万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1316)<万葉集は歌群でストーリーを読むことも>―島根県益田市 県立万葉植物園(P27)―万葉集 巻二 二二一

●歌は、「妻もあらば摘みて食げまし沙弥の山野の上のうはぎ過ぎにけらずや」である。

f:id:tom101010:20220105150757j:plain

万葉歌碑を訪ねて(その1316)―万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P27)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆妻毛有者 採而多宜麻之 作美乃山 野上乃宇波疑 過去計良受也

       (柿本人麻呂 巻二 二二一)

 

≪書き下し≫妻もあらば摘みて食(た)げまし沙弥(さみ)の山野(の)の上(うへ)のうはぎ過ぎにけらずや

 

(訳)せめて妻でもここにいたら、一緒に摘んで食べることもできたろうに、狭岑のやまの野辺一帯の嫁菜(よめな)はもう盛りが過ぎてしまっているではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)たぐ【食ぐ】[動]:食う。飲む。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)うはぎ:ヨメナの古名。

 

この歌については直近では、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1280)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 これまで、「近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ(柿本人麻呂 巻三 二六六歌)」の歌については、夕暮れ間近な広大な琵琶湖、かすかに静寂を破る千鳥の声、それがトリガーとなり昔のことが思い起こされるという時間軸・空間軸の広がりを歌ったすばらしい歌であると習い、そのように思い込んでいた。

しかし、梅原 猛氏の著「水底の歌 柿本人麿論 下」(新潮文庫)に出逢って、見方が激変したのである。

ブログその1288の中でふれたが、氏の著の中で「万葉集の歌を一首ずつ切り離して観賞するくせがついているが、私は、こういう観賞法は根本的にまちがっていると思う。」として、巻三 二六三から二六七歌を挙げられ、「私は、この一連の歌は、けっして単独に理解されるべきものではなく、全体として理解されることによって、一連の歴史的事件と、その事件の中なる人間のあり方を歌ったものである―その意味で、万葉集はすでに一種の歌物語である―と思う・・・」と書かれ、そして、人麿が、近江以後、「彼は四国の狭岑島(さみねのしま)そして最後には石見の鴨島(かもしま)へ流される。流罪は、中流から遠流へ、そして最後には死へと、だんだん重くなり、高津(たかつ)の沖合で、彼は海の藻くずと消える。」と書かれている。人麻呂は最初は、近江に流されたのである。

 二六四歌の「いさよふ波の行く方(へ)知らずも」は、「・・・詠まれているのは、無常観ではない。むしろ、どこへ行くのか分からない、自己の未来にかんする不安感である。」と流人となった人麿の嘆きとされている。

 

 ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1288)」

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 二二〇から二二二歌の歌群(題詞は、「讃岐の狭岑(さみね)の島にして、石中の死人を見て、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 幷せて短歌」である。)の次に、「鴨山五首」が収録されている。こういった万葉集の歌の配列も頭に入れ、歌を見て行くべきなのである。

 梅原 猛氏は、その著「水底の歌 柿本人麿論 下」(新潮文庫)の中で、「・・・なぜ人麿が狭岑島へ行ったか・・・」と疑問をなげかけ解明されている。

 大宰府への旅の途中に立ち寄ったとする説には、九州への航路から大きく外れていると、讃岐の国の役人として視察に行ったとする説には、狭岑島のような小さな島に視察に行き、そこに庵する必要があるかと、四国から本州に行く途中、潮待ちしていたとする説には、四国からあまりにも近すぎる(現在は埋め立てにより陸続きになっている)し、港らしい港がないことなどをあげ、「私はやはり、この島は人麿が死んだ鴨島と同じように、流人の島ではなかったかと思う。」と書かれている。

 小さな島であるが、古墳が多くあり、島で亡くなった流人の貴族たちの墳墓であろうと書かれて、流人であったが故にかえって手厚く葬られたと考えられている。

 そして、「人麿のこの歌を私が流罪の歌と考えるのは、必ずしも島の状況によってのみではない。それ以上にこの歌のもつ深い悲しみの響きゆえである。人麿はこの狭岑島で死人を見たが、その感動は異常である。その死人の中にほとんど己を見ているほどだ。なぜ人麿は石中死人の中に己れを見なくてはならなかったのか。それは人麿流人説によってはじめて説明されると思う。」と書かれている。

 

 あらためて、二二〇から二二二歌の歌群をみてみよう。

 

◆玉藻吉 讃岐國者 國柄加 雖見不飽 神柄加 幾許貴寸 天地 日月與共 満将行 神乃御面跡 次来 中乃水門従 船浮而 吾榜来者 時風 雲居尓吹尓 奥見者 跡位浪立 邊見者 白浪散動 鯨魚取 海乎恐 行船乃 梶引折而 彼此之 嶋者雖多 名細之 狭岑之嶋乃 荒磯面尓 廬作而見者 浪音乃 茂濱邊乎 敷妙乃 枕尓為而 荒床 自伏君之 家知者 往而毛将告 妻知者 来毛問益乎 玉桙之 道太尓不知 鬱悒久 待加戀良武 愛伎妻等者

       (柿本人麻呂 巻二 二二〇)

 

≪書き下し≫玉藻(たまも)よし 讃岐(さぬき)の国は 国からか 見れども飽かぬ 神(かむ)からか ここだ貴(たふと)き 天地(あめつち) 日月(ひつき)とともに 足(た)り行(ゆ)かむ 神の御面(みおも)と 継ぎ来(きた)る 那珂(なか)の港ゆ 船浮(う)けて 我(わ)が漕(こ)ぎ来(く)れば 時つ風 雲居(くもゐ)に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺(へ)見れば 白波騒く 鯨魚(いさな)取り 海を畏(かしこ)み 行く船の 梶引き折(を)りて をちこちの 島は多(おほ)けど 名ぐはし 狭岑(さみね)の島の 荒磯(ありそ)面(も)に 廬(いほ)りて見れば 波の音(おと)の 繁(しげ)き浜辺を 敷栲(しきたへ)の 枕になして 荒床(あらとこ)に ころ臥(ふ)す君が 家(いへ)知らば 行きても告(つ)げむ 妻知らば 来(き)も問はましを 玉桙(たまほこ)の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ はしき妻らは

 

(訳)玉藻のうち靡(なび)く讃岐の国は、国柄が立派なせいかいくら見ても見飽きることがない。国つ神が畏(かしこ)いせいかまことに尊い。天地・日月とともに充ち足りてゆくであろうその神の御顔(みかお)であるとして、遠い時代から承(う)け継いで来たこの那珂(なか)の港から船を浮かべて我らが漕ぎ渡って来ると、突風が雲居はるかに吹きはじめたので、沖の方を見るとうねり波が立ち、岸の方を見ると白波がざわまいている。この海の恐ろしさに行く船の楫(かじ)が折れるなかりに漕いで、島はあちこちとたくさんあるけれども、中でもとくに名の霊妙な狭岑(さみね)の島に漕ぎつけて、その荒磯の上に仮小屋を作って見やると、波の音のとどろく浜辺なのにそんなところを枕にして、人気のない岩床にただ一人臥(ふ)している人がいる。この人の家がわかれば行って報(しら)せもしよう。妻が知ったら来て言問(ことど)いもしように。しかし、ここに来る道もわからず心晴れやらぬままぼんやりと待ち焦がれていることだろう、いとしい妻は。(同上)

(注)たまもよし【玉藻よし】分類枕詞:美しい海藻の産地であることから地名「讚岐(さぬき)」にかかる。(学研)

(注)ときつかぜ【時つ風】名詞:①潮が満ちて来るときなど、定まったときに吹く風。②その季節や時季にふさわしい風。順風。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞(学研)

(注)とゐなみ【とゐ波】名詞:うねり立つ波。(学研)

(注)ころふす【自伏す】:ひとりで横たわる。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)たまほこの【玉桙の・玉鉾の】分類枕詞:「道」「里」にかかる。かかる理由未詳。「たまぼこの」とも。(学研)

(注)おほほし 形容詞:①ぼんやりしている。おぼろげだ。②心が晴れない。うっとうしい。③聡明(そうめい)でない。 ※「おぼほし」「おぼぼし」とも。上代語。(学研)

 

 

◆妻毛有者 採而多宜麻之 作美乃山 野上乃宇波疑 過去計良受也

       (柿本人麻呂 巻二 二二一)

 

≪書き下し≫妻もあらば摘みて食(た)げまし沙弥(さみ)の山野(の)の上(うへ)のうはぎ過ぎにけらずや

 

(訳)せめて妻でもここにいたら、一緒に摘んで食べることもできたろうに、狭岑のやまの野辺一帯の嫁菜(よめな)はもう盛りが過ぎてしまっているではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 

◆奥波 来依荒磯乎 色妙乃 枕等巻而 奈世流君香聞

        (柿本人麻呂 巻二 二二二)

 

≪書き下し≫沖つ波来(き)寄(よ)る荒磯(ありそ)を敷栲(しきたへ)の枕とまきて寝る(な)せる君かも

 

(訳)沖つ波のしきりに寄せ来る荒磯なのに、そんな磯を枕にしてただ一人で寝ておられるこの夫(せ)の君はまあ。」(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)なす【寝す】動詞:おやすみになる。▽「寝(ぬ)」の尊敬語。※動詞「寝(ぬ)」に尊敬の助動詞「す」が付いたものの変化した語。上代語。(学研)

 

 「おそらく、近い将来に自分がおちいるにちがいない運命を人麿は見たのである。もはやここでは人麿が死人そのものであり、死人に第一の思いは、はるか遠く離れて、自分がここにこうしていることも知らないでいる妻への思いである。」

 

 万葉集の奥深いところに何があるか、歌という外見的なものを見るだけでなく、時代的背景、風土、時間等様々な観点から見ていく必要がある。相当の見識を深めていかないと万葉集は真の姿を見せてくれないのである。

 ああ万葉集・・・

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「水底の歌 柿本人麿論 上下」 梅原 猛 著 (新潮文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

万葉歌碑を訪ねて(その1315)<柿本人麻呂は石州半紙生産を奨励>―島根県益田市 県立万葉植物園(P26)―万葉集 巻十 一八九五

●歌は、「春さればまづさきくさの幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ我妹」である。

f:id:tom101010:20220104135233j:plain

島根県益田市 県立万葉植物園(P26)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂歌集)

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P26)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹

      (柿本朝臣人麿歌集 巻十  一八九五)

 

≪書き下し≫春さればまづさきくさの幸(さき)くあらば後(のち)にも逢はむな恋ひそ我妹(わぎも)

 

(訳)春になると、まっさきに咲くさいぐさの名のように、命さえさいわいであるならば、せめてのちにでも逢うことができよう。そんなに恋い焦がれないでおくれ、お前さん。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句「春去 先三枝」は、「春去 先」が「三枝」を起こし、「春去 先三枝」が、「幸(さきく)」を起こす二重構造になっている。

(注)はるさる【春さる】分類連語:春が来る。春になる。 ※「さる」は近付くの意。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)さきくさの【三枝の】分類枕詞:「三枝(さきくさ)」は枝などが三つに分かれるところから「三(み)つ」、また「中(なか)」にかかる。(学研)

(注の注)さきくさ【三枝】① 茎が三つに分かれている植物。ミツマタジンチョウゲヤマユリ・ミツバゼリ・フクジュソウ、その他諸説がある。② ヒノキの別名。③ オケラ(朮)の別名。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)そ 終助詞:《接続》動詞および助動詞「る」「らる」「す」「さす」「しむ」の連用形に付く。ただし、カ変・サ変動詞には未然形に付く。:①〔穏やかな禁止〕(どうか)…してくれるな。しないでくれ。▽副詞「な」と呼応した「な…そ」の形で。②〔禁止〕…しないでくれ。▽中古末ごろから副詞「な」を伴わず、「…そ」の形で。 ⇒参考 (1)禁止の終助詞「な」を用いた禁止表現よりも、禁止の副詞「な」と呼応した「な…そ」の方がやわらかく穏やかなニュアンスがある。(2)上代では「な…そね」という形も併存したが、中古では「な…そ」が多用される。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1053)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 「さきくさ」については、ミツマタ説が有力である。ミツマタは、中国原産の落葉低木で、楮(こうぞ)・雁皮(がんぴ)と並ぶ和紙の原料である。

f:id:tom101010:20220104135726p:plain

さきくさ(ミツマタ) 「みんなの趣味の園芸」(NHK出版HP)より引用させていただきました。

 高津柿本神社境内にある「柿本人麻呂と石州半紙」という解説案内板には、「万葉の歌人 柿本人麻呂は晩年にこの石見地方に住んだと言われており 石州半紙の生産を奨励したという伝説が残っています(後略)」と書かれていた。

 

f:id:tom101010:20220104135557p:plain

高津柿本神社境内「柿本人麻呂と石州半紙」解説案内板

 紙がいつ頃作られたかについては、日本製紙連合会HPに、「紙は、紀元前2世紀頃、中国で発明されたと考えられています。当初は試行錯誤しながらいろいろな方法で紙が作られていたようですが、西暦105年頃に蔡倫(さいりん)という後漢時代の役人が行った製紙法の改良により、使いやすい実用的な紙がたくさん作られるようになったと言われています。ちなみに蔡倫が紙作りに使った材料は、 麻のボロきれや、樹皮などでした。」と書かれており、さらに日本に伝播したのは、「610年 (推古18年)。高句麗の僧、曇徴(どんちょう)が墨とともに日本に製紙法を伝えたと言われています(しかし、それ以前に紙抄きが行われていたという説もあります)。伝播当初、使われていた材料は『麻』でしたが、その後『コウゾ』や『ガンピ』などの植物も原料として使われるようになり、紙を抄く方法にも独自の改良が加えられ、日本オリジナルの“和紙”として発展していくこととなります。」と書かれている。

 

紙でもなく和紙でもなく「半紙」と書いてある。習字で使ったことのあるあの半紙か。なぜ半紙というのか疑問に駆られる。

 

半紙【はんし】

和紙の一種。狭義には毛筆書き用の記録用和紙。大きさは一般に25cm×40cm程度。コウゾを原料とし,手ですかれた。紙面は比較的粗剛。江戸時代に普及し,各地で産するが,石州半紙(島根県,徳地半紙(山口県),須崎半紙(高知県),柳川半紙(福岡県)などが有名。改良半紙はミツマタを原料とし,紙面が平滑で,優美。大洲(おおず)半紙(愛媛県)が代表的。現在事務用として,化学パルプを原料とする機械ずきのものが多量に作られている。

コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア)

 

 「石州半紙」について調べて見ると、「島根県HP」に次のように書かれている。

 「万葉歌人・柿本人麿呂により奈良時代から始まったとされ、江戸時代には、浜田・津和野両藩において盛んに生産された。昭和44年に国の重要無形文化財に指定されている。石州半紙は、繊維が長く幅が太く、また非常に強靭であり粗剛でたくましい地元産の「コウゾ」を原料にして作られる。漉きの段階で、同じく地元で取れる「トロロアオイ」の根の粘液を使用することにより、紙床から紙をはがしやすくしている。製品は、強くて粘りがあり、紙肌は黒っぽいが書いて字がにじまないのを特徴とする。現在、書籍・書道半紙・短冊・名刺等、多種多様の用途がある。強靭で光沢のある品質は、日本の手すき和紙では最高の水準にある。(後略)」

 

柿本人麻呂歌集の略体表記から人麻呂はメモ帳のようなものを持っており、折に触れ書き留めていたと考えると、そのメモ帳の作り方にも関心があり、それを石見に住んでいた時に「半紙の生産を奨励した」という伝説にはロマンを感じさせるものがある。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「みんなの趣味の園芸」 (NHK出版HP)

★「日本製紙連合会HP」

★「島根県HP」

 

万葉歌碑を訪ねて(その1314)―島根県益田市 県立万葉植物園(P25)―万葉集 巻七 一二七二

●歌は、「大刀の後鞘に入野に葛引く我妹 真袖に着せてむとかも夏草刈るも」である。

f:id:tom101010:20220103211536j:plain

島根県益田市 県立万葉植物園(P25)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂歌集)

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P25)にある。

 

●歌をみていこう。

 

部立、「旋頭歌」である。

 

◆劔後 鞘納野 葛引吾妹 真袖以 著點等鴨 夏草苅母

       (柿本人麻呂歌集 巻七 一二七二)

 

≪書き下し≫大刀の後(しり)鞘(さや)に入野(いりの)に葛(くず)引く我妹(わぎも)真袖(まそで)に着せてむとかも夏草刈るも

 

(訳)大刀の鋒先(きっさき)を鞘に納め入れる、その入野(いりの)で葛を引きたぐっている娘さんよ。この私に両袖までついた葛の着物を着せたいと思って、せっせと周りの夏草まで刈っているのかな。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)「大刀の後鞘に」が序。「入野」を起こす。

(注)いりの【入野】〔名〕 入り込んで奥深い野。(weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

(注)くず【葛】名詞:「秋の七草」の一つ。つる草で、葉裏が白く、花は紅紫色。根から葛粉(くずこ)をとり、つるで器具を編み、茎の繊維で葛布(くずふ)を織る。[季語] 秋。 ⇒参考 『万葉集』ではつるが地を這(は)うようすが多く詠まれる。『古今和歌集』以後は、葛が風にひるがえって白い葉裏を見せる「裏見(うらみ)」を「恨み」に掛けることが多い。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)まそで【真袖】:左右の袖。両袖。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 旋頭歌を調べてみよう。

 旋頭歌(せどうか)については、「頭(こうべ)を旋(めぐ)らす歌、あるいは、頭に旋る歌、の意か。五七七、五七七の六句形式の歌の称。・・・五七七を繰り返すことから「旋頭」と称したと考えられる。・・・ 旋頭歌は、『万葉集』中の存在状況として、作者分明のものでは柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)以前にはみず、・・・『人麻呂歌集』に過半数が集中するという偏在からも、一般的な歌謡形式とは認めがたい。三句プラス三句という二段構造を強く保持していて、唱(うた)われる形であることは確かであるが、それは唱和の形式(とくに短歌を本末で唱和する形)を利用したものとして考えられる。その成立には人麻呂の関与が大きいと思われる。[神野志隆光](コトバンク 小学館 日本大百科全書<ニッポニカ>)と書かれている。

 

 万葉集には、旋頭歌は六十二首収録されており、内三十五首が柿本人麻呂歌集、六首が古歌集の歌である。作者分明歌は七首、作者未詳歌が十四首となっている。(作者未詳歌には、元興寺の僧、遣新羅使人等も含む)

 

 作者分明歌をみてみよう。

 

 最初は、大伴坂上郎女の歌である。

 

題詞は、「又大伴坂上郎女歌一首」<また大伴坂上郎女が歌一首>である。

 

◆佐保河乃 涯之官能 少歴木莫苅焉 在乍毛 張之来者 立隠金

        (大伴坂上郎女 巻四 五二九)

 

≪書き下し≫佐保川の岸のつかさの柴な刈りそね ありつつも春し来(きた)らば立ち隠(かく)るがね

 

(訳)佐保川の川っぷちの崖(がけ)の高みに生えている雑木、その木を刈り取らないでおくれ。ずっとそのままにしておいて、春がやってきて枝葉が茂ったら、そこに隠れてもっとあの人に逢うために。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)きしのつかさ【岸の司】:(ツカサは土の盛り上がった所)川岸の小高い所。(広辞苑無料検索)

(注)ありつつも【在りつつも】[連語]:いつも変わらず。このままでずっと(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)たちかくる【立ち隠る】自動詞:隠れる。 ※「たち」は接頭語。(学研)

 

 

 山上憶良の「秋の七種」の歌である。

 

◆芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝▼之花

    (山上憶良 巻八 一五三八)

   ▼は「白」の下に「八」と書く。「朝+『白』の下に『八』」=「朝顔

 

≪書き下し≫萩の花 尾花(をばな) 葛花(くずはな) なでしこの花 をみなへし また藤袴(ふぢはかま) 朝顔の花

 

(訳)一つ萩の花、二つ尾花、三つに葛の花、四つになでしこの花、うんさよう、五つにおみなえし。ほら、それにまだあるぞ、六つ藤袴、七つ朝顔の花。うんさよう、これが秋の七種の花なのさ。(伊藤 博著「萬葉集 二」角川ソフィア文庫より)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1083)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

題詞は、「藤原朝臣八束歌一首」<藤原朝臣八束(やつか)が歌一首>である。

 

◆棹四香能 芽二貫置有 露之白珠 相佐和仁 誰人可毛 手尓将巻知布

      (藤原八束 巻八 一五四七)

 

≪書き下し≫さを鹿(しか)の萩(はぎ)に貫(ぬ)き置ける露の白玉(しらたま) あふさわに誰(た)れの人かも手に巻かむちふ

 

(訳)雄鹿が萩の枝に貫いておいた露の白玉。それをまあ軽はずみに、いったいどこのどなたが手に巻こうなどと言うのか。(同上)

(注)露の白玉:萩の枝の露を鹿が妻のために貫いた飾玉と見たもの。(伊藤脚注)

(注)あふさわに 副詞:すぐに。(学研)

(注)ちふ 分類連語:…という。 ⇒参考 「といふ」の変化した語。上代には「とふ」の形も用いられ、中古以後は、「てふ」が用いられる。(学研)

 

 

題詞は、「典鑄正紀朝臣鹿人至衛門大尉大伴宿祢稲公跡見庄作歌一首」<典鑄正(てんちうのかみ)紀朝臣鹿人(きのあそみかひと)、衛門大尉(ゑもんのだいじよう)大伴宿禰稲公(いなきみ)が跡見(とみ)の庄(たどころ)に至りて作る歌一首>である。

(注)典鑄正:典鑄司(金属製品・玉製品・ガラスや瑠璃製品や鋳造品などの製作をつかさどる)の長官。正六位上相当。

(注)衛門大尉:衛門府(古代,禁中の守衛,諸門の開閉などを司った役所)の三等官。従六位下相当

 

 

◆射目立而 跡見乃岳邊之 瞿麦花 總手折 吾者将去 寧樂人之為

      (紀鹿人 巻八 一五四九)

 

≪書き下し≫射目(いめ)立てて跡見(とみ)の岡辺(をかへ)のなでしこの花 ふさ手折(たを)り我れは持ちて行く奈良人(ならひと)のため

 

(訳)跡見の岡辺に咲いているなでしこの花。この花をどっさり手折って私は持ち帰ろうと思います。奈良で待つ人のために。(同上)

(注)いめたてて【射目立てて】分類枕詞:射目(いめ)に隠れて、動物の足跡を調べることから「跡見(とみ)」にかかる。(学研)

(注)とみ【跡見】:狩猟の時、鳥や獣の通った跡を見つけて、その行方を推しはかること。また、その役の人。(学研)

(注)ふさ手折る:ふさふさと折り取って。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その101改)で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

◆高圓之 秋野上乃 瞿麦之花 丁壮香見 人之挿頭師 瞿麦之花

      (丹生女王  巻八  一六一〇)

 

≪書き下し≫高円(たかまと)の秋野(あきの)の上(うへ)のなでしこの花 うら若み人のかざししなでしこの花

 

(訳)高円の秋野のあちこちに咲くなでしこの花よ。その初々しさゆえに、あなたが、挿頭(かざし)に賞(め)でたこの花よ。(同上)

(注)うらわかし【うら若し】形容詞:①木の枝先が若くてみずみずしい。②若くて、ういういしい。 ⇒参考 「うら若み」は、形容詞の語幹に接尾語「み」が付いて、原因・理由を表す用法。(学研)

(注の注)うら- 接頭語:〔多く形容詞や形容詞の語幹に付けて〕心の中で。心から。何となく。「うら悲し」「うら寂し」「うら恋し」(学研)

 

 題詞は、「丹生女王贈大宰帥大伴卿歌一首」<丹生女王(にふのおほきみ)大宰帥(だざいのそち)大伴卿に贈る歌一首>である。

(注)大宰帥大伴卿:大伴旅人

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その18改)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

題詞は、「見武蔵小埼沼鴨作歌一首」<武蔵(むざし)の小埼(をさき)の沼(ぬま)の鴨(かも)を見て作る歌一首>である。

 

◆前玉之 小埼乃沼尓 鴨曽翼霧 己尾尓 零置流霜乎 掃等尓有斯

       (高橋虫麻呂 巻九 一七四四)

 

≪書き下し≫埼玉(さきたま)の小埼の沼に鴨ぞ翼霧(はねき)る おのが尾に降り置ける霜を掃(はら)ふとにあらし

 

(訳)埼玉の小埼の沼で鴨が羽ばたきをしてしぶきを飛ばしている。自分の尾に降り置いた霜を掃いのけようとするのであるらしい。(同上)

(注)小埼の沼:今の埼玉県行田市南東部の沼

(注)翼霧る:羽ばたいてしぶきを散らす。

(注)あらし 分類連語:あるらしい。あるにちがいない。 ⇒なりたち ラ変動詞「あり」の連体形+推量の助動詞「らし」からなる「あるらし」が変化した形。ラ変動詞「あり」が形容詞化した形とする説もある。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1150)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

題詞「能登郡従香嶋津發船射熊来村徃時作歌二首」<能登(のと)の郡(こほり)にして香島(かしま)の津より舟を発(いだ)し、熊来(くまき)の村(むら)をさして徃(ゆ)く時に作る歌二首>の一首である。

(注)能登の郡:石川県の七尾市鹿島郡の一帯。

(注)香島:七尾市東部の海岸

(注)熊来:七尾湾西岸の石川県七尾市中島町あたり。

 

◆登夫佐多氐 船木伎流等伊布 能登乃嶋山 今日見者 許太知之氣思物 伊久代神備曽

      (大伴家持 巻十七 四〇二六)

 

≪書き下し≫鳥総(とぶさ)立て舟木(ふなぎ)伐(き)るといふ能登(のと)の島山(しまやま) 今日(けふ)見れば木立(こだち)茂(しげ)しも幾代(いくよ)神(かむ)びぞ

 

(訳)鳥総を立てて祭りをしては船木を伐り出すという能登の島山、この島山を今日この目で見ると、木立が茂りに茂っている。幾代(いくよ)を経ての神々しさなのか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)とぶさ【鳥総】:木のこずえや、枝葉の茂った先の部分。昔、木を切ったあとに、山神を祭るためにその株などにこれを立てた。(学研)

(注)能登の島山:七尾湾中央の能登島

(注)神び:神々しさを発する意の動詞「神ぶ」の名詞形。(伊藤脚注)

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書<ニッポニカ>」

★「weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

 

万葉歌碑を訪ねて(その1313)―島根県益田市 県立万葉植物園(P24)―万葉集 巻三 四〇七

●歌は、「春霞春日の里の植え小水葱苗なりと言ひし枝はさしにけむ」である。

f:id:tom101010:20220102214544j:plain

島根県益田市 県立万葉植物園(P24)万葉歌碑<プレート>(大伴駿河麻呂

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P24)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「大伴宿祢駿河麻呂娉同坂上家之二嬢歌一首」<大伴宿禰駿河麻呂、同じき坂上家の二嬢(おといらつめ)を娉(つまど)ふ歌一首>である。

(注)坂上家之二嬢:宿奈麻呂と坂上郎女との二女

 

◆春霞 春日里之 殖子水葱 苗有跡云師 柄者指尓家牟

      (大伴駿河麻呂 巻三 四〇七)

 

≪書き下し≫春霞(はるかすみ)春日(かすが)の里の植ゑ小水葱(こなぎ)苗(なへ)なりと言ひし枝(え)はさしにけむ

 

(訳)春日の里に植えられたかわいい水葱、あの水葱はまだ苗だと言っておられましたが、もう枝がさし伸びたのことでしょうね。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)植ゑ小水葱:童女である二嬢の譬え。「植ゑ」は栽培されたの意。(伊藤脚注)

(注)枝(え)はさしにけむ:成長して大人びてきたことだろうの意。(伊藤脚注)

(注)大伴駿河麻呂 (おおとものするがまろ):奈良時代の公卿(くぎょう)。天平(てんぴょう)18年越前守(えちぜんのかみ)。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)9年橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)の謀反にくみしたとして弾劾されるが、のち出雲守(いずものかみ)に任じられ、宝亀(ほうき)3年陸奥按察使(むつあぜち)となる。陸奥守・鎮守将軍として蝦夷(えみし)を攻略、6年参議にすすむ。「万葉集」に短歌11首がある。宝亀7年7月7日死去。(コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

 

 駿河麻呂が大伴坂上郎女の娘、二嬢を娉(つまど)うに際しての両者の掛け合い的な歌が収録されている。これらの歌をみてみよう。

 

題詞は、「大伴宿祢駿河麻呂梅歌一首」<大伴宿禰駿河麻呂が梅の歌一首>である。

 

◆梅花 開而落去登 人者雖云 吾標結之 枝将有八方

      (大伴駿河麻呂 巻三 四〇〇)

 

≪書き下し≫梅の花咲きて散りぬと人は言へど我(わ)が標(しめ)結(ゆ)ひし枝(えだ)ならめやも

 

(訳)梅の花が咲いてもう散ったと人は言っているけれど、まさか、我がものとしてしるしをつけておいたあの枝ではないでしょうな。(同上)

(注)上二句、ある少女が成人して結婚してしまったことの譬え。(伊藤脚注)

(注)しめ【標・注連】名詞:①神や人の領有区域であることを示して、立ち入りを禁ずる標識。また、道しるべの標識。縄を張ったり、木を立てたり、草を結んだりする。②「標縄(しめなは)」の略。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

 次の歌は、駿河麻呂と坂上郎女の掛け合いが面白い。

 

題詞は、「大伴坂上郎女宴親族之日吟歌一首」<大伴坂上郎女、族(うがら)を宴(うたげ)する日に吟(うた)ふ歌一首>である。

 

◆山守之 有家留不知尓 其山尓 標結立而 結之辱為都

       (大伴坂上郎女 巻三 四〇一)

 

≪書き下し≫山守(やまもり)のありける知らにその山に標(しめ)結(ゆ)ひ立てて結(ゆ)ひの恥(はぢ)しつ

 

(訳)すでに山の番人がいたとはつゆ知らず、その山に我がものとしてしるしを張り立てて、私はすっかり赤恥をかきました。(同上)

(注)山守:女の夫の譬え。(伊藤脚注)

 

 

題詞]は、「大伴宿祢駿河麻呂即和歌一首」<大伴宿禰駿河麻呂、即(すなは)ち和(こた)ふる歌一首>である。

 

◆山主者 盖雖有 吾妹子之 将結標乎 人将解八方

      (大伴駿河麻呂 巻三 四〇二)

 

≪書き下し≫山守はけだしありとも我妹子(わぎもこ)が結(ゆ)ひけむ標(しめ)を人解(と)かめやも

 

(訳)その女の方にかりに番人がいたとしても、大伴の坂上の刀自(とじ)さまの張られた標(しめ)だもの、その標を解く人など誰もおりますまい。むろん、その方の番人もあなた様を恐れて従いましょう。(同上)

(注)我妹子:ここでは前歌の作者坂上郎女をさす。

 

 四〇一歌では、刀自として一族の面倒をみている坂上郎女が、駿河麻呂の四〇〇歌を踏まえて、男の立場での歌を詠い、駿河麻呂をからかったのであろう。

 それに対して、駿河麻呂が「我妹子が結ひけむ標を人解かめやも」と切り返したのである。大伴一族の宴の場であるので、坂上郎女や駿河麻呂のことをよく知っているので、場は大いに盛り上がったものと思われる。

 

 坂上郎女の人となりについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(1059)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 母親としての坂上郎女の鋭い切り口の歌に対し駿河麻呂が二嬢への真摯な気持ちを秘めつつ切り返しているやりとりがなかなかの人間模様を浮かび上がらせている。

 四〇九から四一二歌の歌群は、宴席での歌のようである。みてみよう。

 

題詞は、「大伴宿祢駿河麻呂歌一首」<大伴宿禰駿河麻呂が歌一首>である。

 

◆一日尓波 千重浪敷尓 雖念 奈何其玉之 手二巻難寸

       (大伴駿河麻呂 巻三 四〇九)

 

≪書き下し≫一日(ひとひ)には千重波(ちへなみ)しきに思へどもなぞその玉の手に巻きかたき

 

(訳)一日のあいだにつけても、千重に打ち寄せる波さながらに、しきりに手にしたいと思っているのに、そこにある玉、その玉がどうしてこうも手に巻きつけにくいのでありましょうか。(同上)

(注)ちへなみ【千重波・千重浪】名詞:幾重にも重なって寄せる波。(学研)

(注)しき-【頻】接頭語:〔名詞・動詞などに付いて〕繰り返し。しきりに。重ねて。「しき鳴く」「しき波」「しき降る」(学研)

(注)その玉:あなたの持つ玉。坂上郎女の子、二嬢の譬え。(伊藤脚注)

 

 

題詞は、「大伴坂上郎女橘歌一首」<大伴坂上郎女が橘(たちばな)の歌一首>である。

 

◆橘乎 屋前尓殖生 立而居而 後雖悔 驗将有八方

      (大伴坂上郎女 巻三 四一〇)

 

≪書き下し≫橘を宿に植ゑ生(お)ほし立ちて居(ゐ)て後(のち)に悔(く)ゆとも験(しるし)あらめやも

 

(訳)橘をわが家(や)の庭に植え育てて、そのあいだ中、立ったり座ったりして気にもんだあげく、人に取られてのちに悔やんでも、何のかいがありましょう。(同上)

(注)橘:ここでは娘の二嬢の譬え。

(注)立ちて居て:立ったり座ったりしていつも気にして。(伊藤脚注)

(注の注)ゐたつ【居立つ・居起つ】自動詞:座ったり立ったりする。▽熱心に世話するようすや、落ち着かないようすにいう。(学研)

(注)しるし【徴・験】名詞:①前兆。兆し。②霊験。ご利益。③効果。かい。(学研)ここでは③の意

 

 

題詞は、「和歌一首」<和(こた)ふる歌一首>である。

 

◆吾妹兒之 屋前之橘 甚近 殖而師故二 不成者不止

      (大伴駿河麻呂 巻三 四一一)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)がやどの橘(たちばな)いと近く植ゑてし故(ゆゑ)にならずはやまじ

 

(訳)あなたのお庭の橘、その橘は、これ見よがしに植えてあるのですから、我がものとしないわけにはゆきません。(同上)

(注)我妹子:ここでは、娘の母親である前歌の坂上郎女をさす。

 

 

題詞は、「市原王歌一首」<市原王(いちはらのおおきみ)が歌一首>である。

 

◆伊奈太吉尓 伎須賣流玉者 無二 此方彼方毛 君之随意

                 (市原王 巻三 四一二)

 

≪書き下し≫いなだきにきすめる玉は二つなしかにもかくにも君がまにまに

 

(訳)頭上に束ねた髪の中に秘蔵しているという玉は、二つとない大切な物です。どうぞこれをいかようにもあなたの御心のままになさって下さい。(同上)

(注)いなだき 〘名〙:いただき (コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)きすむ【蔵む】他動詞:大切に納める。秘蔵する。隠す。(学研)

(注)かにもかくにも 副詞:とにもかくにも。どうであれ。(学研)

(注の注)かくにも君がまにまに:いかようにもご随意に。大切にしてほしい意がこもる。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1195)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 四〇九歌で、二嬢を娶りたいと思うが、母親たる坂上郎女がすんなりと許してくれない

ことを皮肉っぽく詠ったのに対し、郎女は四一〇歌で「立ちて居て後に悔ゆとも験あらめやも」と、これほど大切に育てて来た娘をおいそれと下手な男にはやれないという気持ちをにじませて、少しからかい的に詠ったものである。これに対し、駿河麻呂は四一一歌で、「いと近く植ゑてし故にならずはやまじ」と郎女の育て方をほめつつ切り返しているのである。

 そして市原王が四一二歌で、玉(二嬢の譬え)を大切にしてほしいと坂上郎女に成り代わって和(こた)、思いやりの気持ちがこもる心優しい歌で場を収めているのである。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus」

万葉歌碑を訪ねて(その1308~1312)―島根県益田市 県立万葉植物園(P19~23)ー万葉集 巻十一 二四七九、巻十 一八四七、巻十四 三四一七、巻十三 三二九五、巻七 一三五二

―その1308-

●歌は、「さね葛後も逢はむと夢のみにうけひわたりて年は経につつ」である。

f:id:tom101010:20220101201727j:plain

島根県益田市 県立万葉植物園(P19)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂歌集)

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P19)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆核葛 後相 夢耳 受日度 年經乍

      (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四七九)

 

≪書き下し≫さね葛(かづら)後(のち)も逢はむと夢(いめ)のみにうけひわたりて年は経(へ)につつ

 

(訳)さね葛(かずら)が延びて行ってあとで絡まり合うように、のちにでも逢おうと、夢の中ばかりで祈りつづけているうちに、年はやたら過ぎてゆく。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)さねかづら【真葛】分類枕詞:さねかずらはつるが分かれてはい回り、末にはまた会うということから、「後(のち)も逢(あ)ふ」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)うけふ【誓ふ・祈ふ】自動詞:①神意をうかがう。②神に祈る。③のろう。(学研)ここでは②の意

(注)わたる【渡る】補助動詞:〔動詞の連用形に付いて〕①一面に…する。広く…する。②ずっと…しつづける。絶えず…する。(学研)

 

 「さなかずら」の現代名は「サネカズラ」である。万葉集で「さねかずら」と詠まれている歌もある。

f:id:tom101010:20220101203641p:plain

さなかずら(サネカズラ) 富山県中央植物園HPより引用させていただきました。 

 この歌ならびに「さなかずら」を詠んだ歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その731)」で紹介している。

 ➡

tom101010.hatenablog.com

 

 

―その1309―

●歌は、「浅緑染め懸けたりと見るまでに春の柳は萌えにけるかも」である。

f:id:tom101010:20220101202013j:plain

島根県益田市 県立万葉植物園(P20)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P20)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆淺緑 染懸有跡 見左右二 春楊者 目生来鴨

       (作者未詳 巻十 一八四七)

 

≪書き下し≫浅緑(あさみどり)染(そ)め懸(か)けたりと見るまでに春の柳は萌えにけるかも

 

(訳)薄緑色に糸を染めて木に懸けたと見紛うほどに、春の柳は、青々と芽を吹き出した。(伊藤 博 著 「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その522)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

―その1310―

●歌は、「上つ毛野伊奈良の沼の大藺草外に見しよは今こそまされ」である。

f:id:tom101010:20220101202218j:plain

島根県益田市 県立万葉植物園(P21)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂歌集)

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P21)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆可美都氣努 伊奈良能奴麻乃 於保為具左 与曽尓見之欲波 伊麻波曽麻左礼  柿本朝臣人麻呂歌集出也

        (柿本人麻呂歌集 巻十四 三四一七)

 

≪書き下し≫上(かみ)つ毛(け)野(の)伊奈良(いなら)の沼の大藺草(おほゐぐさ)外(よそ)に見しよは今こそまされ

 

(訳)上野の伊奈良(いなら)の沼に生い茂る大藺草(おほゐぐさ)ではないけど、ただよそながら見ていた時よりは、我がものとした今の方が思いがつのるとは・・・。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は序。下二句の譬喩。

 

三四一五歌は、「上つ毛野伊香保の沼」、三四一六歌は、「上つ毛野可保夜が沼」と沼が続いて三首収録されている。

 これらの歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1107)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

―その1311-

●歌は、「うちひさつ三宅の原ゆ直土に足踏み貫き夏草を腰になづみいかなるや人の子ゆゑぞ通はすも我子うべなうべな母は知らじうべなうべな父は知等地蜷の腸か黒き髪に真木綿もちあざさ結ひ垂れ大和の黄楊の小櫛を押へ刺すうらぐわし子それぞわが妻」である。

f:id:tom101010:20220101202349j:plain

島根県益田市 県立万葉植物園(P22)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P22)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆打久津 三宅乃原従 常土 足迹貫 夏草乎 腰尓魚積 如何有哉 人子故曽 通簀文(・)吾子 諾ゝ名 母者不知 諾ゝ名 父者不知 蜷腸 香黒髪丹 真木綿持 阿邪左結垂 日本之 黄楊乃小櫛乎 抑刺 卜細子 彼曽吾孋

     (作者未詳 巻十三 三二九五)

 

≪書き下し≫うちひさつ 三宅(みやけ)の原ゆ 直土(ひたつち)に 足踏(ふ)み貫(ぬ)き 夏草を 腰になづみ いかなるや 人の子ゆゑぞ 通(かよ)はすも我子(あご) うべなうべな 母は知らじ うべなうべな 父は知らじ 蜷(みな)の腸(わた) か黒(ぐろ)き髪に 真木綿(まゆふ)もち あざさ結(ゆ)ひ垂(た)れ 大和の 黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)を 押(おさ)へ刺(さ)す うらぐはし子 それぞ我(わ)が妻

 

(訳)うちひさつ三宅の原を、地べたに裸足なんかを踏みこんで、夏草に腰をからませて、まあ、いったいどこのどんな娘御(むすめご)ゆえに通っておいでなのだね、お前。ごもっともごもっとも、母さんはご存じありますまい。ごもっともごもっとも、父さんはご存じありますまい。蜷の腸そっくりの黒々とした髪に、木綿(ゆう)の緒(お)であざさを結わえて垂らし、大和の黄楊(つげ)の小櫛(おぐし)を押えにさしている妙とも妙ともいうべき子、それが私の相手なのです。(同上)

(注)うちひさす【打ち日さす】分類枕詞:日の光が輝く意から「宮」「都」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは「三宅」にかかっている。

(注)三宅の原:奈良県磯城郡三宅町付近。

(注)ひたつち【直土】名詞:地面に直接接していること。 ※「ひた」は接頭語。(学研)

(注)こしなづむ【腰泥む】分類連語:腰にまつわりついて、行き悩む。難渋する。(学研)

(注)うべなうべな【宜な宜な・諾な諾な】副詞:なるほどなるほど。いかにももっともなことに。(学研)

(注)みなのわた【蜷の腸】分類枕詞:蜷(=かわにな)の肉を焼いたものが黒いことから「か黒し」にかかる。(学研)

(注)ゆふ【木綿】名詞:こうぞの樹皮をはぎ、その繊維を蒸して水にさらし、細く裂いて糸状にしたもの。神事で、幣帛(へいはく)としてさかきの木などに掛ける。(学研)

(注)あざさ:ミツガシワ科アサザ属の多年生水草ユーラシア大陸の温帯地域に生息し、日本では本州や九州に生息。5月から10月頃にかけて黄色の花を咲かせる水草。(三宅町HP) ※あざさは三宅町の町花である。現在の植物名は「アサザ」である。

(注)うらぐはし【うら細し・うら麗し】形容詞:心にしみて美しい。見ていて気持ちがよい。すばらしく美しい。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その432)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

―その1312―

●歌は、「我が心ゆたにたゆたに浮蒪辺にも沖にも寄りかつましじ」である。

f:id:tom101010:20220101202508j:plain

島根県益田市 県立万葉植物園(P23)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P23)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾情 湯谷絶谷 浮蒪 邊毛奥毛 依勝益士

       (作者未詳 巻七 一三五二)

 

≪書き下し≫我(あ)が心ゆたにたゆたに浮蒪(うきぬなは)辺にも沖(おき)にも寄りかつましじ

 

(訳)私の心は、ゆったりしたり揺動したりで、池の面(も)に浮かんでいる蒪菜(じゅんさい)だ。岸の方にも沖の方にも寄りつけそうもない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ゆたに>ゆたなり 【寛なり】形容動詞ナリ活用:ゆったりとしている。(webliok古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たゆたふ【揺蕩ふ・猶予ふ】①定まる所なく揺れ動く。②ためらう。(学研)

(注)かつましじ 分類連語:…えないだろう。…できそうにない。 ※上代語。 ⇒ 

なりたち 可能の補助動詞「かつ」の終止形+打消推量の助動詞「ましじ」(学研)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1112)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

 今年も歌碑をとおして、万葉集の歌、万葉集に迫っていきたいと思っております。

 よろしくご指導のほどお願いいたします。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典

★「富山県中央植物園HP」

万葉歌碑を訪ねて(その1307)<巻十五の遣新羅使人等は家持の手による物語である>―島根県益田市 県立万葉植物園(P18)―万葉集 巻十五 三五八七

●歌は、「栲衾新羅へいます君が目を今日か明日かと斎ひて待たむ」である。

f:id:tom101010:20211231143627j:plain

島根県益田市 県立万葉植物園(P18)万葉歌碑<プレート>(遣新羅使人等 巻十五 三五八七)

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P18)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆多久夫須麻 新羅邊伊麻須 伎美我目乎 家布可安須可登 伊波比弖麻多牟

       (遣新羅使人等 巻十五 三五八七)

 

≪書き下し≫栲衾(たくぶすま)新羅(しらき)へいます君が目を今日(けふ)か明日(あす)かと斎(いは)ひて待たむ

 

(訳)栲衾(たくぶすま)の白というではないが、その新羅へはるばるおいでになるあなた、あなたにお目にかかれる日を、今日か明日かと忌み慎んでずっとお待ちしています。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)たくぶすま【栲衾】名詞:栲(こうぞ)の繊維で作った夜具。色は白い。

(注)たくぶすま【栲衾】分類枕詞:たくぶすまの色が白いところから、「しろ」「しら」の音を含む地名にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

題詞は、「遣新羅使人等悲別贈答及海路慟情陳思并當所誦之古歌」<遣新羅使人等(けんしらきしじんら)、別れを悲しびて贈答(ぞうたふ)し、また海路(かいろ)にして情(こころ)を慟(いた)みして思ひを陳(の)べ、幷(あは)せて所に当りて誦(うた)ふ古歌>である。

 

 巻頭の十一首は、左注にあるように贈答歌である。

 

 十一首をみてみよう。

 

◆武庫能浦乃 伊里江能渚鳥 羽具久毛流 伎美乎波奈礼弖 古非尓之奴倍之

      (遣新羅使人等 巻十五 三五七八)

 

≪書き下し≫武庫(むこ)の浦の入江(いりえ)の洲鳥(すどり)羽(は)ぐくもる君を離(はな)れて恋(こひ)に死ぬべし

 

(訳)武庫の浦の入江の洲に巣くう鳥、その水鳥が親鳥の羽に包まれているように、大事にいたわって下さったあなた、ああ、あなたから引き離されたら、私は苦しさのあまり死んでしまうでしょう。(妻)(同上)

(注)武庫の浦:兵庫県武庫川河口付近。難波津を出た使人たちの最初の宿泊地らしい。(伊藤脚注)

(注)上二句は序。「羽ぐくもる」を起こす。

(注)はぐくむ【育む】他動詞:①羽で包みこんで保護する。②育てる。養育する。③世話をする。めんどうをみる。 ⇒参考 「羽(は)含(くく)む」の意から。「はごくむ」とも。(学研)

 

なんという切ない思いの歌であろうか。夫の遣新羅使の仕事を把握し、行程をも頭に入れ、それでいて、甘えるように「羽ぐくもる君を離れて恋に死ぬべし」。しびれる歌である。

「羽含む」とは、万葉びともびっくり、まさに「hug」である。

 

 

◆大船尓 伊母能流母能尓 安良麻勢婆 羽具久美母知弖 由可麻之母能乎

       (遣新羅使人等 巻十五 三五七九)

 

≪書き下し≫大船(おほぶね)に妹(いも)乗るものにあらませば羽(は)ぐくみ持ちて行かましものを

 

(訳)大船に女であるあなたも乗っていけるものなら、ほんとうに羽ぐくみ抱えて行きもしよう。(夫)(同上)

 

 妻の「羽ぐくみ」のキーワードを織り込んでの夫の和(こた)える歌も感動ものである。

 

 

◆君之由久 海邊乃夜杼尓 奇里多々婆 安我多知奈氣久 伊伎等之理麻勢

       (遣新羅使人等 巻十五 三五八〇)

 

≪書き下し≫君が行く海辺(うみへ)の宿(やど)に霧(きり)立たば我(あ)が立ち嘆く息(いき)と知りませ

 

(訳)あなたが旅行く、海辺の宿に霧が立ちこめたなら、私が門に立ち出てはお慕いして嘆く息だと思って下さいね。(妻)(同上)

(注)息:嘆きは霧となるとされた。(伊藤脚注)

 

 

◆秋佐良婆 安比見牟毛能乎 奈尓之可母 奇里尓多都倍久 奈氣伎之麻佐牟

      (遣新羅使人等 巻十五 三五八一)

 

≪書き下し≫秋さらば相見(あひみ)むものを何しかも霧(きり)に立つべく嘆きしまさむ

 

(訳)秋になったら、かならず逢えるのだ、なのに、どうして霧となって立ちこめるほどになげかれるのか。(夫)(同上)

(注)秋さらば:遣新羅使歌群は「秋」は帰朝を前提、つまり「愛しい人」に逢えることを軸に詠われている。当時の遣新羅使は数か月で戻れるのが習いであった。(この時は夏四月に発っている)

(注)す 他動詞:①行う。する。②する。▽ある状態におく。③みなす。扱う。する。 ⇒

語法 「愛す」「対面す」「恋す」などのように、体言や体言に準ずる語の下に付いて、複合動詞を作る。(学研)

(注)ます:尊敬の助動詞

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1232)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

◆大船乎 安流美尓伊太之 伊麻須君 都追牟許等奈久 波也可敝里麻勢

      (遣新羅使人等 巻十五 三五八二)

 

≪書き下し≫大船(おほぶね)を荒海(あるみ)に出(い)だしいます君障(つつ)むことなく早(はや)帰りませ

 

(訳)大船を荒海に漕ぎ出してはるばるいらっしゃるあなた、どうか何の禍(わざわい)もなく、一日も早く帰って来て下さいね。(妻)(同上)

(注)つつむ【恙む・障む】自動詞:障害にあう。差し障る。病気になる。(学研)

 

 

◆真幸而 伊毛我伊波伴伐 於伎都奈美 知敝尓多都等母 佐波里安良米也母

       (遣新羅使人等 巻十五 三五八三)

 

≪書き下し≫ま幸(さき)くて妹(いも)が斎(いは)はば沖つ波千重(ちへ)に立つとも障(さわ)りあらめやも

 

(訳)無事でいてあなたが潔斎を重ねて神様に祈ってくれさえすれば、沖の波、そう、そんな波なんかが幾重に立とうと、この身に障りなど起こるはずはありません。(夫)(同上)

(注)いはふ【斎ふ】他動詞:①けがれを避け、身を清める。忌み慎む。②神としてあがめ祭る。③大切に守る。慎み守る。 ⇒注意 「祝う」の古語「祝ふ」もあるが、「斎ふ」とは別語。(学研)

 

 

◆和可礼奈波 宇良我奈之家武 安我許呂母 之多尓乎伎麻勢 多太尓安布麻弖尓

       (遣新羅使人等 巻十五 三五八四)

 

≪書き下し≫別れなばうら悲(がな)しけむ我(あ)が衣(ころも)下(した)にを着(き)ませ直(ただ)に逢(あ)ふまでに

 

(訳)離れ離れになったら、さぞもの悲しく心細いことでしょう。私のこの着物を肌身に着けていらして下さい。じかにお目にかかれるまで、ずっと。(妻)(同上)

        

 

◆和伎母故我 之多尓毛伎余等 於久理多流 許呂母能比毛乎 安礼等可米也母

       (遣新羅使人等 巻十五 三五八五)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)が下(した)にも着よと贈りたる衣の紐(ひも)を我(あ)れ解(と)かめやも

 

(訳)いとしいあなたが肌身離さず身の守りにと贈ってくれたのだもの、この着物の紐を、私としたことが解いたりなど決してしません。(夫)(同上)

 

 肌身離さずいとしい人の着物を着て、紐を結ぶということは、万葉びとの男女間の固い契りであった。離れ離れになっても、強く結ばれているという心の絆であったのだろう。

 

 

◆和我由恵尓 於毛比奈夜勢曽 秋風能 布可武曽能都奇 安波牟母能由恵

       (遣新羅使人等 巻十五 三五八六)

 

 

≪書き下し≫我(わ)がゆゑに思ひな痩(や)せそ秋風の吹かむその月逢はむものゆゑ

 

(訳)私のせいで、思い悩んで痩せたりなどしないでおくれよ。秋風の吹き始めるその月には、きっと逢えるのだからね。(夫)(同上)

(注)前歌まで女―男の贈答であったものが、ここで男―女となる。(伊藤脚注)

 

 

◆多久夫須麻 新羅邊伊麻須 伎美我目乎 家布可安須可登 伊波比弖麻多牟

       (遣新羅使人等 巻十五 三五八七)

 

≪書き下し≫栲衾(たくぶすま)新羅(しらき)へいます君が目を今日(けふ)か明日(あす)かと斎(いは)ひて待たむ

 

(訳)栲衾(たくぶすま)の白というではないが、その新羅へはるばるおいでになるあなた、あなたにお目にかかれる日を、今日か明日かと忌み慎んでずっとお待ちしています。(妻)(同上)

(注)問答をトレースするため再掲してあります。

(注)新羅:冒頭三五七八の、「武庫の浦」に対し、目的地「新羅」を示すことで、一連の贈答を閉じる。女の、男の行く先への関心を地名の配合によって示したもの。(伊藤脚注)

 

 

◆波呂波呂尓 於毛保由流可母 之可礼杼毛 異情乎 安我毛波奈久尓

      (遣新羅使人等 巻十五 三五八八)

 

≪書き下し≫はろはろに思(おも)ほゆるかもしかれども異(け)しき心を我(あ)が思(も)はなくに

 

(訳)思えば、何と遠く久しく離れ離れになることか。しかし、いかにどんなに離れていても、あだし心など、私はけっして持ちません。(同上)

(注)はろばろなり【遥遥なり】形容動詞:遠く隔たっている。「はろはろなり」とも。 ※上代語。(学研)

(注)はろはろには前歌の「新羅」と響き合う。(伊藤脚注)

(注)「しかれども」以下、女の誓約(伊藤脚注)

 

左注は、「右十一首贈答」<右の十一首は贈答>

 

 

 万葉集は、歌物語の集合体である。この題詞「遣新羅使人等悲別贈答及海路慟情陳思并當所誦之古歌」の歌群は、第二十三次遣新羅使の史実に基づき創作されたものである。

 池澤夏樹氏は、「万葉集の詩性 令和時代の心を読む」(中西 進 編著 角川新書)の中の「詩情と形式、あるいは魂と建築 巻十五『遣新羅使詩編』を例に」の稿で、「・・・ここに集められた百四十五首の相当部分が家持の手になるものであるらしい。・・・」遣新羅使一行の旅の過程での歌を、「・・・だれかがそれを取りまとめて帰国の後に公開した。この実録歌群を元に家持は歌を補い構成を工夫し、綿密かつ周到に構成された旅の詞華集を編んで、それを『万葉集』のこの部分に嵌(は)め込んだ。・・・」「・・・旅には偶然の要素が多く、詠み手の能力にもばらつきがある。本当にエレガントな羇旅の一巻とするためには大胆に手を加えなければならない。・・・」「・・・家持はあるべき花を補った。高貴な詠み手の歌にはその名が記されているが、身分の低き者の作には名がない。では名のない詠み手を増やそう。・・・」「・・・詩は感情である。そして感情を統制して他者に伝えるには形式が要る。・・・大伴家持は人々の感情に形を与えた。百四十五本の材木を組み立てて豪壮な建築とした。」と書かれている。

 そして氏は、三五八〇歌について「・・・まず間違いなく大伴家持の作である。そういう立場にある若い妻に代わって詠んだ歌。若妻は特定の一人でさえなかっただろう。」とも書かれている。

 

 建築資材で頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。

 遥か万葉の時代に帰っていった万葉集、そんな思いである。時空を超えまた振り出しに戻ったようであるが、再会を目指した旅は新年から。

 

 今年一年拙いブログにお付き合いいただいた皆様方に心から御礼申し上げます。

 来年もまたよろしくご指導のほどお願い申しあげます。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集の詩性 令和時代の心を読む」 中西 進 編著 (角川新書)

★「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」 古橋信孝 著 (NHKブックス

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

 

万葉歌碑を訪ねて(その1306)<染めに用いられた植物>―島根県益田市 県立万葉植物園(P17)―万葉集 巻七 一三三八

●歌は、「我がやどに生ふるつちはり心ゆも思はぬ人の衣に摺らゆな」である。

f:id:tom101010:20211230171227j:plain

島根県益田市 県立万葉植物園(P17)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P17)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾屋前尓 生土針 従心毛 不思人之 衣尓須良由奈

       (作者未詳 巻七 一三三八)

 

≪書き下し≫我(わ)がやどに生(お)ふるつちはり心ゆも思はぬ人の衣に摺らゆな

 

(訳)我が家の庭に生えているつちはりよ、お前は、心底お前を思ってくれぬ人の衣(きぬ)に摺られるなよ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ゆ 格助詞 《接続》:体言、活用語の連体形に付く。〔起点〕…から。…以来。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)つちはり【土針】植物の名。メハジキとも、ツクバネソウとも、エンレイソウともいわれる。諸説があるが、メハジキが有力。シソ科の越年草。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

f:id:tom101010:20211230171508p:plain

メハジキ(別名ヤクモソウ) 「植物データベース」(熊本大学薬学部 薬草園HP)より引用させていただきました。

 つちはりを自分の娘に喩え、「心ゆも思はぬ人」と結ばれることがないようにと、戒める親の気持ちを歌っている。

 

 つちはりのように、染めに関わる植物で万葉集で歌われたものに、紅花、紫草、茜、つるばみ、つゆくさ、はり、萩、山藍、かきつばた、からあい、こなぎ、はねず、菅の根などが

ある。

 

それぞれの植物の代表的な歌をみてみよう。

 

【紅花(くれなゐ)】【山藍】

◆級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上従  赤裳數十引 山藍用 摺衣服而 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟将宿 問巻乃 欲我妹之 家乃不知久

      (高橋虫麻呂 巻九 一七四二)

 

≪書き下し≫しなでる 片足羽川(かたしはがは)の さ丹(に)塗(ぬ)りの 大橋の上(うへ)ゆ 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 山藍(やまあゐ)もち 摺(す)れる衣(きぬ)着て ただひとり い渡らす子は 若草の 夫(つま)かあるらむ 橿(かし)の実の ひとりか寝(ぬ)らむ 問(と)はまくの 欲(ほ)しき我妹(わぎも)が 家の知らなく

 

(訳)ここ片足羽川のさ丹塗りの大橋、この橋の上を、紅に染めた美しい裳裾を長く引いて、山藍染めの薄青い着物を着てただ一人渡って行かれる子、あの子は若々しい夫がいる身なのか、それとも、橿の実のように独り夜を過ごす身なのか。妻どいに行きたいかわいい子だけども、どこのお人なのかその家がわからない。(同上)

(注)「しなでる」は片足羽川の「片」にかかる枕詞とされ、どのような意味かは不明です。(「歌の解説と万葉集柏原市HP)

(注)「片足羽川」は「カタアスハガハ」とも読み、ここでは「カタシハガハ」と読んでいます。これを石川と考える説もありますが、通説通りに大和川のことで間違いないようです。(同上)

(注)さにぬり【さ丹塗り】名詞:赤色に塗ること。また、赤く塗ったもの。※「さ」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)くれなゐの【紅の】分類枕詞:紅色が鮮やかなことから「いろ」に、紅色が浅い(=薄い)ことから「あさ」に、紅色は花の汁を移し染めたり、振り出して染めることから「うつし」「ふりいづ」などにかかる。(学研)

(注)やまあい【山藍】:トウダイグサ科多年草。山中の林内に生える。茎は四稜あり、高さ約40センチメートル。葉は対生し、卵状長楕円形。雌雄異株。春から夏、葉腋ようえきに長い花穂をつける。古くは葉を藍染めの染料とした。(コトバンク 三省堂大辞林 第三版)

(注)わかくさの【若草の】分類枕詞:若草がみずみずしいところから、「妻」「夫(つま)」「妹(いも)」「新(にひ)」などにかかる。(学研)

(注)かしのみの【橿の実の】の解説:[枕]樫の実、すなわちどんぐりは一つずつなるところから、「ひとり」「ひとつ」にかかる。(goo辞書)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1155)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

【紫草(むらさき)】

題詞「笠女郎贈大伴宿祢家持歌三首」<笠女郎(かさのいらつめ)、大伴宿禰家持に贈る歌三首>の一首である。

 

◆託馬野尓 生流 衣染 未服而 色尓出来

       (笠女郎 巻三 三九五)

 

≪書き下し≫託馬野(つくまの)に生(お)ふる紫草(むらさき)衣(きぬ)に染(し)めいまだ着ずして色に出(い)でにけり

 

(訳)託馬野(つくまの)に生い茂る紫草、その草で着物を染めて、その着物をまだ着てもいないのにはや紫の色が人目に立ってしまった。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)託馬野:滋賀県米原市朝妻筑摩か。

(注)「着る」は契りを結ぶことの譬え

(注)むらさき【紫】名詞:①草の名。むらさき草。根から赤紫色の染料をとる。古くから「武蔵野(むさしの)」の名草として有名。②染め色の一つ。①の根で染めた色。赤紫色。古代紫。古くから尊ばれた色で、律令制では三位以上の衣服の色とされた。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1094)」に紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

【つるばみ】

 衣人皆 事無跡 日師時従 欲服所念

     (作者未詳 巻七 一三一一)

 

≪書き下し≫橡(つるはみ)の衣(きぬ)は人(ひと)皆(みな)事なしと言ひし時より着欲(きほ)しく思ほゆ

 

(訳)橡染(つるばみぞ)めの着物は、世間の人の誰にも無難に着こなせるというのを聞いてからというもの、ぜひ着てみたいと思っている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)つるばみ【橡】名詞:①くぬぎの実。「どんぐり」の古名。②染め色の一つ。①のかさを煮た汁で染めた、濃いねずみ色。上代には身分の低い者の衣服の色として、中古には四位以上の「袍(はう)」の色や喪服の色として用いた。 ※古くは「つるはみ」。(学研)

(注)ことなし【事無し】形容詞:①平穏無事である。何事もない。②心配なことがない。③取り立ててすることがない。たいした用事もない。④たやすい。容易だ。⑤非難すべき点がない。欠点がない。(学研) ここでは④の意 ➡「男女間のわずらわしさがない」の譬え

 

 「橡の衣」を身分の低い女性に喩え、身分違いのそのような気安い(着やすい)女性を妻にしたいと考えている男の歌である。日頃の思いと逆に逃避した心境であろうか。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1084)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

【はり】

題詞は、「二年壬寅太上天皇幸于参河國時歌」<二年壬寅(みずのえとら)に、太上天皇(おほきすめらみこと)、三河の国に幸(いでま)す時の歌>である。

 

◆引馬野尓 仁保布原 入乱 衣尓保波勢 多鼻能知師尓

               (長忌寸意吉麻呂 巻一 五七)

 

≪書き下し≫引馬野(ひくまの)ににほふ原(はりはら)入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに

 

(訳)引馬野(ひくまの)に色づきわたる榛(はり)の原、この中にみんな入り乱れて衣を染めなさい。旅の記念(しるし)に。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)引馬野(ひくまの):愛知県豊川市(とよかわし)御津(みと)町の一地区。『万葉集』に「引馬野ににほふ榛原(はりばら)入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに」と歌われた引馬野は、豊川市御津町御馬(おんま)一帯で、古代は三河国国府(こくふ)の外港、近世は三河五箇所湊(ごかしょみなと)の一つだった。音羽(おとわ)川河口の低湿地に位置し、引馬神社がある。(コトバンク 日本大百科全書<ニッポニカ>)

(注)はり【榛】名詞:はんの木。実と樹皮が染料になる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)にほふ【匂ふ】:自動詞 ①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。

他動詞:①香りを漂わせる。香らせる。②染める。色づける。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

左注は、「右一首長忌寸奥麻呂」<右の一首は長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)>である。

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その987)」で紹介している。

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

【萩】

◆吾衣 揩有者不在 高松之 野邊行之者 芽子之揩類曽

       (作者未詳 巻十 二一〇一)

 

≪書き下し≫我(あ)が衣(ころも)摺(す)れるにはあらず高松(たかまつ)の野辺(のへ)行きしかばの摺れるぞ

 

(訳)私の衣は、摺染(すりぞ)めしたのではありません。高松の野辺を行ったところ、あたり一面に咲く萩が摺ってくれたのです。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)摺染(読み)すりぞめ:〘名〙: 染色法の一つ。草木の花、または葉をそのまま布面に摺りつけて、自然のままの文様を染めること。また花や葉の汁で模様を摺りつけて染める方法もある。この方法で染めたものを摺衣(すりごろも)という。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その952)」で紹介している。

 ➡ こちら952

 

 

【つゆくさ】

月草尓 衣者将揩 朝露尓 所沾而後者 徙去友

       (作者未詳 巻七 一三五一)

 

≪書き下し≫月草(つきくさ)に衣(ころも)は摺(す)らむ朝露(あさつゆ)に濡(ぬ)れての後(のち)はうつろひぬとも

 

(訳)露草でこの衣は摺染(すりぞ)めにしよう。朝露に濡れたそののちは、たたえ色が褪(あ)せてしまうことがあるとしても。(同上)

(注)つきくさ【月草】名詞:草の名。つゆくさの古名。この花の汁を衣に摺(す)り付けて縹(はなだ)色(=薄藍(うすあい)色)に染めるが、その染め色のさめやすいことから、歌では人の心の移ろいやすいたとえとすることが多い。[季語] 秋。(学研)

(注)上二句は、結婚を諸諾する意。

(注)濡れての後は:結婚してのちは。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1207)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

【かきつばた】

◆墨吉之 淺澤小野之 垣津幡 衣尓揩著 将衣日不知毛

      (作者未詳 巻七 一三六一)

 

≪書き下し≫住吉(すみのえ)の浅沢小野(あささはをの)のかきつはた衣(きぬ)に摺(す)り付け着む日知らずも

 

(訳)住吉の浅沢小野に咲くかきつばた、あのかきつばたの花を。私の衣の摺染めにしてそれを身に付ける日は、いったいいつのことなのやら。(同上)

(注)浅沢小野:住吉大社東南方の低湿地。

(注)かきつはた:年ごろの女の譬え(伊藤脚注)

(注)「着る」は我が妻とする意。(伊藤脚注)

 

 染料として使われていた「かきつばた」の花汁は青みを帯びた紫色で鮮やかなものであった。花そのものとしてもその立ち姿の美しさは群を抜いていた。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その794-6)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

【からあい】

◆秋去者 影毛将為跡 吾蒔之 韓藍之花乎 誰採家牟

      (作者未詳 巻七 一三六二)

 

≪書き下し≫秋さらば移(うつ)しもせむと我(わ)が蒔(ま)きし韓藍(からあゐ)の花を誰(た)れか摘(つ)みけむ

 

(訳)秋になったら移し染めにでもしようと、私が蒔いておいたけいとうの花なのに、その花をいったい、どこの誰が摘み取ってしまったのだろう。(同上)

(注)移しもせむ:移し染めにしようと。或る男にめあわせようとすることの譬え。

(注)誰(た)れか摘(つ)みけむ:あらぬ男に娘を捕えられた親の気持ち

(注)からあゐ【韓藍】: ケイトウの古名。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1166)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

【こなぎ】

◆奈波之呂乃 古奈宜我波奈乎 伎奴尓須里 奈流留麻尓末仁 安是可加奈思家

      (作者未詳 巻十四 三五七六)

 

≪書き下し≫苗代(なはしろ)の小水葱(こなぎ)が花を衣(きぬ)に摺(す)りなるるまにまにあぜか愛(かな)しけ

 

(訳)通し苗代に交じって咲く小水葱(こなぎ)の花、そんな花でも、着物に摺りつけ、着なれるにつれて、どうしてこうも肌合いにぴったりで手放し難いもんかね。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)こなぎ【小水葱・小菜葱】① ミズアオイ科の一年草。水田などの水湿地に生える。ミズアオイ(ナギ)に似るが全体に小さく、花序が葉より短い。ササナギ。② ナギ(ミズアオイの古名)を親しんでいう称。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)まにまに【随に】分類連語:①…に任せて。…のままに。▽他の人の意志や、物事の成り行きに従っての意。②…とともに。▽物事が進むにつれての意。

※参考名詞「まにま」に格助詞「に」の付いた語。「まにま」と同様、連体修飾語を受けて副詞的に用いられる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その275)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

【はねず】

◆山振之 尓保敝流妹之 翼酢色之 赤裳之為形 夢所見管

      (作者未詳 巻十一 二七八六)

 

≪書き下し≫山吹(やまぶき)のにほへる妹(いも)がはねず色の赤裳(あかも)の姿夢(いめ)に見えつつ

 

(訳)咲きにおう山吹の花のようにあでやかな子の、はねず色の赤裳を着けた姿、その姿が夢に見え見えして・・・。(同上)

(注)山吹の:「にほふ」の枕詞(伊藤脚注)

(注)はねず:① 初夏に赤い花をつける植物の名。ニワウメ・ニワザクラなど諸説がある。②「唐棣花(はねず)色」の略。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

 

【菅の根】

◆真鳥住 卯名手之神社之 菅根乎 衣尓書付 令服兒欲得

       (作者未詳 巻七 一三四四)

 

≪書き下し≫真鳥(まとり)棲(す)む雲梯(うなて)の社(もり)の菅(すが)の根を衣にかき付け着せむ子もがも

 

(訳)鷲(わし)の棲む雲梯の社(もり)の長い菅の根、その根を衣(きぬ)に描き付けて着せてくれるかわいい子がいたらいいのになあ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)まとり【真鳥】:鳥。また、鷲(わし)のようにりっぱな鳥。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)雲梯の社:橿原市雲梯町の神社

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その131改)で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉集に表された染め」 (論文 宇都宮大学教育学部清水裕子・佐々木和也 共著

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 三省堂大辞林 第三版」

★「コトバンク 日本大百科全書<ニッポニカ>」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「歌の解説と万葉集柏原市HP

★「植物データベース」(熊本大学薬学部 薬草園HP)