万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

「挽歌」は、中国で葬送の時、柩(ひつぎ)を挽(ひ)く者が歌った歌をいうところからきているそうである(万葉歌碑を訪ねて―その94―)

●万葉集三大部立とは、「相聞」「雑歌」「挽歌」である。 「挽歌」は、中国で葬送の時、柩(ひつぎ)を挽(ひ)く者が歌った歌をいうところからきているそうである。 「相聞」はもともと中国伝来の語で、「往復存問」の意だそうである。 「雑歌」は「相聞」…

万葉歌碑を訪ねて(その93改)―桜井市立朝倉小学校近くの脇本春日神社―万葉集 巻九 一六六四

●歌は、「夕されば小倉の山に伏す鹿は今夜は鳴かず寐寝にけらしも」である 脇本春日神社、朝倉小近くの万葉歌碑(雄略天皇) ●歌碑は、桜井市立朝倉小学校近くの脇本春日神社にある。 ●歌をみていこう。 題詞は、「泊瀬朝倉宮御宇大泊瀬幼武天皇御製歌一首」…

万葉歌碑を訪ねて(その92改)―奈良県桜井市三輪ヶ崎―万葉集 巻三 二六五

●歌は、「苦しくも降り来る雨か神の崎狭野の渡りに家もあらなくに」である。 奈良県桜井市慈恩寺万葉歌碑(長忌寸意吉麻呂) ●歌碑は。奈良県桜井市三輪ヶ崎にある。 ●歌をみてみよう。 ◆苦毛 零来雨可 神之崎 狭野乃渡尓 古所念 (長忌寸意吉麿 巻三 二六五…

「 惜(あたらしき) 山之 荒巻惜(をし)毛」:「あたらし」と「をし」の違い。「を(惜)し」が自分のことについていうのに対し、「あたらし」は外から客観的に見た気持ちをいう。(万葉歌碑を訪ねて―その91―)

● 万葉集目録には、巻十三は、雑歌二十七首、相聞歌五十七首、問答歌十八首、譬喩歌一首、挽歌二十四首とある。今日紹介する歌は、挽歌の一首である。 ●サンドイッチは、サニーレタスとトマトそして焼き豚である。デザートは、りんごを見ると立体構造にした…

万葉歌碑を訪ねて(その90改)― 奈良市登美ヶ丘2丁目 松伯美術館―万葉集 巻 八 一四四四

●歌は、「山吹の咲きたる野辺のつほすみれこの春の雨に盛なりけり」である。 松伯美術館入口近く万葉歌碑(高田女王) ●歌碑は、奈良市登美ヶ丘2丁目 松伯美術館にある。 ●歌をみていこう。 ◆山振之 咲有野邊乃 都保須美礼 此春之雨尓 盛奈里鶏利 (高田女…

万葉歌碑を訪ねて(その89改)―奈良市登美ヶ丘 松伯美術館―万葉集 巻八 一四四〇

●歌は、「春雨のしくしく降るに高円の山の桜はいかにかあるらむ」である。 松伯美術館万葉歌碑(河邊朝臣東人) ●歌碑は、奈良市登美ヶ丘 松伯美術館にある。 ●歌をみていこう。 ◆春雨乃 敷布零尓 高圓 山能櫻者 何如有良武 (河邊朝臣東人 巻八 一四四〇) …

万葉歌碑を訪ねて(その88改)―生駒市俵口町生駒山麓公園―万葉集 巻十五 三五八九

●天平八年六月に遣新羅使は出発し九月に帰国予定であったが、難航、九月にはまだ壱岐対馬近辺にあり、帰国したのは翌年の一月。新羅が日本を相手にしなかったこともあり、何の役目も果たさず、帰国。しかも、帰路大使が亡くなり、副使も病に倒れ遅れて帰還す…

万葉歌碑を訪ねて(その87改)―生駒市俵口町生駒山麓公園―万葉集 巻十五 三五九〇

●万葉集巻十五は、天平八年(七三六年)六月、新羅に遣わされた使人たちの歌百四十五首と、同十二年初めころ越前に流された中臣朝臣宅守(なかとみのあそみやかもり)と妻狭野弟上娘子(さののおとかみのおとめ)とが交わした歌六十三首とからなっている。 …

万葉歌碑を訪ねて―その86改―生駒市俵口町生駒山麓公園―万葉集 巻二十 四三八〇

●防人は、当初は九州の人をあてていたが、後には主として東国の人をあてるようになった。任期は三年で毎年三分の一が交替させられていた。命令によりそれぞれの国の、防人部領使(さきもりのことりづかい)が連れてきて、難波(なにわ)で中央の役人に引き継…

万葉歌碑を訪ねて(その85改)―生駒市小明町 生駒市体育協会総合S.C.(旧名称 生駒市総合公園)―万葉集 巻十 二二〇一

●歌は、「妹がりと 馬に鞍置きて 生駒山打ち越え来れば 紅葉散りつつ」である。 奈良県生駒市(旧)総合公園万葉歌碑(作者未詳) ●歌碑は、生駒市小明町 生駒市体育協会総合S.C.(旧名称 生駒市総合公園)にある。 体育館やテニスコート、グランド等があり…

万葉歌碑を訪ねて―その84改―生駒市北大和一丁目 四季の森公園―万葉集 巻十二 三〇三二

●今日の歌碑は、奈良県生駒市北大和の四季の森公園にある。歌は拙稿ブログ(万葉歌碑を訪ねて―その82―)に紹介したのと同じである。歌碑のロケーションとしては、こちらの方が、歌碑後方にはるか生駒山を望む位置にあるだけに軍配が上がる。 ●万葉歌碑を訪…

万葉歌碑を訪ねて(その83改)―奈良県生駒市東新町 生駒市役所前庭―万葉集 巻六 一〇四七

●歌は、「・・・露霜の 秋去り来れば 生駒山 飛火が丘に 萩の枝を しがらみ散らし さ雄鹿は 妻呼びとよむ 山見れば 山も見が欲し 里見れば 里も住み良し・・・」である。 奈良県生駒市生駒市役所正面入口横万葉歌碑(田邊福麻呂歌集) 生駒市役所 ●歌碑は、…

万葉歌碑めぐりには、奈良女子大学の「万葉歌碑データベース」は欠かせない(万葉歌碑を訪ねて―その82―)

●万葉歌碑めぐりには、奈良女子大学の「万葉歌碑データベース」は欠かせない。 ●サンドイッチは、ロメインレタスとパックハムである。ロメインレタスのシャキシャキ感が眠気を吹き飛ばしてくれる。デザートは、りんご、トンプソン、レッドグローブそしてキウ…

万葉歌碑を訪ねて(その81改)―奈良県桜井市長谷寺本堂近くの鐘楼横―万葉集 巻八 一五九三

●歌は、「こもりくの泊瀬の山は色づきぬしぐれの雨は降りにけらしも」である。 長谷寺鐘楼横万葉歌碑(大伴坂上郎女) ●歌碑は、奈良県桜井市長谷寺本堂近くの鐘楼横にある。 ●歌をみていこう。 ◆隠口乃 始瀬山者 色附奴 鍾礼乃雨者 零尓家良思母 (大伴坂上…

万葉歌碑を訪ねて(その80改)―長谷寺山門前―万葉集 巻七 一二七〇

●歌は、「こもりくの泊瀬の山に照る月はみちかけすてふ人の常なき」である。 長谷寺山門前万葉歌碑(作者未詳) ●歌碑は、長谷寺山門前にある。 ●歌を見てみよう。 ◆隠口の 泊瀬之山丹 照月者 盈呉為焉 人之常無 (作者未詳 巻七 一二七〇) ※「かけ」の漢字…

万葉歌碑を訪ねて(その79改)―奈良県桜井市金屋 佛教傳来之地の碑隣―万葉集 巻十 二二二二

●歌は、「夕さらず河蝦鳴くなる三輪川の清き瀬の音を聞かくし良しも」である。 奈良県桜井市金屋初瀬川堤万葉歌碑(作者未詳) ●歌碑は、奈良県桜井市金屋 佛教傳承之地の碑隣にある。 ●歌をみていこう。 ◆暮不去 河蝦鳴成 三和河之 清瀬音乎 聞師吉毛 (作…

万葉歌碑を訪ねて(その78改)―奈良県桜井市金屋磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや)址―万葉集 巻十三 三二四九

●歌は、「磯城島の日本の国に二人ありとし思はば何か嘆かむ」である。 磯城瑞籬宮址万葉歌碑(作者未詳) ●歌碑は、奈良県桜井市金屋磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや)址にある。 ●歌をみていこう。 ◆式嶋乃 山跡乃土丹 人二 有年念者 難可将嗟 (作者未詳 …

万葉歌碑を訪ねて(その77改)―平等寺―万葉集 巻七 一〇九四

●奈良県桜井市三輪にある三輪山平等寺は、慶長5年(1600年)9月15日関ヶ原の合戦で敗れた薩摩の領主、島津義弘主従がこの寺に逃げ込み70日間滞在し、無事薩摩に帰ったことで知られている。「島津義弘公ゆかりの寺」の、のぼり旗が掲げられていた。…

万葉歌碑を訪ねて(その75改,76改)―桜井市穴師の相撲神社、穴師坐兵主神社―万葉集 巻十 二三一四、巻七 一三六九

5月12日から大相撲夏場所が始まった。奈良県桜井市穴師に国技発祥の地「相撲神社」がある。同神社内の説明案内板に、「相撲はもとは神の信仰から出て、国土安穏、五穀豊穣を祈る平和と繁栄の祭典であり、第十一代垂仁帝の七年、野見宿禰と当麻蹶速が初め…

万葉歌碑を訪ねて(その74改)―奈良県桜井市茅原(山の辺の道)玄賓庵(げんぴあん)近く―万葉集 巻二 一五八

●歌は、「山吹の立ちしげみたる山清水酌みに行かめど道の知らなく」である。 奈良県桜井市玄賓庵近くの万葉歌碑(高市皇子) ●歌碑は、奈良県桜井市茅原(山の辺の道)玄賓庵(げんぴあん)近くにある。 ●歌を見ていこう。 高市皇子の歌は万葉集に三首収録され…

万葉歌碑を訪ねて(その73改)―桧原神社南口―万葉集 巻十 一八一四

●歌は、「古の人の植ゑけむ杉が枝に霞たなびく春は来ぬらし」である。 桧原神社南口付近万葉歌碑(柿本人麻呂) ●歌碑は、桧原神社南口から山の辺の道にでるとすぐ左手にある。 ●歌を見てみよう。 ◆古 人之殖兼 杉枝 霞霏微 春者来良之 (柿本人麻呂 巻十 一…

万葉歌碑を訪ねて(その72改)―奈良県桜井市穴師―万葉集 巻七 一一〇一

●歌は、「ぬばたまの夜さり来れば巻向の川音高しもあらしかも疾き」である。 奈良県桜井市穴師県道50号線から少し北に入った三叉路の万葉歌碑(柿本人麻呂) ●歌碑は、奈良県桜井市穴師にある。 ●歌をみていこう。 ◆黒玉之 夜去来者 巻向之 川音高之母 荒…

万葉歌碑を訪ねて(その71改)―奈良県桜井市穴師、県道50号線沿い―万葉集 巻七 一〇九三

●歌は、「三諸のその山なみに子らが手を巻向山はつぎのよろしも」である。 奈良県桜井市穴師県道50号線沿い万葉歌碑(柿本人麻呂) ●歌碑は、奈良県桜井市穴師、県道50号線沿いにある。 ●歌をみていこう。 ◆三毛侶之 其山奈美尓 兒等手乎 巻向山者 継之…

万葉歌碑を訪ねて(その70改)―奈良県桜井市箸中車谷県道50号線沿い―万葉集 巻十 二三一三

●歌は、「あしひきの山かも高き巻向の岸の小松にみ雪降りけり」である。 奈良県桜井市箸中車谷万葉歌碑(柿本人麻呂)桜井市箸中車谷県道50号線沿い ●歌碑は、奈良県桜井市箸中車谷県道50号線沿いにある。 ●歌をみていこう。 ◆足曳之 山鴨高 巻向之 木志…

万葉歌碑を訪ねて(その69改)―奈良県桜井市箸中車谷 県道50号線沿い―万葉集 巻七 一〇八七

●歌は、「痛足河、河波立ちぬ巻目の由槻が嶽に雲居立てるらし」である。 奈良県桜井市箸中車谷万葉歌碑(柿本人麻呂) ●歌碑は、奈良県桜井市箸中車谷 県道50号線沿いにある。 県道をゆっくり車を走らせて探したときは見つからなかったが、車を止めて、歩…

万葉歌碑を訪ねて(その68改)―奈良県桜井市箸中車谷山辺の道―万葉集 巻二 一五七

●歌は、「神山の山邊真蘇木綿みじか木綿かくのみ故に長くと思ひき」である。 奈良県桜井市箸中車谷山の辺の道万葉歌碑(高市皇子) ●歌碑は、奈良県桜井市箸中車谷 県道50号線から山の辺の道に入ってすぐのところにある。 ●歌をみていこう。 ◆神山之 山邊…

万葉歌碑を訪ねて(その67改)―奈良県桜井市箸中車谷(山の辺の道)穴師川小橋付近―万葉集 巻七 一二六九

●歌は、「巻向の山邊とよみて行く水のみなあわの如し世の人われは」である。 奈良県桜井市箸中車谷万葉歌碑(柿本人麻呂) ●歌碑は、奈良県桜井市箸中車谷(山の辺の道)穴師川小橋付近、県道50号線沿いにある。 ◆巻向之 山邊響而 往水之 三名沫如 世人吾…

万葉歌碑を訪ねて(その66改)―井寺池農道脇―万葉集 巻七 一〇九二

●歌は、「鳴神の音のみ聞きし巻向の桧原の山を今日見つるかも」である。 奈良県桜井市井寺池東側の農道脇万葉歌碑(柿本人麻呂) ●この歌碑は、井寺池から少し離れた農道脇にある。 ●歌をみていこう。 ◆動神之 音耳聞 巻向之 檜原山乎 今日見鶴鴨 (柿本人麻…

万葉歌碑を訪ねて(その65改)―奈良県桜井市桧原井寺池畔―万葉集 巻十三 三二二二

●奈良県桜井市桧原井寺池畔には、柿本人麻呂2つ、天智天皇、作者未詳の計4つの万葉歌碑がある。古事記の倭建命の歌碑もある。今日は作者未詳の歌碑の紹介である。 ●万葉歌碑を訪ねて―その65― 「三諸は人の守る山本辺はあしび花咲き未辺は椿花咲くうらぐ…

万葉歌碑を訪ねて(その64改)―奈良県桜井市桧原井寺池畔―万葉集 巻一 十三

●歌は、「香具山は畝傍を惜しと耳成と相争ひき神代よりかくにあるらし古もしかにあれこそうつせみも妻を争ふらしき」である。 奈良県桜井市井寺池畔万葉歌碑(天智天皇) ●歌碑は、奈良県桜井市桧原井寺池畔、上池と下池を仕切る堤を渡り切ったあたりの左手…