万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1512,1513,1514)―静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P1、P2、P3)―万葉集 巻十八 四一三六、巻二 一一一、巻二〇 四五一三

―その1512―

●歌は、「あしひきの山の木末のほよ取りてかざしつらくは千年寿くとぞ」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P1)万葉歌碑<プレート>(大伴家持

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P1)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「天平勝寶二年正月二日於國廳給饗諸郡司等宴歌歌一首」<天平勝寶(てんびやうしようほう)二年の正月の二日に、国庁(こくちょう)にして饗(あへ)を諸(もろもろ)の郡司(ぐんし)等(ら)に給ふ宴の歌一首>である。

(注)天平勝寶二年:750年

(注)国守は天皇に代わって、正月に国司、群詞を饗する習いがある。

 

 律令では、元日に国司は同僚・属官や郡司らをひきつれて庁(都の政庁または国庁)に向かって朝拝することになっており、翌日に、新年を寿ぐ宴が開かれたのである。

 

◆安之比奇能 夜麻能許奴礼能 保与等里天 可射之都良久波 知等世保久等曽

       (大伴家持 巻十八 四一三六)

 

≪書き下し≫あしひきの山の木末(こぬれ)のほよ取りてかざしつらくは千年(ちとせ)寿(ほ)くとぞ

 

(訳)山の木々の梢(こずえ)に一面生い栄えるほよを取って挿頭(かざし)にしているのは、千年もの長寿を願ってのことであるぞ。「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)ほよ>ほや【寄生】名詞:寄生植物の「やどりぎ」の別名。「ほよ」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

左注は、「右一首守大伴宿祢家持作」<右の一首は、守大伴宿禰家持作る>である。

 

 この歌については、富山県高岡市伏木国府にある勝興寺の歌碑とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その822)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)の「ヤドリギ」の「文化史」の項に、「落葉した木に着生し常緑を保つヤドリギは、古代の人々にとって驚きであったとみえ、ヨーロッパ各国でセイヨウヤドリギの土着信仰が生じ、儀式に使われた。(中略)北欧では冬至の火祭りに光の神バルデルの人形とセイヨウヤドリギを火のなかに投げ、光の新生を願った。常緑のヤドリギを春の女神や光の精の象徴として室内に飾る風習は、クリスマスと結び付き、現代に残る。

 日本でもヤドリギは、常緑信仰の対象とされていた。大伴家持(おおとものやかもち)は『万葉集』巻18で、『あしひきの山の木末(こぬれ)のほよ取りて挿頭(かざ)しつらくは千年(ちとせ)寿(ほ)くとそ』と、宴(うたげ)の席で詠んでいる。ほよはヤドリギの古名で、髪に挿し長寿を祈る習俗があったことがわかる。」

ヤドリギ」 (左)20220125平城宮跡で撮影 (中)20220125東大寺三笠山の遠望(三笠山にいでし月のよなヤドリギ) (右)20220401 平城宮跡ヤドリギと桜)

 

 

―その1513―

●歌は、「いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡り行く」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P2)万葉歌碑<プレート>(弓削皇子

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P2)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「幸于吉野宮時弓削皇子贈与額田王歌一首」<吉野の宮に幸(いでま)す時に、弓削皇子(ゆげのみこ)の額田王(ぬかたのおほきみ)に贈与(おく)る歌一首>である。

(注)吉野の宮に幸(いでま)す時藤原遷都(持統八年 694年)以前の行幸らしい。

 

◆古尓 戀流鳥鴨 弓絃葉乃 三井能上従 鳴嚌遊久

       (弓削皇子 巻二 一一一)

 

≪書き下し≫いにしへに恋ふらむ鳥かも弓絃葉(ゆずるは)の御井(みゐ)の上(うへ)より鳴き渡り行く

 

(訳)古(いにしえ)に恋い焦がれる鳥なのでありましょうか、鳥が弓絃葉の御井(みい)の上を鳴きながら大和の方へ飛び渡って行きます。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)こふ【恋ふ】他動詞:心が引かれる。慕い思う。なつかしく思う。(異性を)恋い慕う。恋する。 ⇒注意 「恋ふ」対象は人だけでなく、物や場所・時の場合もある。(学研全訳)

(注)弓絃葉の御井:吉野離宮の清泉の通称か。(伊藤脚注)

 

 弓削皇子持統天皇吉野行幸の際、のため行幸に参加できなかった額田王のことを思い出されて作られた歌である。

 

 弓削皇子のこの歌に和える額田王の一一二歌、ならびに一一三歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1041)」で紹介している。

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―その1514―

●歌は、「磯影の見ゆる池水照るまでに咲ける馬酔木の散らまく惜しも」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P3)万葉歌碑<プレート>(甘南備伊香真人)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P3)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆伊蘇可氣乃 美由流伊氣美豆 氐流麻泥尓 左家流安之婢乃 知良麻久乎思母

      (大蔵大輔甘南備伊香真人 巻二〇 四五一三)

 

≪書き下し≫磯影(いそかげ)の見ゆる池水(いけみづ)照るまでに咲ける馬酔木(あしび)の散らまく惜しも

 

(訳)磯の影がくっきり映っている池の水、その水も照り輝くばかりに咲きほこる馬酔木の花が、散ってしまうのは惜しまれてならない。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 左注は、「右一首大蔵大輔甘南備伊香真人」<右の一首は大蔵大輔(おほくらのだいふ)甘南備伊香真人(かむなびのいかごのまひと)>である。

 

 直近では、甘南備伊香真人の歌四首とともに、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1226)」で紹介している。

 ➡ こちら1226

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 「あしび」について、「万葉植物物語」(広島大学附属福山中・高等学校/編著 中国新聞社)では、「早春の山野を彩る美しい花を咲かせますが、有毒植物であるため野生動物は食べません。安芸の宮島広島県佐伯郡宮島町)でもシカの被害を受けずにすくすくと育っています。もし、牛馬がこれを食べたら麻痺(まひ)するであろうというところから「馬酔木」という名前が付いています。」と書かれている。

「あしび」 20220317撮影 庭の紅白の馬酔木

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉植物物語」 広島大学附属福山中・高等学校/編著 (中国新聞社)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」