夜寝にける」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(110)万葉歌碑<プレート>(山部赤人

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(110)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆春野尓 須美礼採尓等 來師吾曽 野乎奈都可之美 一夜宿二来

               (山部赤人 巻八 一四二四)

 

≪書き下し≫春の野にすみれ摘(つ)みにと来(こ)しわれぞ 野をなつかしみ一夜寝(ね)にける

 

(訳)春の野に、すみれを摘もうとやってきた私は、その野の美しさに心引かれて、つい一夜を明かしてしまった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)なつかし【懐かし】形容詞:①心が引かれる。親しみが持てる。好ましい。なじみやすい。②思い出に心引かれる。昔が思い出されて慕わしい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

この歌ならびに題詞「山部宿祢赤人歌四首」についてはすべてブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その417)」で紹介している。

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 山部赤人の全歌については、前稿(その1149)で見たところである。

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 また、すみれに関しては、「つぼすみれ」を詠った歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1148)」で紹介している。

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 「すみれ」を詠った歌は、万葉集ではもう一首収録されている。大伴池主の歌である。

 歌をみてみよう。

 

◆憶保枳美能 弥許等可之古美 安之比奇能 夜麻野佐波良受 安麻射可流 比奈毛乎佐牟流 麻須良袁夜 奈迩可母能毛布 安乎尓余之 奈良治伎可欲布 多麻豆佐能 都可比多要米也 己母理古非 伊枳豆伎和多利 之多毛比尓 奈氣可布和賀勢 伊尓之敝由 伊比都藝久良之 餘乃奈加波 可受奈枳毛能曽 奈具佐牟流 己等母安良牟等 佐刀▼等能 安礼迩都具良久 夜麻備尓波 佐久良婆奈知利 可保等利能 麻奈久之婆奈久 春野尓 須美礼乎都牟等 之路多倍乃 蘇泥乎利可敝之 久礼奈為能 安可毛須蘇妣伎 乎登賣良婆 於毛比美太礼弖 伎美麻都等 宇良呉悲須奈理 己許呂具志 伊謝美尓由加奈 許等波多奈由比

 ▼は「田偏に比」⇒「佐刀▼等能」=「さとびとの」

               (大伴池主 巻十七 三九七三)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み あしひきの 山野(やまの)さはらず 天離(あまざか)る 鄙(ひな)も治(をさ)むる ますらをや なにか物思(ものも)ふ あをによし 奈良道(ならぢ)来(き)通(かよ)ふ 玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)絶えめや 隠(こも)り恋ひ 息づきわたり 下(した)思(もひ)に 嘆かふ我が背 いにしへゆ 言ひ継ぎくらし 世間(よのなか)は 数なきものぞ 慰(なぐさ)むる こともあらむと 里人(さとびと)の 我(あ)れに告ぐらく 山(やま)びには 桜花(さくらばな)散り かほ鳥(とり)の 間(ま)なくしば鳴く 春の野に すみれを摘むと 白栲(しろたへ)の 袖(そで)折り返し 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 娘女(をとめ)らは 思ひ乱れて 君待つと うら恋(こひ)すなり 心ぐし いざ見に行かな ことはたなゆひ

 

(訳)大君の仰せを恐れ謹んで、重なる山も野も物とはせず、この遠い鄙の国すらも立派に治めておられる、大丈夫たるあなた、そのあなたが何を今さら物思いなどされることがありましょうか。あおによし奈良の都への遥かな道を往き来するお使い、玉梓の使いが絶えることなど、どうしてありましょう。ひたすら引き籠って恋い焦がれ溜息をつきどおしで、心の思いに嘆きつづけているあなた、今を去る遠い遠い時代から言い継がれてきたはずです、生きてこの世に在る人間というものは定まりなきものであると。気の紛れることもあろうかと、里の人が私に教えてくれるには、山辺には桜の花が咲き散り、貌鳥(かおどり)がひきもきらずに鳴き立てている、その春の野で菫を摘むとて、まっ白な袖を折り返し、色鮮やかな赤裳の裾を引きながら、娘子たちは思い乱れつつ、あなたのお出ましを心待ちに待ち焦がれているということです。気がかりでなりません、さあ一緒に見に行きましょう。事はしっかりとお約束・・・・。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より))

(注)さはる【障る】自動詞①妨げられる。邪魔される。②都合が悪くなる。用事ができる。(学研) 

(注)たまづさの【玉梓の・玉章の】分類枕詞:手紙を運ぶ使者は梓(あずさ)の枝を持って、これに手紙を結び付けていたことから「使ひ」にかかる。また、「妹(いも)」にもかかるが、かかる理由未詳。(学研)

(注)したおもひ【下思ひ】名詞:心中に秘めた思い。秘めた恋心。「したもひ」とも。(学研)

(注)かほとり【貌鳥・容鳥】名詞:鳥の名。未詳。顔の美しい鳥とも、「かっこう」とも諸説ある。「かほどり」とも。(学研)

(注)おもひみだる【思ひ乱る】自動詞:あれこれと思い悩む。(学研)

(注)うら【心】名詞:心。内心。(学研)

(注)こころぐし【心ぐし】形容詞:心が晴れない。せつなく苦しい。(学研)

(注)たな- 接頭語:動詞に付いて、一面に・十分になどの意を表す。「たな知る」「たな曇(ぐも)る」など。(学研)

(注)ことなたなゆひ:「ゆびきりげんまん」のような当時の呪文か。

 

 この歌は、越中に赴任した大伴家持が、初めての冬を迎え病に倒れた時に、大伴池主が家持と歌を交換しあって慰めた歌で、二月二〇日から三月五日までやり取りされたうちの、三月五日の池主から家持にあてた書簡と歌である。

 これについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その702)」で紹介している。

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 家持と池主の親交ぶりについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1021)」で紹介している。

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春日大社神苑萬葉植物園の歌碑(プレート)の一四二四歌の、滋賀県東近江市下麻生 山部神社境内にあるこじんまりとしたたたずまいの歌碑は、明治十二年(1879年)に建てられたとある。

日本で一番古いとされる歌碑は、埼玉県行田市の前玉(さきたま)神社の石段の登り口にある一対の石燈籠である。燈籠に棹に「巻九 一七四四」と「巻十四 三三八〇」の歌が刻されている。元禄十年(1697年)建立とある。

これについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1093)」で紹介している。

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一七四四歌と三三八〇歌をみてみよう。

 

 まず、一七四四歌である。

題詞は、「見武蔵小埼沼鴨作歌一首」<武蔵(むざし)の小埼(をさき)の沼(ぬま)の鴨(かも)を見て作る歌一首>である。

 

◆前玉之 小埼乃沼尓 鴨曽翼霧 己尾尓 零置流霜乎 掃等尓有斯

                  (高橋虫麻呂 巻九 一七四四)

 

≪書き下し≫埼玉(さきたま)の小埼の沼に鴨ぞ翼霧(はねき)る おのが尾に降り置ける霜を掃(はら)ふとにあらし

 

(訳)埼玉の小埼の沼で鴨が羽ばたきをしてしぶきを飛ばしている。自分の尾に降り置いた霜を掃いのけようとするのであるらしい。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)小埼の沼:今の埼玉県行田市南東部の沼

(注)翼霧る:羽ばたいてしぶきを散らす。

(注)あらし 分類連語:あるらしい。あるにちがいない。 ⇒なりたち ラ変動詞「あり」の連体形+推量の助動詞「らし」からなる「あるらし」が変化した形。ラ変動詞「あり」が形容詞化した形とする説もある。(学研)

 

 

 次に三三八〇歌をみてみよう。

◆佐吉多萬能 津尓乎流布祢乃 可是乎伊多美 都奈波多由登毛 許登奈多延曽祢

                  (作者未詳 巻十四 三三八〇)

 

≪書き下し≫埼玉(さきたま)の津に居(を)る舟の風をいたみ綱(つな)は絶(た)ゆとも言(こと)な絶えそね

 

(訳)埼玉の舟着き場に繋がれている舟が、風の激しさに綱は絶えてしまうことがあっても、あなたのお言葉は絶やさないでね。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)埼玉:武蔵の郡名。行田市あたり。

 

万葉集の歌を核に時間軸、空間軸状の広がりを探ることができるのも万葉集に取り組む一つの楽しみであるように思える。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」