万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1508)―静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園駐車場―万葉集 巻五 八〇三

●歌は、「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園駐車場万葉歌碑(山上憶良

●歌碑は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園駐車場にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母

       (山上憶良 巻五 八〇三)

 

≪書き下し≫銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに)まされる宝子にしかめやも

 

(訳)銀も金も玉も、どうして、何よりすぐれた宝である子に及ぼうか。及びはしないのだ。(同上)

(注)なにせむに【何為むに】分類連語:どうして…か、いや、…ない。▽反語の意を表す。 ※なりたち代名詞「なに」+サ変動詞「す」の未然形+推量の助動詞「む」の連体形+格助詞「に」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 (注)しかめやも【如かめやも】分類連語:及ぼうか、いや、及びはしない。※なりたち動詞「しく」の未然形+推量の助動詞「む」の已然形+係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 中学校の授業でこの歌と、八〇二歌(瓜食めば 子供思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ・・・)は歌として習い、子供はかけがえのない宝ということを歌った歌であると学んだ記憶がある。

この八〇二、八〇三歌の歌群の題詞は、「子等(こら)を思ふ歌一首 幷せて序」である。

 「子等を思う歌」八〇二、八〇三歌の神髄が序の「愛は子に過ぎたることなし」に込められているのである。

(注)愛は子に過ぎたることなし:釈迦の語としては仏典に見当たらないという。憶良の作為か。「愛」は愛執、愛欲に意。(伊藤脚注)

 

 

 八〇〇・八〇一歌の題詞は、「惑情(わくじやう)を反(かへ)さしむる歌一首 幷せて序」と、八〇二・八〇三歌の題詞は、「「子等(こら)を思ふ歌一首 幷せて序」、八〇四・八〇五歌の題詞は、「世間(せけん)の住(とど)みかたきことを哀(かな)しぶる歌一首 幷せて序」の三群からなり、第一群が情苦、第二群が愛苦、第三群が老苦を主題として詠われているのである。

 

 通して味わってみよう。

◆◆◆第一歌群(序、八〇〇、八〇一歌)

題詞は、「令反或情歌一首 幷序」<惑情(わくじやう)を反(かへ)さしむる歌一首 幷せて序>である。

(注)惑情:煩悩にまみれた心。(伊藤脚注)

 

◆序◆或有人 知敬父母忘於侍養 不顧妻子軽於脱屣 自称倍俗先生 意氣雖揚青雲之上 身體猶在塵俗之中 未驗修行得道之聖 蓋是亡命山澤之民 所以指示三綱更開五教 遣之以歌令反其或 歌曰

 

◆序の書き下し◆或(ある)人、父母(ふぼ)を敬(うやま)ふことを知りて侍養(じやう)を忘れ、妻子(さいし)を顧(かへり)みずして脱屣(だつし)よりも軽(かろ)みす。自(みづか)ら倍俗先生(ばいぞくせんせい)と称(なの)る。意気は青雲(せいうん)の上に揚(あが)るといへども、身体はなほ塵俗(ぢんぞく)の中(うち)に在り。いまだ修行(しゆぎやう)得道(とくだう)の聖(ひじり)に験(しるし)あらず、けだしこれ山沢(さんたく)に亡命する民ならむか。

このゆゑに、三綱(さんかう)を指し示し、五教(こけう)を更(あらた)め開(と)き、遣(おく)るに歌をもちてし、その惑(まと)ひを反(かへ)さしむ。歌に曰(い)はく、

 

◆序の訳◆ある人がいて、父母を敬うことを知りながら孝養を尽くすことを忘れ、しかも妻子の扶養をも意に会せず、脱ぎ捨てた履物よりも軽んじている。そして、自分から“倍俗先生”などと称している。その意気は青雲かかる天空の上に舞う観があるけれども、身体は依然として俗世の塵(ちり)の中にある。といって、行を修め道を得た仏聖の証(あかし)があるわけでもない。多分これは戸籍を脱して山野に亡命する民なのであろう。

そこで、三綱の道を指し示し、さらに改めて五教の道を諭すべく、贈るのにこんな倭歌(やまとうた)を作って、その迷いを直させることにする。その歌に曰く、(同上)

(注)じやう【侍養】〘名〙:そばに付き添って孝養を尽くしたり、養い育てたりすること。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)だっし【脱屣】: 履物をぬぎ捨てること。転じて、未練なく物を捨て去ること。(goo辞書)

(注)倍俗先生:俗に背く先生。「先生」は学人の称。(伊藤脚注)

(注)とくだう【得道】〘名〙 仏語: 聖道または仏の無上道の悟りをうること。成道。悟道。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)亡命:戸籍を捨てて逃亡すること。養老初年頃から、逃亡民を戒める詔勅がしきりに出ている。(伊藤脚注)

(注)さんかう【三綱】:儒教で、君臣・父子・夫婦の踏み行うべき道。(goo辞書)

(注)ごけう【五教】: 儒教でいう、人の守るべき五つの教え。君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友(ほうゆう)の信の五つとする説(孟子)と、父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝の五つとする説(春秋左氏伝)とがある。五倫。(weblio辞書 デジタル大辞泉) ⇒伊藤氏は後者

(注の注)管内に五教を諭し農耕を勧めるのは、令の定める国守の任務の一つ。(伊藤脚注)

 

 

◆父母乎 美礼婆多布斗斯 妻子見礼婆 米具斯宇都久志 余能奈迦波 加久叙許等和理 母智騰利乃 可可良波志母与 由久弊斯良祢婆 宇既具都遠 奴伎都流其等久 布美奴伎提 由久智布比等波 伊波紀欲利 奈利提志比等迦 奈何名能良佐祢 阿米弊由迦婆 奈何麻尓麻尓 都智奈良婆 大王伊摩周 許能提羅周 日月能斯多波 雨麻久毛能 牟迦夫周伎波美 多尓具久能 佐和多流伎波美 企許斯遠周 久尓能麻保良叙 可尓迦久尓 保志伎麻尓麻尓 斯可尓波阿羅慈迦

      (山上憶良 巻五 八〇〇)

 

≪書き下し≫父母を 見れば貴(たふと)し 妻子(めこ)見れば めぐし愛(うつく)し 世の中は かくぞことわり もち鳥(どり)の かからはしもよ ゆくへ知らねば 穿沓(うけぐつ)を 脱(ぬ)き棄(つ)るごとく 踏(ふ)み脱(ぬ)きて 行(ゆ)くちふ人は 石木(いはき)より なり出(で)し人か 汝(な)が名告(の)らさね 天(あめ)へ行(ゆ)かば 汝(な)がまにまに 地(つち)ならば 大君(おほきみ)います この照らす 日月(ひつき)の下(した)は 天雲(あまくも)の 向伏(むかぶ)す極(きは)み たにぐくの さ渡る極み きこしをす 国のまほらぞ かにかくに 欲(ほ)しきまにまに しかにはあらじか

 

(訳)父母を見ると尊いし、妻子を見るといとおしくかわいい。世の中はこうあって当然で、恩愛の絆は黐(もち)にかかった鳥のように離れがたく断ち切れぬものなのだ。行く末どうなるともわからぬ有情世間(うじょうせけん)のわれらなのだから。それなのに穴(あな)あき沓(ぐつ)を脱ぎ棄てるように父母妻子をほったらかしてどこかへ行くという人は、非情の岩や木から生まれ出た人なのか。そなたはいったい何者なのか名告りたまえ。天へ行ったらそなたの思い通りにするもよかろうが、この地上にいる限りは大君がおいでになる。

この日月の照らす下は、天雲のたなびく果て、蟇(ひきがえる)の這(は)い回る果てまで、大君の治められる秀(ひい)でた国なのだ。あれこれと思いどおりにするもよういが、物の道理は私の言うとおりなのではあるまいか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)めぐし【愛し・愍し】形容詞:①いたわしい。かわいそうだ。②切ないほどかわいい。いとおしい。 ※上代語。(学研)ここでは②の意

(注)もちどり【黐鳥】〘名〙: (「もちとり」とも) とりもちにかかった鳥。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注の注)恩愛の絆の譬え(伊藤脚注)

(注)かからはし【懸からはし】形容詞:ひっかかって離れにくい。とらわれがちだ。(学研)

(注)ゆくへ知らねば:俗世の人は行く末どうなるともわからぬのだから。(伊藤脚注)

(注)うけぐつ【穿沓】〘名〙 (「うけ」は穴があく意の動詞「うぐ(穿)」の連用形) はき古して穴のあいたくつ。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)ちふ 分類連語:…という。 ⇒参考 「といふ」の変化した語。上代には「とふ」の形も用いられ、中古以後は、「てふ」が用いられる。(学研)

(注)いはき【石木・岩木】名詞:岩石や木。多く、心情を持たないものをたとえて言う。(学研)

(注)きこしめす【聞こし召す】他動詞:①お聞きになる。▽「聞く」の尊敬語。②お聞き入れなさる。承知なさる。▽「聞き入る」の尊敬語。③関心をお持ちになる。気にかけなさる。④お治めになる。(政治・儀式などを)なさる。▽「治む」「行ふ」などの尊敬語。⑤召し上がる。▽「食ふ」「飲む」の尊敬語。(学研)ここでは④の意

(注)まほら 名詞:まことにすぐれたところ。まほろば。まほらま。 ※「ま」は接頭語、「ほ」はすぐれたものの意、「ら」は場所を表す接尾語。上代語。(学研)

 

 八〇〇歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1326)で紹介している。

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◆比佐迦多能 阿麻遅波等保斯 奈保ゝゝ尓 伊弊尓可弊利提 奈利乎斯麻佐尓

       (山上憶良 巻五 八〇一)

 

≪書き下し≫ひさかたの天道(あまじ)は遠しなほなほに家に帰りて業(なり)を為(し)まさに

 

(訳)天への道のりは遠いのだ。私の言う道理を認めて、すなおに家に帰って家業に励みなさい。(同上)

(注)あまぢ【天路・天道】名詞:①天上への道。②天上にある道。(学研)ここでは①の意

 

 

◆◆◆第二歌群(序、八〇二、八〇三歌)

 

◆序◆釈迦如来金口正説 等思衆生如羅睺羅 又説 愛無過子 至極大聖尚有愛子之心 况乎世間蒼生誰不愛子乎

 

 

◆序の書き下し◆釈迦如来(しゃかにょらい)、金口(こんく)に正(ただ)に説(と)きたまはく、「等(ひと)しく衆生(しうじゃう)を思うこと羅睺羅(らごら)のごとし」と。また、説きたまはく、「愛は子に過ぎたることなし」と。至極(しごく)の大聖(たいせい)すらに、なほ子を愛したまふ心あり。いはむや、世間(せけん)の蒼生(そうせい)、誰れか子を愛せずあらめや

 

◆序の訳◆釈尊が御口ずから説かれるには、「等しく衆生を思うことは、我が子羅睺羅(らごら)を思うのと同じだ」と。しかしまた、もう一方で説かれるには、「愛執(あいしゅう)は子に勝るものはない」と。この上なき大聖人でさえも、なおかつ、このように子への愛着に執(とら)われる心をお持ちである。ましてや、俗世の凡人たるもの、誰が子を愛さないでいられようか。(同上)

(注)こんく【金口】〘仏〙:釈迦の口や、その言葉を敬っていう語。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)羅睺羅(らごら):釈迦の出家以前の一子。

(注)そうせい【蒼生】:多くの人々。庶民。国民。あおひとぐさ。(三省堂

 

 

◆宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯堤葱斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可利堤 夜周伊斯奈佐農

     (山上憶良 巻五 八〇二)

 

≪書き下し≫瓜食(うりはめ)めば 子ども思ほゆ 栗(くり)食めば まして偲(しぬ)はゆ いづくより 来(きた)りしものぞ まなかひに もとなかかりて 安寐(やすい)し寝(な)さぬ

 

(訳)瓜を食べると子どもが思われる。栗を食べるとそれにも増して偲(しの)ばれる。こんなにかわいい子どもというものは、いったい、どういう宿縁でどこ我が子として生まれて来たものなのであろうか。そのそいつが、やたら眼前にちらついて安眠をさせてくれない。(同上)

(注)まして偲(しぬ)はゆ:それにも増して偲ばれる。「偲(しぬ)ふ」は「偲(しの)ふ」に同じ。(伊藤脚注)

(注)まなかひ【眼間・目交】名詞:目と目の間。目の辺り。目の前。 ※「ま」は目の意、「な」は「つ」の意の古い格助詞、「かひ」は交差するところの意。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)

(注)やすい【安寝・安眠】名詞:安らかに眠ること。安眠(あんみん)。 ※「い」は眠りの意(学研)

 

◆銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母

       (山上憶良 巻五 八〇三)

 

≪書き下し≫銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに)まされる宝子にしかめやも

 

(訳)銀も金も玉も、どうして、何よりすぐれた宝である子に及ぼうか。及びはしないのだ。(同上)

 

 序、八〇二、八〇三歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その477)」で紹介している。

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◆◆◆第三歌群(序、八〇四、八〇五)

 

題詞は、「哀世間難住歌一首 幷序」<世間(せけん)の住(とど)みかたきことを哀(かな)しぶる歌一首 幷せて序>である。

 

◆序◆易集難排八大辛苦 難遂易盡百年賞樂 古人所歎今亦及之 所以因作一章之歌 以撥二毛之歎 其歌曰

 

◆序の書き下し◆集まりやすく拝(はら)ひかたきものは八大(はちだい)の辛苦(しんく)なり、遂(と)げかたく尽(つく)しやすきものは百年の賞楽(しやうらく)なり。古人の嘆くところ、今にもおよぶ。

 

◆序の訳◆集まりやすく払にくいものは、八つの大きな苦しみで、成し遂げにくく尽きやすいものは人生の楽しみだ。これは古人の嘆いたところで、今日でも同じことだ。こういう次第で、一編の歌を作って、鬢髪(びんぱつ)日に白きを加える老いの嘆きを払いのけようと

思う。その歌にいう。(同上)

 

◆世間能 周弊奈伎物能波 年月波 奈何流々其等斯 等利都々伎 意比久留母能波 毛ゝ久佐尓 勢米余利伎多流 遠等咩良何 遠等咩佐備周等 可羅多麻乎 多母等尓麻可志 <或有此句云 之路多倍乃 袖布利可伴之 久礼奈為乃 阿可毛須蘇▼伎> 余知古良等 手多豆佐波利提 阿蘇比家武 等伎能佐迦利乎 等々尾迦祢 周具斯野利都礼 美奈乃和多 迦具漏伎可美尓 伊都乃麻可 斯毛乃布利家武 久礼奈為能 <一云 尓能保奈須> 意母提乃宇倍尓 伊豆久由可 斯和何伎多利斯 <一云 都祢奈利之 恵麻比麻欲▼伎 散久伴奈能 宇都呂比尓家利 余乃奈可伴 可久乃未奈良之> 麻周羅遠乃 遠刀古佐備周等 都流伎多智 許志尓刀利波枳 佐都由美乎 多尓伎利物知提 阿迦胡麻尓 志都久良宇知意伎 波比能利提 阿蘇比阿留伎斯 余乃奈迦野 都祢尓阿利家留 遠等咩良何 佐那周伊多斗乎 意斯比良伎 伊多度利与利提 麻多麻提乃 多麻提佐斯迦閇 佐祢斯欲能 伊久陀母阿羅祢婆 多都可豆恵 許志尓多何祢提 可由既婆 比等尓伊等波延 可久由既婆 比等尓邇久麻延 意余斯遠波 迦久能尾奈良志 多麻枳波流 伊能知遠志家騰 世武周弊母奈新

       (山上憶良 巻五 八〇四)

   ▼は、「田へんに比」→「阿可毛須蘇▼伎」<あかもすそびき>

             →「恵麻比麻欲▼伎」<えまひまよびき>

 

≪書き下し≫世の中の すべなきものは 年月(としつき)は 流るるごとし とり続(つづ)き 追ひ来(く)るものは 百種(ももくさ)に 迫(せ)め寄(よ)り来(きた)る 娘子(をとめ)らが 娘子さびすと 韓玉(からたま)を 手本(たもと)に巻(ま)かし、<或いはこの句有り、日はく「白妙の 袖振り交はし 紅の 赤裳裾引き」 よち子らと 手たづさはりて 遊びけむ 時の盛(さか)りを 留(とど)みかね 過(すぐ)しやりつれ 蜷(みな)の腸(わた) か黒(ぐろ)き髪に いつの間(ま)か 霜の降りけむ 紅の <一には「丹のほなす」といふ> 面(おもて)の上(うへ)に いづくゆか 皺(しわ)が来(きた)りし <一には「常なりし 笑まひ眉引き 咲く花の うつろひにけり 世間は かくのみならし」といふ> ますらをの 男(をとこ)さびすと 剣太刀(つるぎたち) 腰に取り佩(は)き さつ弓(ゆみ)を 手握(たにぎ)り持ちて 赤駒(あかごま)に 倭文鞍(しつくら)うち置き 這(は)ひ乗りて 遊び歩きし 世の中や 常にありける 娘子(をとめ)らが さ寝(な)す板戸(いたと)を 押し開(ひら)き い辿(たど)り寄りて 真玉手(またまで)の 玉手(たまて)さし交(か)へ さ寝(ね)し夜(よ)の いくだもあらねば 手束杖(たつかづゑ) 腰にたがねて か行(ゆ)けば 人に厭(いと)はえ かく行けば 人に憎(にく)まえ 老(お)よし男(を)は かくのみならし たまきはる 命(いのち)惜(を)しけど 為(せ)むすべもなし

 

(訳)この世の中で何ともしようがないものは、幾月は遠慮なく流れ去ってしまい、くっついて追っかけて来る老醜はあの手この手と身に襲いかかることである。たとえば、娘子たちがいかにも娘子らしく、舶来の玉を手首に巻いて<異文にはこんな句がある。いわく、「まっ白な袖を振り交わし、まっ赤(か)な裳(も)の裾(すそ)をひきずって」と>、同輩の仲間たちと手を取り合って遊んだ、その娘盛りを長くは留(とど)めきれずにやり過ごしてしまうと、蜷(にな)の腸のようなまっ黒い髪にいつの間(ま)に霜が降りたのか、紅の<まっ赤な土のような>面(おもて)の上にどこからか皺(しわ)のやつが押し寄せて来たのか、<変わりのなかった眉引きの笑顔も咲く花のように消えてしまった。世の中とはいつもこういうものであるらしい>、みんなあっという間(ま)に老いさらばえてしまう。一方、勇ましい若者たちがいかに男らしく、剣太刀を腰に帯び狩弓を握りしめて、元気な赤駒に倭文(しつ)の鞍を置き手綱さばきもあざやかに獣を追い回した、その楽しい人生がいつまで続いたであろうか。娘子たちが休む部屋の板戸を押し開けて探り寄り、玉のような腕(かいな)をさし交わして寝た夜などいくらもなかったのに、いつの間にやら握り杖(づえ)を腰にあてがい、よぼよぼとあっちへ行けば人にいやがられ、こっちに行けば人に嫌われて、ほんにまったく老人とはこんなものであるらしい。むろん、命は惜しくて常住不変を願いはするものの、施すすべもない。(同上)

(注)追ひ来る:老醜をいう。(伊藤脚注)

(注)ももくさ【百種】名詞:多くの種類。いろいろな種類。(学研)

(注)-さぶ 接尾語バ行上二段活用〔名詞に付いて〕…のようだ。…のようになる。▽上二段動詞をつくり、そのものらしく振る舞う、そのものらしいようすであるの意を表す。「神さぶ」「翁(おきな)さぶ」(学研)

(注)からたま【唐玉・韓玉】〘名〙: 唐や朝鮮などから渡来した珠玉。また、美しい玉。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)異文は、憶良の初案。(伊藤脚注)

(注)よちこ【よち子】:同じ年ごろの子。よち。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)すぐす【過ぐす】他動詞:①時を過ごす。年月を送る。暮らす。②終わらせる。すませる。③そのままにしておく。うち捨てておく。④年をとる。ふける。年上である。⑤度をこす。やりすぎる。(学研)ここでは③の意

(注)みなのわた【蜷の腸】分類枕詞:蜷(=かわにな)の肉を焼いたものが黒いことから「か黒し」にかかる。(学研)

(注)紅の面:「紅顔」の翻読語。(伊藤脚注)

(注)にのほ【丹の穂】〔雅語〕目立って赤いこと。また、(顔などが)赤みをおびて美しいこと。(広辞苑無料検索 学研国語大辞典)

(注)さつゆみ【猟弓】名詞:獲物をとるための弓。(学研)

(注)しづ【倭文】名詞:日本固有の織物の一種。梶(かじ)や麻などから作った横糸を青・赤などに染めて、乱れ模様に織ったもの。倭文織。 ※唐から伝来した綾(あや)に対して、日本(=倭)固有の織物の意。上代は「しつ」。(学研)

(注)さなす【さ寝す】[動サ四]:《「なす」は「寝る」の尊敬語》おやすみになる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)またまで【真玉手】:手の美称。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)いくだ【幾だ】副詞:〔「いくだもあらず」の形で〕どれほども。いくらも。たいして。※「だ」は接尾語。(学研)

(注)たつかづゑ【手束杖】:手に握り持つ杖。(goo辞書)

(注)老よし男:老いたる男。「老よし」は「老ゆ」から派生した形容詞。(伊藤脚注)

 

 

◆等伎波奈周 迦久斯母何母等 意母閇騰母 余能許等奈礼婆 等登尾可祢都母

       (山上憶良 巻五 八〇五)

 

≪書き下し≫常磐(ときは)なすかくしもがもと思へども世の事理(こと)なれば留(とど)みかねつも

 

(訳)常磐(ときわ)のように不変でありたいと思うけれども、老や死は人の世の定めであるから、留(とど)めようにも留られはしない。(同上)

(注)じり【事理】名詞:さまざまな現象(=事)と、その根本にある真理(=理)。 ※

仏教語。(学研)

 

 

左注は、「神龜五年七月廿一日於嘉摩郡撰定 筑前國守山上憶良」<神亀五年七月二十一日嘉摩(かま)の郡(こほり)にして撰定(せんてい)す。 筑前国山上憶良>である。

(注)嘉摩の郡:福岡県歌嘉麻市(伊藤脚注)

(注)せんてい【撰定】[名](スル)書物や文書を編集すること。また、多くの詩歌・文章の中からよいものを選び出すこと。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

 子への愛は、七種の宝以上に、愛着や迷いの本であり、お釈迦さまは、七種の宝も「愛する妻子」をも捨てよと説いている。それほど子への迷いは、それ以上のものは無いのである。憶良は、それほどの迷いであっても憶良は、「子への愛」を選択するのである。

 憶良は、万葉の時代にこれほどまでに人としての選択を主張した歌を詠っているのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「山上憶良」 辰巳正明 著 (笠間書院

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「goo辞書」

★「広辞苑無料検索 学研国語大辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

万葉歌碑を訪ねて(その1505,1506,1507)―静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P43、P44、P45)―万葉集 巻十九 四二〇〇、巻十九 四二〇四、巻二十 四四〇八

―その1505―

●歌は、「多祜の浦の底さえにほふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P43)万葉歌碑<プレート>(内蔵忌寸縄麻呂)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P43)にある。

 

●歌をみていこう。

 

四一九九~四二〇二歌の題詞は、「十二日遊覧布勢水海船泊於多祜灣望見藤花各述懐作歌四首」<十二日に、布勢水海(ふせのみづうみ)に遊覧するに、多祜(たこ)の湾(うら)に舟泊(ふなどま)りす。藤の花を望み見て、おのもおのも懐(おもひ)を述べて作る歌四首>である。

 

◆多祜乃浦能 底左倍尓保布 藤奈美乎 加射之氐将去 不見人之為

      (内蔵忌寸縄麻呂 巻十九 四二〇〇)

 

≪書き下し≫多祜の浦の底さえへにほふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため

 

(訳)多祜の浦の水底さえ照り輝くばかりの藤の花房、この花房を髪に挿して行こう。まだ見たことのない人のために。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)たこのうら【多祜の浦】:富山県氷見市の南にあった布勢の湖(うみ)の湖岸。現在の上田子・下田子や十二町潟のあたり。藤の名所として知られた。[歌枕](コトバンク デジタル大辞泉

 

 四一九九~四二〇二歌ならびに「藤波」を詠った歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1371)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 家持が詠んだ「多祜の埼」や四一九九歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その817,818)」で紹介している。818では「田子浦藤波神社」の歌碑を紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

―その1506―

●歌は、「我が背子が捧げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P44)万葉歌碑<プレート>(僧恵行)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P44)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾勢故我 捧而持流 保寶我之婆 安多可毛似加 青盖

       (講師僧恵行 巻十九 四二〇四)

 

≪書き下し≫我が背子(せこ)が捧(ささ)げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋(きぬがさ)

 

(訳)あなたさまが、捧げて持っておいでのほおがしわ、このほおがしわは、まことにもってそっくりですね、青い蓋(きぬがさ)に。(同上)

(注)我が背子:ここでは大伴家持をさす。

(注)あたかも似るか:漢文訓読的表現。万葉集ではこの一例のみ。

(注)きぬがさ【衣笠・蓋】名詞:①絹で張った長い柄(え)の傘。貴人が外出の際、従者が背後からさしかざした。②仏像などの頭上につるす絹張りの傘。天蓋(てんがい)。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 題詞は、「見攀折保寳葉歌二首」<攀(よ)ぢ折(を)れる保宝葉(ほほがしは)を見る歌二首>である。

 

 四二〇四歌については、家持の歌とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その965)」で紹介している。

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 一般財団法人国民公園協会「新宿御苑」HPに、「ホオノキは、モクレン科の落葉高木で、北方領土を含む北海道から九州までの山地や雑木林に自生しています。枝先には大人の手のひら程もある大きな杯形の花が上向きにつきます。8~9弁の花びらの中央部には雌しべと雄しべとが集まって妖艶な赤が印象的です。長い楕円形の葉は日本産の広葉樹の中で最も大きく、こちらも芳香があり、殺菌作用があるため、かつては食物を盛ったり包んだりして用いられ、現在でも朴葉寿司、朴葉餅に、また落ち葉は朴葉味噌や朴葉焼きなどの郷土料理に利用されています。」と書かれている。

「ホオノキ」 一般財団法人国民公園協会「新宿御苑」HPより引用させていただきました。

 

 

―その1507―

●歌は、「・・・ははそ葉の母の命はみ裳の裾摘み上げ掻き撫でちちの実の父の命は・・・」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P45)万葉歌碑<プレート>(大伴家持

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P45)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「陳防人悲別之情歌一首幷短歌」<防人が悲別の情(こころ)を陳(の)ぶる歌一首幷(あは)せて短歌>である。

 

◆大王乃 麻氣乃麻尓ゝゝ 嶋守尓 和我多知久礼婆 波ゝ蘇婆能 波ゝ能美許等波 美母乃須蘇 都美安氣可伎奈埿 知ゝ能未乃 知ゝ能美許等波 多久頭努能 之良比氣乃宇倍由 奈美太多利 奈氣伎乃多婆久 可胡自母乃 多太比等里之氐 安佐刀埿乃 可奈之伎吾子 安良多麻乃 等之能乎奈我久 安比美受波 古非之久安流倍之 今日太尓母 許等騰比勢武等 乎之美都々 可奈之備麻勢婆 若草之 都麻母古騰母毛 乎知己知尓 左波尓可久美為 春鳥乃 己恵乃佐麻欲比 之路多倍乃 蘇埿奈伎奴良之 多豆佐波里 和可礼加弖尓等 比伎等騰米 之多比之毛能乎 天皇乃 美許等可之古美 多麻保己乃 美知尓出立 乎可之佐伎 伊多牟流其等尓 与呂頭多妣 可弊里見之都追 波呂ゝゝ尓 和可礼之久礼婆 於毛布蘇良 夜須久母安良受 古布流蘇良 久流之伎毛乃乎 宇都世美乃 与能比等奈礼婆 多麻伎波流 伊能知母之良受 海原乃 可之古伎美知乎 之麻豆多比 伊己藝和多利弖 安里米具利 和我久流麻埿尓 多比良氣久 於夜波伊麻佐祢 都ゝ美奈久 都麻波麻多世等 須美乃延能 安我須賣可未尓 奴佐麻都利 伊能里麻乎之弖 奈尓波都尓 船乎宇氣須恵 夜蘇加奴伎 可古等登能倍弖 安佐婢良伎 和波己藝埿奴等 伊弊尓都氣己曽

     (大伴家持 巻二十 四四〇八)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに 島守(そまもり)に 我が立(た)ち来(く)れば ははそ葉(ば)の 母の命(みこと)は み裳(も)の裾(すそ) 摘(つ)み上(あ)げ掻(か)き撫(な)で ちちの実(み)の 父の命(みこと)は 栲(たく)づのの 白(しら)ひげの上(うへ)ゆ 涙垂(なみだた)り 嘆きのたばく 鹿子(かこ)じもの ただひとりして 朝戸出(あさとで)の 愛(かな)しき我(あ)が子 あらたまの 年の緒(を)長く 相(あひ)見ずは 恋(こひ)しくあるべし 今日(けふ)だにも 言(こと)どひせむと 惜(を)しみつつ 悲しびませば 若草の 妻も子どもも をちこちに さはに囲(かく)み居(ゐ) 春鳥(はるとり)の 声のさまよひ 白栲(しろたへ)の 袖(そで)泣き濡(ぬ)らし たづさはり 別れかてにと 引き留(とど)め 慕ひしものを 大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み 玉桙(たまぼこ)の 道に出で立ち 岡(おか)の崎(さき) い廻(た)むるごとに 万(よろづ)たび かへり見しつつ はろはろに 別れし来(く)れば 思ふそら 安くもあらず 恋ふるそら 苦しきものを うつせみの 世の人なれば たまきはる 命(いのち)も知らず 海原(うなはら)の 畏(かしこ)き道を 島伝(づた)ひ い漕(こ)ぎ渡りて あり廻(めぐ)り 我が来るまでに 平(たひら)けく 親(おや)はいまさね つつみなく 妻は待たせと 住吉(すみのゑ)の 我(あ)が統(す)め神(かみ)に 幣(ぬさ)奉(まつ)り 祈(いの)り申(まを)して 難波津(なにはづ)に 船を浮け据(す)ゑ 八十(やそ)楫(か)貫(ぬ)き 水手(かこ)ととのへて 朝開(あさびら)き 我は漕ぎ出ぬと 家に告げこそ

 

(訳)大君の仰せのままに、島守として私が家を出て来た時、ははその母の君はみ裳の裾をつまみ上げて私の顔を撫で、ちちの実の父の君は栲づのの白いひげ伝いに涙を流して、こもごも嘆いておっしゃることに、「鹿の子のようにただひとり家を離れて朝立ちして行くいとしい我が子よ、年月久しく逢わなかったら恋しくてやりきれないだろう、せめて今日だけでも存分に話をしよう」と、名残を惜しみながら悲しまれると、妻や子たちもあちらからこちらからいっぱいに私を取り囲んで、春鳥の鳴き騒ぐようにうめき声をあげてせつながり、白い袖を泣き濡らして、手に取り縋って別れるのはつらいと私を引き留め追って来たのに、大君の仰せの恐れ多さに旅路に出で立ち、岡の出鼻を曲がるごとに、いくたびとなく振り返りながら、こんなにはるかに別れて来ると、思う心も安らかでなく、恋い焦がれる心も苦しくてたまらないのだが・・・、生身のこの世の人間である限り、たまきはる命のほども計りがたいとはいえ、どうか、海原の恐ろしい道、その海原の道を島伝いに漕ぎ渡って、旅路から旅路へとめぐり続けて私が無事に帰って来るまで、親は親で幸福でいてほしい、妻は妻で達者でいてほしいと、我が神と縋る住吉の海の神様に幣を捧げてねんごろにお祈りをし、難波津に船を浮かべ、櫂(かい)をびっしり取り付け水手(かこ)を揃えて、朝早く私は漕ぎ出して行ったと、家の者に知らせて下さい。(同上)

(注)しまもり【島守】名詞:島の番人。(学研)

(注)ははそばの <柞葉の>:同音の「はは」の繰り返しで「母」にかかる枕詞。「ははそば」とは「ははその葉」のことで、ははそは、コナラおよびそれと似たクヌギの総称。万葉集には藤原宇合の歌に「山科の 石田の小野の ははそ原」とあり(9-1730)、ははその木が多く生えた原があったらしい。「ははそ葉の母の命」は大伴家持の歌2首にみられ(19-4164、20-4408)、「ちちの実の 父の命」と対にしてよまれている。この歌において父母を「父の命」「母の命」といった神名のごとき呼称でよむにあたって冠された語であることが知られる。(万葉神事語事典 國學院大學デジタル・ミュージアム

(注)ちちのみの【ちちの実の】分類枕詞:同音の繰り返しで「父(ちち)」にかかる。「ちちのみの父の命(みこと)」(学研)

(注)たくづのの【栲綱の】分類枕詞:栲(こうぞ)の繊維で作った綱は色が白いことから「白」に、また、その音を含む「新羅(しらぎ)」にかかる。(学研)

(注)のたぶ【宣ぶ】他動詞:「のたうぶ」に同じ。>のたうぶ【宣ぶ】他動詞:おっしゃる。「のたぶ」とも。 ▽「言ふ」の尊敬語。(学研)

(注)-じもの 接尾語:名詞に付いて、「…のようなもの」「…のように」の意を表す。「犬じもの」「鳥じもの」「鴨(かも)じもの」。 ※上代語。(学研)

(注)あさとで【朝戸出】名詞:朝、戸を開けて出て行くこと。(学研)

(注)ことどひ【言問ひ】名詞:言葉を言い交わすこと。語り合うこと。(学研)

(注)をちこち【彼方此方・遠近】名詞:①あちらこちら。②将来と現在(学研)

(注)さはに 【多に】副詞:たくさん。(学研)

(注)はるとりの【春鳥の】( 枕詞 ):春に鳴く鳥のようにの意で、「さまよふ」「音(ね)のみ泣く」「声のさまよふ」にかかる。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)さまよふ【吟ふ・呻ふ】自動詞:力のない声でうめく。ため息をつく。 ※上代語。(学研)

(注)たづさはる【携はる】自動詞:①手を取り合う。②連れ立つ。③かかわり合う。関係する。(学研)

(注)したふ【慕ふ】他動詞:①(心引かれて)あとを追う。ついて行く。②恋しく思う。愛惜する。慕う。(学研)

(注)はろばろなり【遥遥なり】形容動詞:遠く隔たっている。「はろはろなり」とも。 ※上代語。

(注)そらなり【空なり】形容動詞:①心がうつろだ。上の空だ。②いい加減だ。あてにならない。③〔連用形「そらに」の形で〕物を見ないで。暗記していて。そらんじていて。(学研) ここでは①の意

(注)たひらけし【平らけし】形容詞:穏やかだ。無事だ。(学研)

(注)つつみなし【恙み無し】形容詞:支障がない。無事である。(学研)

(注)かぢ【楫・梶】名詞:櫓(ろ)や櫂(かい)。船をこぐ道具。(学研)

   類語:真楫(まかじ)繁貫(しじぬ)く :船に左右そろった櫂 (かい) をたくさん取り付ける。(goo辞書)

(注)かこ【水手・水夫】名詞:船乗り。水夫。 ※「か」は「かぢ(楫)」の古形、「こ」は人の意。(学研)

 

 この歌ならびに短歌四首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その548)」で紹介している。

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 「ちち」については、イヌビワとイチョウの2説がある。イヌビワは実を傷つけたりするとイチジクのように白い乳液が出ることから、またイチョウは木が古くなると幹に乳房状の突起ができることから共にチチノキと呼ばれて来た。両者とも有史以前から日本に自生していたと考えられてきたが、近年、イチョウ室町時代になってから中国から渡来したとする説が有力となっており、「ちち」はイヌビワ説が妥当と考えられるようになった。

(注)いぬびわ【犬枇杷/天仙果】:クワ科の落葉低木。暖地に自生。葉は倒卵形。雌雄異株。春、イチジク状の花をつけ、熟すと黒紫色になり、食べられる。こいちじく。いたび。(weblio辞書 デジタル大辞泉

「イヌビワ」 「weblio辞書 デジタル大辞泉」より引用させていただきました。

 

 今回で「三ヶ日町乎那の峯」の万葉歌碑(プレート)の紹介は終わりになります。樹脂製のプレートが、心無い人のせいと思われる破損が目立ったのが非常に残念であった。設置された人々の万葉の歌にかける思いを考えると、憤りすら覚える。

 心穏やかに、歌碑やプレートと向き合いたいものである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉神事語事典」 (國學院大學デジタル・ミュージアムHP)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「一般財団法人国民公園協会『新宿御苑』HP

 

※20230629静岡県浜松市に訂正

万葉歌碑を訪ねて(その1502,1503,1504)―静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P40、P41、P42)―万葉集 巻十八 四一〇六.巻十八 四一一六、巻十九 四一三九

―その1502―

●歌は、「・・・ちさの花咲ける盛りにはしきよしその妻の子と朝夕に笑みみ笑まずもうち嘆き・・・」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P40)万葉歌碑<プレート>(大伴家持

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P40)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「教喩史生尾張少咋歌一首幷短歌」<史生(ししやう)尾張少咋(をはりにをくひ)を教え喩(さと)す歌一首幷(あは)せて短歌>である。

 

◆於保奈牟知 須久奈比古奈野 神代欲里 伊比都藝家良之 父母乎 見波多布刀久 妻子見波 可奈之久米具之 宇都世美能 余乃許等和利止 可久佐末尓 伊比家流物能乎 世人能 多都流許等太弖 知左能花 佐家流沙加利尓 波之吉余之 曽能都末能古等 安沙余比尓 恵美ゝ恵末須毛 宇知奈氣支 可多里家末久波 等己之へ尓 可久之母安良米也 天地能 可未許等余勢天 春花能 佐可里裳安良牟等 末多之家牟 等吉能沙加利曽 波奈礼居弖 奈介可須移母我 何時可毛 都可比能許牟等 末多須良無 心左夫之苦 南吹 雪消益而 射水河 流水沫能 余留弊奈美 左夫流其兒尓 比毛能緒能 移都我利安比弖 尓保騰里能 布多理雙坐 那呉能宇美能 於支乎布可米天 左度波世流 支美我許己呂能 須敝母須敝奈佐  <言佐夫流者遊行女婦之字也>

       (大伴家持 巻十八 四一〇六)

 

≪書き下し≫大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神代(かみよ)より 言ひ継(つ)ぎけらく 父母を 見れば貴(たふと)く 妻子(めこ)見れば 愛(かな)しくめぐし うつせみの 世のことわりと かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立(ことだ)て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻(つま)の子(こ)と 朝夕(あさよひ)に 笑(ゑ)みみ笑まずも うち嘆き 語りけまくは とこしへに かくしもあらめや 天地(あめつち)の 神(かみ)言寄(ことよ)せて 春花の 盛りもあらむと 待たしけむ 時の盛りぞ 離(はな)れ居(ゐ)て 嘆かす妹が いつしかも 使(つかひ)の来(こ)むと 待たすらむ 心寂(さぶ)しく 南風(みなみ)吹き 雪消(ゆきげ)溢(はふ)りて 射水川(いづみ かは) 流る水沫(みなは)の 寄るへなみ 左夫流(さぶる)その子(こ)に 紐(ひも)の緒(を)の いつがり合ひて にほ鳥の ふたり並び居(ゐ) 奈呉(なご)の海の 奥(おき)を深めて さどはせる 君が心の すべもすべなさ  <佐夫流と言ふは遊行女婦(うかれめ)の字(あざな)なり>

 

(訳)大汝(おほなむち)命(みこと)と少彦名命が国土を造り成したもうた遠い神代の時から言い継いできたことは、「父母は見る尊いし、妻子は見るといとしくいじらしい。これがこの世の道理なのだ」と、こんな風に言ってきたものだが、それが世の常の人の立てる誓いの言葉なのだが、その言葉通りに、ちさの花の真っ盛りの頃に、いとしい奥さんと朝に夕に、時には微笑み時に真顔で、溜息まじりに言い交した、「いつまでもこんな貧しい状態が続くということがあろうか、天地の神々がうまく取り持って下さって、春の盛りの花のように栄える時もあろう」と言う言葉をたよりに奥さんが待っておられた、その盛りの時が今なのだ。離れていて溜息ついておられるお方が、いつになったら夫の使いが来るのだろうとお待ちになっているその心はさぞ寂しいことだろうに、ああ、南風が吹き雪解け水が溢れて、射水川の流れに浮かぶ水泡(みなわ)のように寄る辺もなくうらさびれるという、左夫流と名告るそんな娘(こ)なんぞに、紐の緒のようにぴったりくっつき合って、かいつぶりのように二人肩を並べて、奈呉の海の底の深さのように、深々と迷いの底にのめりこんでおられるあなたの心、その心の何ともまあ処置のしようのないこと。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ちさ【萵苣】名詞:木の名。えごのき。初夏に白色の花をつける。一説に「ちしゃのき」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)はしきやし【愛しきやし】分類連語:ああ、いとおしい。ああ、なつかしい。ああ、いたわしい。「はしきよし」「はしけやし」とも。※上代語。 ⇒参考:愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用い、愛惜や悲哀の情を表す「ああ」「あわれ」の意となる場合もある。「はしきやし」「はしきよし」「はしけやし」のうち、「はしけやし」が最も古くから用いられている。 ⇒なりたち:形容詞「は(愛)し」の連体形+間投助詞「やし」(学研)

(注)ゑむ 【笑む】①ほほえむ。にっこりとする。微笑する。②(花が)咲く。(学研)

(注)ことよす【言寄す・事寄す】①言葉や行為によって働きかける。言葉を添えて助力する。②あるものに託す。かこつける。③うわさをたてる。➡ここでは①の意(学研)

(注)はるはなの【春花の】分類枕詞:①春の花が美しく咲きにおう意から「盛り」「にほえさかゆ」にかかる。②春の花をめでる意から「貴(たふと)し」や「めづらし」にかかる。③春の花が散っていく意から「うつろふ」にかかる。(学研)

(注)ひものおの【紐の緒の】 枕詞 :① 紐を結ぶのに、一方を輪にして他方をその中にいれるところから、「心に入る」にかかる。 ② 紐の緒をつなぐことから、比喩的に「いつがる」にかかる。(コトバンク 三省堂大辞林

(注)いつがる【い繫る】つながる。自然につながり合う。「い」は接頭語。(学研)

(注)にほどりの【鳰鳥の】枕詞:かいつぶりが、よく水にもぐることから「潜(かづ)く」および同音を含む地名「葛飾(かづしか)」に、長くもぐることから「息長(おきなが)」に、水に浮いていることから「なづさふ(=水に浮かび漂う)」に、また、繁殖期に雄雌が並んでいることから「二人並び居(ゐ)」にかかる。(学研)

 

 この歌ならびに前文についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その473)」で紹介している。

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 反歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その834)」で紹介している。

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 エゴノキとは、「みんなの趣味の園芸」(NHK出版HP)によると「日本全土に分布する落葉樹です。5月から6月にかけて小枝の先に短い総状花序を出し、釣り鐘状の白い花を下向きにつけ、秋には卵形の果実が熟します。樹形は野趣に富むことから、雑木の庭の植栽材料としてよく利用されるようになりました。(中略)古くから親しまれてきた万葉植物の一つで、和名の由来は、果皮が有毒でえぐみがあることによります。昔はこの果実をすりつぶして川に流す漁法が行われていたといいます。」と書かれている。

エゴノキ」 「みんなの趣味の園芸」(NHK出版HP)より引用させていただきました。

 家持だけに説得力ある道徳倫理的な歌である。

 

 

 

―その1503―

●歌は、「・・・ほととぎす来鳴く五月のあやめ草蓬かづらき酒みづき遊びなぐれど・・・」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P41)万葉歌碑<プレート>(大伴家持

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P41)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「國掾久米朝臣廣縄以天平廿年附朝集使入京 其事畢而天平感寶元年閏五月廿七日還到本任 仍長官之舘設詩酒宴樂飲 於時主人守大伴宿祢家持作歌一首幷短歌」<国の掾久米朝臣廣縄(じようくめのあそみひろつな)、天平(てんびやう)二十年をもちて朝集使(てふしふし)に付きて京に入る。その事畢(をは)りて、天平感宝(てんびやうかんぽう)元年の閏の五月の二十七日に、本任(ほんにん)に還(かへ)り至る。よりて長官(かみ)が館(たち)にして、詩酒の宴(うたげ)を設(ま)けて楽飲す。時に、主人(あろじ)の守(かみ)大伴宿禰家持が作る歌一首幷(あは)せて短歌>である。

(注)天平二十年:748年

(注)朝集使:日本古代の律令制のもとで,諸国から毎年上京して政務を報告した使者。当時,諸国に派遣されていた国司が使者として毎年定期に上京するものに,四度使(よどのつかい)として朝集使,計帳使(大帳使とも),貢調使,正税帳使の4種があったが,朝集使はそのうち最も重要なもので,他の3使は史生(ししよう)などの雑任(ぞうにん)でもよかったが,朝集使には守(かみ),介(すけ),掾(じよう),目(さかん)の四等官が任じた。(コトバンク 平凡社世界大百科事典 第2版)

(注)天平感宝元年:749年

 

◆於保支見能 末支能末尓ゝゝ 等里毛知氐 都可布流久尓能 年内能 許登可多祢母知多末保許能 美知尓伊天多知 伊波祢布美 也末古衣野由支 弥夜故敝尓 末為之和我世乎 安良多末乃 等之由吉我弊理 月可佐祢 美奴日佐末祢美 故敷流曽良 夜須久之安良祢波 保止ゝ支須 支奈久五月能 安夜女具佐 余母疑可豆良伎 左加美都伎 安蘇比奈具礼止 射水河 雪消溢而 逝水能 伊夜末思尓乃未 多豆我奈久 奈呉江能須氣能 根毛己呂尓 於母比牟須保礼 奈介伎都ゝ 安我末川君 我許登乎波里 可敝利末可利天 夏野能 佐由利能波奈能 花咲尓 ゝ布夫尓恵美天 阿波之多流 今日乎波自米氐 鏡奈須 可久之都祢見牟 於毛我波利世須

      (大伴家持 巻十八 四一一六)

 

≪書き下し≫大君の 任(ま)きのまにまに 取り持ちて 仕(つか)ふる国の 年の内の 事かたね持ち 玉桙(たまほこ)の 道に出で立ち 岩根(いはね)踏み 山越え野(の)行き 都辺(みやこへ)に 参(ま)ゐし我が背を あらたまの 年行き返(がへ)り 月重ね 見ぬ日さまねみ 恋ふるそら 安くしあらねば ほととぎす 来鳴く五月(さつき)の あやめぐさ 蓬(よもぎ)かづらき 酒(さか)みづき 遊びなぐれど 射水川(いみづがは) 雪消(ゆきげ)溢(はふ)りて 行く水の いや増しにのみ 鶴(たづ)が鳴く 奈呉江(なごえ)の菅(すげ)の ねもころに 思ひ結ぼれ 嘆きつつ 我(あ)が待つ君が 事終(をは)り 帰り罷(まか)りて 夏の野(の)の さ百合(ゆり)の花の 花笑(ゑ)みに にふぶに笑みて 逢(あ)はしたる 今日(けふ)を始めて 鏡なす かくし常(つね)見む 面変(おもがは)りせず

 

(訳)大君の御任命のままに、政務を背負ってお仕えしている国、この国の一年(ひととせ)の出来事をとりまとめて、長い旅路に出立し、岩を踏み山を越え野を通って、都目指して上って行ったあなた、そのあなたに、年が改まり、月を重ねるまで逢わぬ日が続いて、恋しさに心が落ち着かないので、時鳥の来て鳴く五月の菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)を蘰(かづら)にし、酒盛りなどして遊んでは心を慰めたけれど、射水川に雪解け水が溢(あふ)れるばかりに流れて行くその水かさのように、恋しさはいよいよつのるばかりで、鶴の頼りなく鳴く奈呉江の菅の根ではないが、心のねっこから塞(ふさ)ぎこんで、溜息(ためいき)つきながら私の待っていたそのあなたが、勤めを無事終えて都から帰って来られ、夏の野の百合の花の花笑みそのままに、にっこりほほ笑んで逢って下さったこの今日の日からというものは、鏡を見るようにこうしていつもいつもお逢いしましょう。今日のままもそのお顔で。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)まく【任く】他動詞:任命する。任命して派遣する。遣わす。(学研)

(注)まにまに【随に】分類連語:…に任せて。…のままに。▽他の人の意志や、物事の成り行きに従っての意。(学研)

(注)とりもつ【取り持つ・執り持つ】他動詞①手に持つ。持つ。②執り行う。取りしきる③世話する。④仲立ちをする。とりもつ。(学研) ここでは②の意

(注)かたぬ【結ぬ】( 動ナ下二 ):①まとめる。たばねる。②結政(かたなし)で、文書を広げて読み上げる。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版) ここでは①の意

(注)さまねし 形容詞:数が多い。たび重なる。 ※「さ」は接頭語。(学研)

(注)そら【空】名詞:①大空。空。天空。②空模様。天気。③途上。方向。場所。④気持ち。心地。▽多く打消の語を伴い、不安・空虚な心の状態を表す。 ※参考 地上の広々とした空間を表すのが原義。(学研) ここでは④の意

(注)かづらく【鬘く】他動詞:草や花や木の枝を髪飾りにする。(学研)

(注)さかみづく【酒水漬く】自動詞:酒にひたる。酒宴をする。(学研)

(注)なぐ【和ぐ】自動詞:心が穏やかになる。なごむ。(学研)

(注)射水川:現在の小矢部川(おやべがわ)

(注)ゆきげ【雪消・雪解】名詞:①雪が消えること。雪どけ。また、その時。②雪どけ水。 ※「ゆき(雪)ぎ(消)え」の変化した語。(学研)

(注)奈呉の江(読み)なごのえ:富山湾岸のほぼ中央部,射水(いみず)平野の北部に広がる。古くは越湖(こしのうみ),奈呉ノ江,奈呉ノ浦とよばれた。(コトバンク 平凡社世界大百科事典)

(注)ねもころなり【懇なり】形容動詞:手厚い。丁重だ。丁寧だ。入念だ。「ねもごろなり」とも。 ※「ねんごろなり」の古い形。(学研)

(注)おもひむすぼる【思ひ結ぼる】自動詞:気がめいる。ふさぎ込む。「おもひむすぼほる」とも。(学研)

(注)にふぶに 副詞:にこにこ。(学研)

(注)かがみなす【鏡なす】分類枕詞:①貴重な鏡のように大切に思うことから、「思ふ妻」にかかる。②鏡は見るものであることから、「見る」および、同音の「み」にかかる。(学研)

 

蓬(ヨモギ)は、「わが国の本州から四国・九州、それに北半球に広く分布しています。道ばたや草原に生え、高さは60~120センチになります。根は横に走り、茎は分枝して白い綿毛があります。8月から10月ごろ、淡い紫褐色の花を下向きに多数咲かせます。春に若い芽を摘んで草餅にしたり、葉の裏にある綿毛を乾燥させてお灸に使う艾(もぐさ)にしたりします。」(weblio辞書 植物図鑑)

 「ヨモギ」 「weblio辞書 植物図鑑」より引用させていただきました。

 

 

―その1504―

●歌は、「春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P42)万葉歌碑<プレート>(大伴家持


●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P42)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は「「天平勝宝(てんぴやうしようほう)二年の三月の一日の暮(ゆふへ)に、春苑(しゆんゑん)の桃李(たうり)の花を眺矚(なが)めて作る歌二首」」である。

 

◆春苑 紅尓保布 桃花 下照道尓 出立▼嬬

      (大伴家持 巻十九  四一三九)

     ※▼は、「女」+「感」、「『女』+『感』+嬬」=「をとめ」

 

≪書き下し≫春の園(その)紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照(したで)る道に出で立つ娘子(をとめ)

 

(訳)春の園、園一面に紅く照り映えている桃の花、この花の樹の下まで照り輝く道に、つと出で立つ娘子(おとめ)よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌については、これまでも何度も紹介しているが、雰囲気的には、高岡市万葉歴史館前の妻坂上大嬢とのブロンズ像とともにある歌碑が良いように思える。ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その825)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 植物図鑑」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「コトバンク 三省堂大辞林

★「コトバンク 平凡社世界大百科事典」

★「みんなの趣味の園芸」 (NHK出版HP)

 

※20230629静岡県浜松市に訂正

 

万葉歌碑を訪ねて(その1499,1500,1501)―静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P37、P38、P39)―万葉集 巻十六 三八八五、巻十七 三九一〇、巻十七 三九四五

―その1499―

●歌は、「・・・あしひきのこの片山に二つ立つ檪が本に・・・」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P37)万葉歌碑<プレート>(乞食者の歌)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P37)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆伊刀古 名兄乃君 居々而 物尓伊行跡波 韓國乃 虎神乎 生取尓 八頭取持来 其皮乎 多ゝ弥尓刺 八重疊 平群乃山尓 四月 与五月間尓 藥獦 仕流時尓 足引乃 此片山尓 二立 伊智比何本尓 梓弓 八多婆佐弥 比米加夫良 八多婆左弥 完待跡 吾居時尓 佐男鹿乃 来立嘆久 頓尓 吾可死 王尓 吾仕牟 吾角者 御笠乃婆夜詩 吾耳者 御墨坩 吾目良波 真墨乃鏡 吾爪者 御弓之弓波受 吾毛等者 御筆波夜斯 吾皮者 御箱皮尓 吾完者 御奈麻須波夜志 吾伎毛母 御奈麻須波夜之 吾美義波 御塩乃波夜之 耆矣奴 吾身一尓 七重花佐久 八重花生跡 白賞尼 白賞尼

      (乞食者の詠 巻十六 三八八五)

 

≪書き下し≫いとこ 汝背(なせ)の君 居(を)り居(を)りて 物にい行くとは 韓国(からくに)の 虎といふ神を 生(い)け捕(ど)りに 八つ捕り持ち来(き) その皮を 畳(たたみ)に刺(さ)し 八重(やへ)畳(たたみ) 平群(へぐり)の山に 四月(うづき)と 五月(さつき)との間(ま)に 薬猟(くすりがり) 仕(つか)ふる時に あしひきの この片山(かたやま)に 二つ立つ 櫟(いちひ)が本(もと)に 梓弓(あづさゆみ) 八(や)つ手挟(たばさ)み ひめ鏑(かぶら) 八つ手挟み 鹿(しし)待つと 我が居(を)る時に さを鹿(しか)の 来立ち嘆(なげ)かく たちまちに 我(わ)れは死ぬべし 大君(おほきみ)に 我(わ)れは仕(つか)へむ 我(わ)が角(つの)は み笠(かさ)のはやし 我(わ)が耳は み墨(すみ)坩(つほ) 我(わ)が目らは ますみの鏡 我(わ)が爪(つめ)は み弓の弓弭(ゆはず) 我(わ)が毛らは み筆(ふみて)はやし 我(わ)が皮は み箱の皮に 我(わ)が肉(しし)は み膾(なます)はやし 我(わ)が肝(きも)も み膾(なます)はやし 我(わ)がみげは み塩(しほ)のはやし 老い果てぬ 我(あ)が身一つに 七重(ななへ)花咲く 八重(やへ)花咲くと 申(まを)しはやさに 申(まを)しはやさに

 

(訳)あいやお立ち合い、愛(いと)しのお立ち合い、じっと家に居続けてさてさてどこかへお出かけなんてえのは、からっきし億劫(おつくう)なもんだわ、その韓(から)の国の虎、あの虎というおっかない神を、生け捕りに八頭(やつつ)もひっ捕らまえて来てわさ、その皮を畳に張って作るなんぞその八重畳、その八重の畳を隔てて繰り寄せ編むとは平群(へぐり)のあのお山で、四月、五月の頃合、畏(かしこ)の薬猟(かり)に仕えた時に、ここな端山(はやま)に並び立つ、二つの櫟(いちい)の根っこのもとで、梓弓(あずさゆみ)八(やつ)つ手狭み、ひめ鏑(かぶら)八(やつ)つ手狭み、このあっちが獲物を待ってうずくまっていたとしなされ、その時雄鹿が一つ出て来てひょこっとつっ立ってこう嘆いたわいさ、「射られてもうすぐ私は死ぬはずの身。どうせ死ぬなら大君のお役に立ちましょう。私の角はお笠の材料(たね)、私の耳はお墨の壺(つぼ)、私の両目は真澄(ますみ)の鏡、私の爪はお弓の弓弭(ゆはず)、私の肌毛はお筆の材料(たね)、私の皮はお手箱の覆い、私の肉はお膾(なます)の材料(たね)、私の肝もお膾の材料(たね)、私の胃袋(ゆげ)はお塩辛の材料(たね)。そうそう、今や老い果てようとするこの私めの身一つに、七重も八重も花が咲いた花が咲いたと、賑々(にぎにぎ)しくご奏上下され、賑々しくご奏上下され」とな。(伊藤 博 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)いとこ【愛子】名詞:いとしい人。▽男女を問わず愛(いと)しい人を親しんで呼ぶ語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)「いとこ 汝背(なせ)の君」:相手を親しんでの呼びかけ。聴衆あての表現。(伊藤脚注)

(注)をり【居り】:<自動詞>①座っている。腰をおろしている。②いる。存在する。 

補助動詞>(動詞の連用形に付いて)…し続ける。…している。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)やへだたみ【八重畳】①( 名 ):幾重にも重ねて敷いた敷物。神座として用いる。 ②( 枕詞 ):幾重にも重ねるところから、「へ(重)」と同音の地名「平群(へぐり)」にかかる。 (学研)

(注)くすりがり【薬狩】名詞:陰暦四、五月ごろ、特に五月五日に、山野で、薬になる鹿(しか)の若角や薬草を採取した行事。[季語] 夏。薬猟(学研)

(注)はやし:栄えさせる意の「栄す」の名詞形(伊藤脚注)

(注)ゆはず【弓筈・弓弭】名詞:弓の両端の弦をかけるところ。上の弓筈を「末筈(うらはず)」、下を「本筈(もとはず)」と呼ぶ。※「ゆみはず」の変化した語。(学研)

(注)なます【鱠・膾】名詞:魚介・鳥獣の生肉を細かく刻んだもの。後世では、それを酢などであえた料理。さらに後には、大根・人参などを混ぜたり、野菜のみのものにもいう。(学研)

 

 題詞は、「乞食者詠二首」<乞食者(ほかひひと)が詠ふ歌二首>である。

(注)ほかひびと【乞児・乞食者】名詞:物もらい。こじき。家の戸口で、祝いの言葉などを唱えて物ごいをする人。「ほかひひと」とも。

 

  左注は、「右歌一首為鹿述痛作之也」<右の歌一首は鹿のために痛みを述べて作る>である。ちなみに、もう一首三八八六歌の左注は、「右歌一首為蟹述痛作之也」<右の歌一首は蟹のために痛みを述べて作る>である。

 

 この歌には「虎」が出てくるが、この歌と共に「虎」の歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(1323)」で紹介している。

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 乞食者の詠う歌のもう一首三八八六歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1087)」で紹介している。

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 リズムを付けて読んでみると、場面が生き生きしてくる魔力を持っている。

 繰り返し読むことで楽しさが理解できてくる歌である。

 

 「いちひ」は、いまのイチイガシのことで、「ブナ科の常緑高木。暖地に自生し、高さ30メートルに達する。葉の裏面に黄褐色の短毛が密生。実はどんぐりで、食用。材は堅く、建築・家具などに用いられる。いちがし。いちい。」(weblio辞書 デジタル大辞泉

「イチイガシ」 「weblio辞書 植物図鑑」より引用させていただきました。

 

―その1500―

●歌は、「玉に貫く楝を家に植ゑたらば山ほととぎす離れず来むかも」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P38)万葉歌碑<プレート>(大伴書持)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P38)にある。

 

 その1500である。歌碑、歌碑プレート(木製、プラ製など)を歌として重複しているものもあるが、1500基見てきたのである。ここまでの道のりは、長いといえば長いが、短いといえば短い。

 京都在住であるので西日本中心であるが、機会を見つけて東日本へもエリアを広げて行きたいものである。

 「その1500」はまだまだ通過点、これからも新天地も開拓すべく継続していくつもりです。ご声援よろしくお願いいたします。

 

●歌をみていこう。

 

◆珠尓奴久 安布知乎宅尓 宇恵多良婆 夜麻霍公鳥 可礼受許武可聞

      (大伴書持 巻十七 三九一〇)

 

≪書き下し≫玉に貫(ぬ)く楝(あふち)を家に植ゑたらば山ほととぎす離(か)れず来(こ)むかも

 

(訳)薬玉(くすだま)として糸に貫く楝、その楝を我が家の庭に植えたならば、山に棲む時鳥がしげしげとやって来て鳴いてくれることだろうか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

左注は、「右四月二日大伴宿祢書持従奈良宅贈兄家持」<右は、四月の二日に、大伴宿禰書持、奈良(なら)の宅(いへ)より兄家持に贈る>である。

 

 この歌を含め大伴家持の弟書持の歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1348表①)」で紹介している。

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 「あふち」は、センダンの古名である。

(注)せんだん【栴檀/楝】:センダン科の落葉高木。暖地に自生する。樹皮は松に似て暗褐色。葉は羽状複葉で縁にぎざぎざがあり、互生する。初夏に淡紫色の5弁花を多数つけ、秋に黄色の丸い実を結ぶ。漢方で樹皮を苦楝皮(くれんぴ)といい駆虫薬にする。おうち。あみのき。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

「センダンの花と実」 「weblio辞書 植物図鑑」より引用させていただきました。

 

―その1501―

●歌は、「秋の夜は暁寒し白栲の妹が衣手着むよしもがも」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P39)万葉歌碑<プレート>(大伴池主)



●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P39)にある。

 

●歌をみていこう。

 

三九四三~三九五五歌の題詞は、「八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌」<八月の七日の夜に、守(かみ)大伴宿禰家持が館(たち)に集(つど)ひて宴(うたげ)する歌である。   家持を歓迎する宴で、越中歌壇の出発点となったと言われている。

 

◆安吉能欲波 阿加登吉左牟之 思路多倍乃 妹之衣袖 伎牟餘之母我毛

      (大伴池主 巻十七 三九四五)

 

≪書き下し≫秋の夜(よ)は暁(あかとき)寒し白栲(しろたへ)の妹(いも)が衣手(ころもで)着む縁(よし)もがも

 

(訳)秋の夜は明け方がとくに寒い。いとしいあの子の着物の袖、その袖を重ねて着て寝る手立てがあればよいのに。(同上)

(注)前の二首が土地の物をもちあげているが、これは都の妻を思う歌になっている。(伊藤脚注)           

 

 この歌を含め三九四三~三九五五歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その335)」で紹介している。

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 「栲」は「楮」の古名である。

 (注)「こうぞ〔かうぞ〕【楮】《「紙麻(かみそ)」の音変化》:クワ科の落葉低木。山野に自生する。葉は卵形で先がとがり、二〜五つに裂けるものもある。春、枝の下部の葉の付け根に雄花を、上部の葉の付け根に雌花をつける。実は赤く熟し、食べられる。樹皮から繊維をとって和紙の原料にする。たく。かぞ。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

「コウゾ」 「weblio辞書 デジタル大辞泉」より引用させていただきました。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 植物図鑑」

 

※20230629静岡県浜松市に訂正

 

万葉歌碑を訪ねて(その1496,1497,1498)ー静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P34、P35、P35)―万葉集 巻十二 三〇五一、巻十四 三三七六、巻十六 三八二九

―その1496―

●歌は、「あしひきの山菅の根もころに我れはぞ恋ふる君が姿に」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P34)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P34)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆足桧木之 山菅根之 懃 吾波曽戀流 君之光儀乎 <或本歌曰 吾念人乎 将見因毛我母>

       (作者未詳 巻十二 三〇五一)

 

≪書き下し≫あしひきの山菅(やますが)の根のねもころに我れはぞ恋ふる君が姿を <或る本の歌には「我(あ)が思ふ人を見むよしもがも」といふ>

 

(訳)山菅の長い根ではないが、ねんごろに心底私は恋い焦がれています。あなたのお姿に。<私が思っているあの方に逢えるきっかけがあればよいのに>(同上)

(注)上二句は序。「ねもころに」を起こす。

(注)やますげ【山菅】:① 山に生えている野生のスゲ。② ヤブランの古名。〈和名抄〉(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 三〇五一歌をはじめ「山菅」を詠った歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1159)」で紹介している。

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 「『やますげ』が何をさすのかは諸説が分かれているが、ジャノヒゲかヤブラン、もしくはスゲではないかといわれている。水辺や野で詠まれたものはスゲ、山辺となるとヤブランやジャノヒゲが有力。単に「菅」として詠まれている場合や、根と共に詠まれることも多く、いずれも止むことのない一途な恋心を表現した歌に多く登場する。」(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著)

(注)ジャノヒゲは、日本各地の林床などに自生する常緑の多年草です。ヤブラン(Liriope muscari)に似ていますが、花は下向きで茎は扁平となり、実が大きくて、秋に熟すと鮮やかなコバルトブルーになります。実は3月ごろまで残り、冬枯れの中で特に目立ちます。

細長い葉が地面を覆うように茂り、走出枝を出して広がるので、グラウンドカバープランツとして広く使われています。また、根の一部が紡錘形にふくらみ、これを乾燥させて薬用に使います。(みんなの趣味の園芸 NHK出版HP)

 

「ジャノヒゲ」 「みんなの趣味の園芸」 (NHK出版HP)より引用させていただきました。

 

 

―その1497―

●歌は、「恋しければ袖も振らむを武蔵野のうけらが花の色に出なゆめ」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P35)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P35)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆古非思家波 素弖毛布良武乎 牟射志野乃 宇家良我波奈乃 伊呂尓豆奈由米

        (作者未詳 巻十四 三三七六)

 

≪書き下し≫恋(こひ)しけば袖(そで)も振らむを武蔵野(むざしの)のうけらが花の色に出(づ)なゆめ

 

(訳)恋しかったら私は袖でも振りましょうものを。しかし、あなたは、武蔵野のおけらの花の色のように、おもてに出す。そんなことをしてはいけませんよ。けっして。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)うけら【朮】名詞:草花の名。おけら。山野に自生し、秋に白や薄紅の花をつける。根は薬用。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その648)」で紹介している。

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 「オケラ」の「産地と分布」については、「本州、四国、九州、および朝鮮、中国東北部に分布し、日当たりのよい山地の乾いた所に多く、多年草。根茎は長く、草丈30~60 cm、硬くて円柱形。葉は互生、長柄があり、羽裂または楕円形。枝の頂に白色または紅色の頭花を付ける。雌雄異株。オケラの語源は古名ウケラがなまったものとされるが、ウケラの語源は不明。」(熊本大学薬学部 薬草園 「植物データベース」より)

「オケラの花」 熊本大学薬学部 薬草園 「植物データベース」より引用させていただきました。

 

 

京都 祇園 八坂神社HPに「をけら詣り」について次の様に書かれている。

「京都の年末の風物詩として12月31日の午後7時半頃から元旦の早朝5時頃まで執り行われるのが『をけら詣り』になります。

午後7時から本殿にて一年を締めくくる除夜祭が執り行われ、祭典後には境内に設けられた灯籠に順次、神職により浄火が点火されます。その際に白朮(をけら)の欠片と氏子崇敬者が一年間の無病息災を祈願した『をけら木』が一緒に炊き上げられます。

白朮とはキク科の植物であり、その根っこを乾燥させたものを燃やすと非常に強い匂いを発することから邪気を祓うとされ、江戸時代までは年末の風物詩として一般家庭でも執り行われていました。」

八坂神社HPより引用させていただきました。

 

 先日、広島大学附属福山中・高等学校の万葉歌碑を見せていただいた折に、ご親切に校内を案内していただいた上に思いがけずも頂戴した「万葉植物物語(同校編著 中国新聞社発行)に「おけら」について、「・・・地味で目立たない花ですが、万葉人はこのような花をよく見ていて、しかも上手に歌に取り入れています。その感性の素晴らしさに驚嘆します」と書かれており、漢方薬としての効用、八坂神社のおけら詣りにも言及されている。活用させていただきます。

 

 

―その1498―

●歌は、「醤酢に蒜搗き合てて鯛願ふ我にな見えそ水葱の羹は」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P36)万葉歌碑<プレート>(長忌寸意吉麻呂)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P36)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「酢(す)、醤(ひしほ)、蒜(ひる)、鯛(たひ)、水葱(なぎ)を詠む歌」である。

 

◆醤酢尓 蒜都伎合而 鯛願 吾尓勿所見 水葱乃▼物

        (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二九)

※   ▼は、「者」の下が「灬」でなく「火」である。「▼+物」で「あつもの」

 

≪書き下し≫醤酢(ひしほす)に蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて鯛願ふ我(われ)にな見えそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)は

 

(訳)醤(ひしお)に酢を加え蒜(ひる)をつき混ぜたたれを作って、鯛(たい)がほしいと思っているこの私の目に、見えてくれるなよ。水葱(なぎ)の吸物なんかは。(同上)

 

 この歌ならびに長忌寸意吉麻呂の歌すべてについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その987)」で紹介している。

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 この歌に詠われている「蒜」は「ノビル」のことで、「万葉植物物語」(広島大学附属福山中・高等学校編著 中国新聞社発行)に「全国の山野に生えている野草ですが、きわめて生活力が強く、どんなところでも繁茂しています。白くてかわいい球根から、不安定な葉が一㍍近くもノビル(・・・)。どうやら「ノビル」の語源は、野に生えるヒル(ネギ、ニンニクをあらわす古語)という意味のようです。独特のにおいがあり、酢みそで食べても、ぬたにしても、おひたしにしてもおいしいものです。薬草料理の代表のようなものです。」と書かれている。

「ノビル」 「万葉植物物語」(広島大学附属福山中・高等学校編著 中国新聞社発行)より引用させていただきました。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉植物物語」(広島大学附属福山中・高等学校編著 中国新聞社発行)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「みんなの趣味の園芸」 (NHK出版HP)

★「八坂神社HP」

★「植物データベース」 (熊本大学薬学部 薬草園HP)

 

※20230629静岡県浜松市に訂正

 

万葉歌碑を訪ねて(その1493,1494,1495)ー静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P31、P32、P33)―万葉集 巻十一 二三五三、巻十一 二七五〇、巻十一 二七八六

―その1493―

●歌は、「泊瀬の斎槻が下に我が隠せる妻あかねさし照れる月夜に人見てむかも」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P31)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P31)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆長谷 弓槻下 吾隠在妻 赤根刺 所光月夜迩 人見點鴨 <一云人見豆良牟可>

       (柿本人麻呂歌集 巻十一 二三五三)

 

≪書き下し≫泊瀬(はつせ)の斎槻(ゆつき)が下(した)に我(わ)が隠(かく)せる妻(つま)あかねさし照れる月夜(つくよ)に人見てむかも」である。<一には「人みつらむか」といふ>

 

(訳)泊瀬(はつせ)のこんもり茂る槻の木の下に、私がひっそりと隠してある、大切な妻なのだ。その妻を、あかあかと隈(くま)なく照らすこの月の夜に、人が見つけてしまうのではなかろうか。<人がみつけているのではなかろうか>(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)泊瀬の斎槻:人の立ち入りを禁じる聖域であることを匂わす。「泊瀬」は隠処(こもりく)の聖地とされた。「斎槻」は神聖な槻の木。(伊藤脚注)

(注の注)こもりくの【隠り口の】分類枕詞:大和の国の初瀬(はつせ)の地は、四方から山が迫っていて隠れているように見える場所であることから、地名の「初(=泊)瀬」にかかる。「こもりくの泊瀬(はつせ)」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注の注)いつき【斎槻】名詞:神が宿るという槻(つき)の木。神聖な槻の木。一説に、「五十槻(いつき)」で、枝葉の多く茂った槻の木の意とも。※「い」は神聖・清浄の意の接頭語。(学研)

(注)隠在妻>こもりづま【隠り妻】名詞:人の目をはばかって家にこもっている妻。人目につくと困る関係にある妻や恋人。(学研)

(注)あかねさし【茜さし】 枕詞:茜色に美しく映えての意で、「照る」にかかる。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その535)」で紹介している。

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 「隠り口の泊瀬」「よばひ」「隠妻」というと、宮廷歌謡と思われる三三一〇から三三一三歌がある。

 これをみてみよう。

 

◆隠口乃 泊瀬乃國尓 左結婚丹 吾来者 棚雲利 雪者零来 左雲理 雨者落来 野鳥 雉動 家鳥 可鶏毛鳴 左夜者明 此夜者昶奴 入而且将眠 此戸開為

       (作者未詳 巻十三 三三一〇)

 

≪書き下し≫こもりくの 泊瀬(はつせ)の国に さよばひに 我(わ)が来(きた)れば たな曇(ぐも)り 雪は降り来(く) さ曇(ぐも)り 雨は降り来(く) 野(の)つ鳥(とり) 雉(きざし)は響(とよ)む 家(いへ)つ鳥(とり) 鶏(かけ)も鳴く さ夜(よ)は明け この夜は明けぬ 入りてかつ寝(ね)む この戸開(ひら)かせ

 

(訳)隠(こも)り処(く)のこの泊瀬の国に、妻どいにやって来ると、かき曇って雪は降ってくるし、曇りに曇って雨は降ってくる。野の鳥雉(きじ)は鳴き騒ぐし、家の鳥鶏も鳴き立てる。夜は白みはじめ、とうとうこの一夜は明けてしまった。だけど、中に入って寝るだけは寝よう。さあ、この戸をお開け下され。(同上)

(注)たなぐもる【棚曇る】自動詞:空一面に曇る。 ※「たな」は接頭語。(学研)

(注)かつ:とりあえず。(伊藤脚注)

(注)「たな曇り・・・鷄鳴く」の八句の障害の上述は、妻問い歌の型。(伊藤脚注)

 

 

題詞は、「反歌」である。

 

◆隠来乃 泊瀬小國丹 妻有者 石者履友 猶来々

       (作者未詳 巻十三 三三一一)

   

≪書き下し≫こもりくの泊瀬(はつせ)小国(をぐに)に妻(つま)しあれば石(いし)は踏(ふ)めどもなほし来(き)にけり

 

(訳)隠り処の泊瀬小国に妻がいるので、石踏む道ではあるけれども、私は押し切ってやって来た。(同上)

(注)小国:山間の小生活圏。泊瀬は格別な聖地なので、国と呼ばれた。(伊藤脚注)

 

◆隠口乃 長谷小國 夜延為 吾天皇寸与 奥床仁 母者睡有 外床丹 父者寐有 起立者 母可知 出行者 父可知 野干玉之 夜者昶去奴 幾許雲 不念如 隠攦香聞

       (作者未詳 巻十三 三三一二)

 

≪書き下し≫こもりくの 泊瀬小国(はつせをぐに)に よばひせす 我がすめろきよ 奥床(おくとこ)に 母は寐寝(いね)たり 外床(とどこ)に 父は寐寝(いね)たり 起き立たば 母知りぬべし 出(い)でて行かば 父知りぬべし ぬばたまの 夜(よ)は明(あ)けゆきぬ ここだくも 思ふごとならぬ 隠(こも)り妻(づま)かも

 

(訳)隠り処のこの泊瀬の国に妻どいをされるすめろぎの君よ、母さんは奥の床に寝ていますし、父さんは入口の床で寝ています。体を起こしたなら母さんが気づいてしますでしょうし、出て行ったらなら父さんが気づいてしまうでしょう。ためらううちに夜はもう明けてきました。何とまあ、こんなにも思うにまかせぬ隠り妻であること、この私は。(同上)

(注)すめろき:皇統譜に位置づけられた天皇。(伊藤脚注)

(注)おくどこ【奥床】:家の奥にある寝床。⇔外床。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)ここだく【幾許】副詞:「ここだ」に同じ。 ※上代語。(学研)

(注の注)ここだ【幾許】副詞:①こんなにもたくさん。こうも甚だしく。▽数・量の多いようす。②たいへんに。たいそう。▽程度の甚だしいようす。 ※上代語。(学研)

(注)隠在妻>こもりづま【隠り妻】名詞:人の目をはばかって家にこもっている妻。人目につくと困る関係にある妻や恋人。(学研)

 

 

題詞は、「反歌」である。

 

◆川瀬之 石迹渡 野干玉之 黒馬之来夜者 常二有沼鴨

       (作者未詳 巻十三 三三一三)

 

≪書き下し≫川の瀬の石(いし)踏(ふ)み渡りぬばたまの黒馬(くろま)来る夜(よ)は常(つね)にあらぬかも

 

(訳)川の瀬を踏み渡って、お乗りになる黒馬の来る夜は、毎晩のことであってくれないものか。(同上)

(注)黒馬:夜、人目につきにくい馬なので、妻問いに利用された。(伊藤脚注)

 

 三三一二歌の「奥床(おくとこ)に 母は寐寝(いね)たり 外床(とどこ)に 父は寐寝(いね)たり 起き立たば 母知りぬべし 出(い)でて行かば 父知りぬべし」の状況は手に取るように分かる。思わず息をのみつつ笑いをこらえるところである。

 

 三三一〇、三三一一歌と三三一二、三三一三歌はセットで問答歌になっている。

 

 

―その1494― 

●歌は、「我妹子に逢はず久しもうましもの阿倍橘の苔生すまでに」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P32)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P32)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾妹子 不相久 馬下乃 阿倍橘乃 蘿生左右

       (作者未詳 巻十一 二七五〇)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)に逢はず久しもうましもの阿倍橘(あへたちばな)の苔生(こけむ)すまでに

 

(訳)あの子に逢わないで随分ひさしいな。めでたきものの限りである阿倍橘が老いさらばえて苔が生えるまでも。(同上)

(注)うまし【甘し・旨し・美し】形容詞:おいしい。味がよい。(学研)

(注)阿倍橘:「集中に詠まれた『阿倍橘』は、『和名抄』・『本草和名』に「橙(だいだい)・阿倍多知波奈(あべたちばな)」と記されているところから、現在ダイダイに比定されている。しかし、クネンボとする異説もる。」(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著)

(注の注)だいだい【橙/臭橙/回青橙】: ミカン科の常緑小高木。葉は楕円形で先がとがり、葉柄(ようへい)に翼がある。初夏、香りのある白い花を開く。実は丸く、冬に熟して黄色になるが、木からは落ちないで翌年の夏に再び青くなる。実が木についたまま年を越すところから「代々」として縁起を祝い、正月の飾りに用いる。果汁を料理に、果皮を漢方で橙皮(とうひ)といい健胃薬に用いる。《季 花=夏 実=冬》(weblio辞書 デジタル大辞泉

「ダイダイ」:「weblio辞書 デジタル大辞泉」より引用させていただきました。



(注の注の注)くねんぼ【九年母】:ミカン科の常緑低木。葉は大形で楕円形。初夏、香りの高い白い花をつけ、秋、黄橙色の甘い実を結ぶ。果皮は厚く、種子が多い。インドシナの原産。香橘(こうきつ)。(weblio辞書 デジタル大辞泉

「クネンボ」 国立歴史民俗博物館HP「くらしの植物苑」より引用させていただきました。

 

 

―その1495―

●歌は、「山吹のにほえる妹がはねず色の赤裳の姿夢に見えつつ」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P33)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P33)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆山振之 尓保敝流妹之 翼酢色乃 赤裳之為形 夢所見管

      (作者未詳 巻十一 二七八六)

 

≪書き下し≫山吹(やまぶき)のにほへる妹(いも)がはねず色の赤裳(あかも)の姿夢(いめ)に見えつつ

 

(訳)咲きにおう山吹の花のようにあでやかな子の、はねず色の赤裳を着けた姿、その姿が夢に見え見えして・・・。(同上)

 

 万葉集には「はねず」あるいは「はねず色」として詠まれている歌は四首が収録されている。二七八六歌とともにこれらは、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1168)」で紹介している。ここでは、京都の随心院の「はねず踊り」についてもふれている。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

「はねず梅」 京都ツウ読本HP「『はねず梅』が咲き誇る、隨心院・小野梅園」より引用させていただきました。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「京都ツウ読本HP」

★「くらしの植物苑」 (国立歴史民俗博物館HP)

 

※20230629静岡県浜松市に訂正

 

万葉歌碑を訪ねて(その1490,1491,1492)ー静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P28、P29、P30)―万葉集 巻十 一九五三.巻十 二一〇四、巻十 二一八九

―その1490―

●歌は、「五月山卯の花月夜ほととぎす聞けども飽かずまた鳴かぬかも」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P28)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P28)にある。

 

●歌をみていこう。

 

五月山 宇能花月夜 霍公鳥 雖聞不飽 又鳴鴨

     (作者未詳 巻十 一九五三)

 

≪書き下し≫五月山(さつきやま)卯(う)の花月夜(づくよ)ほととぎす聞けども飽かずまた鳴くぬかも

 

(訳)五月の山に卯の花が咲いている月の美しい夜、こんな夜の時鳥は、いくら聞いても聞き飽きることがない。もう一度鳴いてくれないものか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)五月山卯の花月夜:五月の山に月が照らして卯の花をほの白く浮き立たせている今宵。(伊藤脚注)

 

卯の花」と聞くと唱歌「夏は来ぬ」のメロディーが頭に浮かぶ。1番は覚えているが、2番以降は浮かんでこない。気になるので、改めて検索してみた。5番まであったのだ。

1.卯の花の 匂う垣根に

  時鳥(ほととぎす) 早も来鳴(きなき)きて

  忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

2.さみだれの そそぐ山田に

  早乙女が 裳裾(もすそ)ぬらして

  玉苗(たまなえ)植うる 夏は来ぬ

3.橘の 薫る軒端(のきば)の

  窓近く 蛍飛びかい

  おこたり諌(いさ)むる 夏は来ぬ

4.楝(おうち)ちる 川べの宿の

  門(かど)遠く 水鶏(くいな)声して

  夕月すずしき 夏は来ぬ

5.五月(さつき)やみ 蛍飛びかい

  水鶏(くいな)鳴き 卯の花咲きて

  早苗植えわたす 夏は来ぬ

 

 何と、万葉の世界ではないか。

 

卯の花」については、YomeishuHP「生薬ものしり事典81」に次の様に書かれている。

「旧暦の4月の名称は、『卯の花(ウノハナ)』が咲く季節なので『卯月(ウヅキ)』と呼ばれるようになったという説があります。5月初旬が旧暦の4月朔日(旧暦で月の第一日)に当たるので、その日から6月1日頃までが卯月となります。昔は生活が自然と密接だったので、こうした文学的な呼び名が生まれたのかもしれません。枝先いっぱいに群がるように咲く純白のウノハナは、新緑の中でひときわ目立ちます。辺りに漂う花の匂いも、季節の風物詩です。ちなみに、豆腐のしぼりかす(おから)をウノハナと呼ぶのは、この白い小花の咲いている姿と似ているからです。

ウノハナの植物名は『ウツギ』ですが、通常はウノハナと呼ぶことが多いといえます。ウツギという名の由来は、『空木と言う意味で、幹の中が中空であるところからきたもの。ウノハナはウツギ花の略とされたものであるが、卯月に咲くという説もある。漢名は溲疏(そうじょ)と言うが正しい使い方ではない。』と牧野富太郎博士は述べています。

万葉仮名には『宇能花』『宇乃花』『宇能波奈』などが使われています。10世紀に編まれた『和名類聚抄』には『宇豆木(ウツギ)』とあるので、平安時代にはウツギの名があったことがわかりますが、和歌などではほとんどウノハナの名で詠まれています。7~8世紀に編まれた『万葉集』にも、ウツギの名はありませんが、ウノハナは24首も詠まれています。夏を告げる時鳥と共に詠まれている和歌が多く、ウノハナの背景によく合っています。」

 「ウノハナ」 YomeishuHP「生薬ものしり事典81」より引用させていただきました。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その528)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

―その1491―

●歌は、「朝顔は朝露負ひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけれ」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P29)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P29)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆朝杲 朝露負 咲雖云 暮陰社 咲益家礼

       (作者未詳 巻十 二一〇四)

 

≪書き下し≫朝顔(あさがほ)は朝露(あさつゆ)負(お)ひて咲くといへど夕影(ゆふかげ)にこそ咲きまさりけれ

 

(訳)朝顔は朝露を浴びて咲くというけれど、夕方のかすかな光の中でこそひときわ咲きにおうものであった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ゆふかげ【夕影】名詞:①夕暮れどきの光。夕日の光。[反対語] 朝影(あさかげ)。

②夕暮れどきの光を受けた姿・形。(学研)

 

 現在のアサガオは、この当時渡来していないので、この「朝顔(あさがほ)」については、桔梗(ききょう)説・木槿(むくげ)説・昼顔説などがあるが、木槿も昼顔も夕方には花がしぼむので、「夕影(ゆふかげ)にこそ咲きまさりけれ」というのは桔梗であると考えるのが妥当であろうといわれている

 

 この歌については、直近では、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1437)」で紹介している。

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―その1492―

●歌は、「露霜の寒き夕の秋風にもみちにけらし妻梨の木は」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P30)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P30)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆露霜乃 寒夕之 秋風丹 黄葉尓来之 妻梨之木者

       (作者未詳 巻十 二一八九)

 

≪書き下し≫露霜(つゆしも)の寒き夕(ゆふへ)の秋風にもみちにけらし妻梨の木は

 

(訳)置く露のひとしお寒々とした夕(ゆうべ)、この夕方の秋風によって色づいたのであるらしい。妻なしという梨の木は。(同上)

 

二一八九歌については、「梨(なし)棗(なつめ)黍(きみ)に粟(あは)つぎ延(は)ふ葛(くず)の後(のち)も逢(あ)はむと葵(あふひ)花咲く (作者未詳 巻十六 三八三四)」の歌に詠まれた6種類の植物(梨・棗・黍・粟・葛・葵)が万葉集において何首が詠われているかについてとともに、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1138)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

「ナシ」はpixabay、「ナツメ、キビ、アワ、クズ」はweblio辞書、「フユアオイ」は、熊本大学薬学部 薬草園 植物データベースより引用させていただきました。

※20230629静岡県浜松市に訂正

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉、植物図鑑他」

★「pixabay」

★「植物データベース」 (熊本大学薬学部 薬草園)

★「生薬ものしり事典81」 (YomeishuHP)